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龍郷じねん整体院の原点

こんにちは。龍郷じねん整体院の山田修司です。
心機一転、ブログを再構築しようと思います。

僕がブログを書く目的は
龍郷じねん整体院を営む理由と同じなのですが

・からだや心の不調で悩み、
心の行き場のない人の居場所になりたい

ここに尽きます。

今回のブログでは

・何故そう思うようになったのか?
・山田修司という人間について

書かせていただきます。
最後まで読んでくれたら嬉しいです。


この仕事を目指した理由

僕がこの仕事を目指した原点は
学生時代にあります。

小学生から野球を始め、中学生で体の成長期と共に
身体的な能力もかなり伸びました。

足もそれなりに速く、何より細身でしたが肩は強かったです。

中学校2年生の時はチームも強くなり
チーム的にも個人的にもやれるぞっていう
感覚でした。

しかし、中学校2年の秋ごろ、
亜脱臼をします。

最初の頃はまだ休めば投げれましたが
だんだんと亜脱臼を繰り返し、
強く投げることが
出来なくなっていきました。

病院に行っても
「筋肉がついてきたら大丈夫だから
今は安静にしなさい」の一点張り。

当時はチームのキャプテンもしていましたし、
何より野球が毎日したかったので
僕が出した答えは中学時代は
野球を利き手と反対の腕でやる
というものでした。

右利きだったので
右肩は安静にし、インナーマッスルを鍛え
野球は左でやりました。

キャッチボールがまともに出来るまで
3ヶ月くらいかかりましたが
バッティングと足を生かして最終的には
試合にもスタメンで出れるようになり
乗り越えたことで自信もつきました。

そして、高校では利き腕で勝負してやると思い
甲子園にも行きたかったので
鹿児島の高校に進学。

しかし高校になっても右では
強く投げることは出来ず
左手も硬式ボールの感覚を掴めず
野球部に入ったばかりでしたが
自分の心の中は入学前とは一変し
暗雲がかかってきていました。

なんとか肩を治したい
その想いで鹿児島の有名な整形外科さんへ。

そこで言われたことは
手術じゃないと治らないよ
でした。

肩の靭帯が3分の2は切れていたらしく
そこを手術で繋がない限り
脱臼を繰り返す状態でした。

手術すれば
キャッチボールが出来るまで6ヶ月。
2年半という短い期間での半年は
ボールが投げれない。
ただ今しないと高校野球の時間は減ってしまう。

いろんな葛藤の中、
手術を決断しました。

手術をしてみると
思ったよりも肩の状態が悪く
靭帯はボロボロ、
亜脱臼を繰り返したことにより
骨も欠けていました。

そこからリハビリが始まります。

リハビリを開始した時に1番最初に感じたことは
「もうボール投げるの無理じゃん、、、、」
でした。

痛みもあるし、何より動かせない。

感じたことない絶望感でした。

本当に先が真っ暗でした。

なんとか少しづつ頑張って
軽いシャドーが
出来るようになったのが
1年生の秋前。

他の1年生は新チームになり
ガンガン練習出来てる。

すごい焦りと「もう無理じゃん」という
諦めの声とが自分の中で聞こえてきました。

精神的にかなりきつかったです。

余談ですが、大人になり鹿児島に住んでる幼馴染と
その時行っていた高校とその近くにある
住んでいた下宿を見に行ったことがあります。

心臓が一瞬でドキバクして苦しくなったので
学生時代は相当追い込まれていたんだと思います。

そこからもう逃げたくて
高校を辞めました。

島に帰って高校に入り直して
ゆっくりリハビリして治して
地元の仲間と野球やろう

そう思って島に帰りました。

次の年の春に一学年下の子たちと
受験し、高校に入り直しました。

そして野球部の練習にも数回行きました。

しかし、やっぱりボールを軽くしか投げれない。
強く投げようとすると腕が縮こまる。

もう思い切り野球が出来ない。

完全に心が折れました。

そこからは学校生活もまともに送らず
遅刻、早退のオンパレード。

毎日面白くなかった。
もうこんな人生嫌だと毎日思ってました。
消えてしまいたいと思っていました。

ただ近くに毎日いてくれる友達がいたので
本当に救われました。

寂しさを埋め合わすように
毎日を過ごし
毎年のように引っかかる留年対象者の追試を
幾度となく受けてなんとか3年生になりました。

そこで初めて進路を考えることになります。

ふらふら過ごしてる中でも
友達の髪を切ったりするのが好きだったので
美容師になろうかなと思ってました。

ただ心の中から湧き出てきた想いは

「僕みたいなこどもを2度と奄美に作りたくない」

そんな想いでした。

当時の僕は早い段階でケガを治すことができたら
人生違っていたかもと考えていたので
それを治せる治療家になりたいと思い
この道を志しました。

そこからは少しづつ毎日が
楽しくなってきたことを
覚えています。

それが僕の治療家を目指し原点です。

だからどうしても子どもへの想いが強くなります。

そして
どこ行っても治らないとか悩んでる人の
力になりたいと本当に想います。

要するに僕は

「こころのやり場のない人を救える場所」

を作りたいという想いが根底にあるわけです。

だからそんな人に
是非僕を知ってほしいと思っているし
僕の想いに共感できる人に
ここに気づいて欲しいと思って
ブログも書いてます。

そして僕の施術は
他のところで治らなかった人を
イメージして磨いてきてるんで
独自の視点やアプローチに
なってきているわけです。

だって他と同じことしてたら
同じ結果しか待ってないですから。

そんな想いを心に秘めて
僕はこの院を作って育てています。

山田修司という人間

僕は現在35歳です。自分で言うのもなんですが
結構濃い人生送らせてもらってると
思ってます(笑)

小学生でも指定難病になってますし
中学校ではケガ、それをユニークに乗り越えること
高校時代は心を病む

こうして書いていても学生時代に
色々たくさんありましたね。

親にもたくさん迷惑や心配かけました。

でもこれが僕の人生です。

全てが嫌になった時もあったけど
今は全てがなければ僕ではないと心から思いますし、
今は本当に僕にしか出来ないとこを
神様に与えてもらったと思います。

だから意外とこの人生が気に入ってます。

そして今度は誰かの幸せな人生のサポートをしたいと
思ってます。

出来ればこの僕の想いに共感してくれる人の力になりたい。

そこには惜しみなく全力で誠実に力になりたい。

だから発信も頑張っていこうと想う。

同じように苦しんでいる人に届いて欲しいから。

と言うことでまたブログもぼちぼちコツコツと
再開していくのでよろしくお願いします。

今度はしっかりとした目的を見つけたから
続くと思います。多分(笑)

長くなりましたがここまで読んでくれて
ありがとうございました。

もし感想やお問い合わせ、ご相談などありましたら
下記のLINEやインスタからメッセージください。
コメントもお待ちしております。


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