飛んでもない時間的光理論(The theory of temporal light that does not fly)
そういえば、「ひゃまの飛んでもない光論」っていうトンデモない理論って、なんなのよ? 説明してなかったと思い、ちょっと説明してみます。
周波数では、波動速度と時間の関係が述べられています。 アインシュタインは、この光速度を不変として時間の進み方が変化することで特殊相対論を組み立てました。 しかし系ごとに見れば、光速と時間の進み方の変化が同じと言う風に見ることもできます。
むしろファインマンの経路積分のように、複数の経路から選択され、時間が決まれば(観測により)光速が測れる。 そもそも物理学における光の特性、粒子と波動の二重性は定義されていても、光が何か述べられておりません。
かの光の波動説を信じていたマクスウェルは「光の波は、電磁波だ」と言っただけで、光が電磁波だとは言っていません。 逆に言うと、一般的になんとなく光が電磁波だと決めつけているけれど、そんな根拠はないのでは? と言うことで、ひゃまの飛んでもない光論では「飛んでない光は時間だ」ということで、理論を組み立てています。 だから「光あれ」っていうのは、時間の発生とともに形が出来たということですね。 同様な考え方にノーベル物理学賞のウィルチェックが提唱した時間結晶は、
非平衡状態による時間結晶は近年、未解決問題から解決問題になりました。
この時間結晶が未解決問題だったころ、アインシュタインの光速度不変の原理(飛んでる光から見て)、ひゃまの非対称性の中から不変な慣性系ができる(飛んでもない光から見て)みたいな、議論がありました。
今では、この解決された非対称性な時間結晶現象は、量子コンピュータなど応用分野でさかんに研究がされています。
アインシュタインの特殊相対性理論の原理は光速度不変であって、ローレンツ対称性の原理でなく、非対称性の中から不変性が現れる可能性をアインシュタインが理解してなかったというより、当時は無理?
それを自発的対称性の破れとかというんでしょうが、時間発展が先にあって不変性が現れるだけで逆じゃね?っていう問題提議ですね。