地域のつむぎ手の家づくり|家づくり通じて多くの人に希望を “古民家”が人生変える、伝統構法にまい進<vol.50/古民家ライフ:山形県山形市>
今回の<地域のつむぎ手>は・・・
「これが19歳の時に私の生きる希望でした」。
山形県山形市に拠点を構え、伝統構法による家づくりにまい進する古民家ライフの高木孝治さんは、かつて1冊の雑誌に掲載されていた1枚の古民家の写真を示しながら、そう振り返ります。
一念天に通ず―。
それから30年余りたったいま、高木さんは工務店社長として、大工の棟梁として、確かな技術と思想で、家づくりを通じて、多くの人々に希望を与えています。
高木さんの名刺には、代表取締役の肩書とともに、棟梁と刻まれています。引き締まった体つきに、どっしりとした風格、頭には白いタオルを巻いている姿が、「まさに現代の棟梁」というイメージを、会う人に抱かせます。
高木さんは、福島県伊達市の出身。かつて実家は、地場の零細工務店を営んでいたそうです。高木さんに大きな転機が訪れたのが、一浪して大学受験を控えていた、暑い夏のこと。「郡山市の予備校に通っていて、ちょうど夏期講習で追い込みをかけていた時期でした。ある日、突然、父が余命宣告されたのです。病名は癌。そこからあっという間に病状は進行し、その年の12月に天国へ旅立ってしまいました。何の心の準備もできていなかったし、その当時の記憶はあまりないんです」と高木さんは当時を振り返ります。
父親が亡くなるのと同時に工務店は倒産しました。残された高木さん一家は、地元には住めなくなり、夜逃げ同然で故郷を離れたそうです。家族で宮城県仙台市にある親戚の家へ身を寄せました。「そんな状況では当然、大学進学を諦めるしか選択肢はなかった。自分にとっては、耐え難い現実だった」(高木さん)。
生きる“希望”を見つけた
地元を離れ、大学進学という目標も途絶えた―そんな時、高木さんは、本屋で1冊の雑誌に掲載されていた写真と出合います。これが「19歳の時に私の生きる希望でした」と後に高木さんが語る、隔月刊の建築雑誌「CONFORT(コンフォルト)」(発行:建築資料研究社)に掲載された古民家特集の1ページです。高木さんは「この写真を見た瞬間に衝撃が走った。俺はこれで生きていくんだ、と。なぜそう思ったのか理由は今でも分からないんですが」と照れながら思い出します。
当時はインターネットも普及しておらず、ましてや古民家の情報も少なかったそうです。高木さんは、まずは経験を積もうと、建築の専門学校を卒業後、仙台市にある設計事務所に1年間勤めました。その時に、雑誌の片隅に建築家で古民家再生も手掛ける鈴木喜一さんが主宰する「神楽坂建築第2期生」の募集を見つけ、それに参加することにしました。
高木さんは「塾長は、建築評論家の平良敬一先生。そこで平良塾長の講演を聞いた私は、頭をガツンと殴られたような気分になりました。それはいい意味でも、悪い意味でも。手仕事ができる職人が減っていく現実、一方で、こんなに素晴らしい家づくりの世界があるんだと痛感しました」と振り返ります。
当時は23歳。そこからは「家づくりの本質を知るためには設計ではなく、現場でたたける大工になるのが一番の近道」と考え、30歳まで伝統構法や古民家再生を手掛ける複数の工務店を渡り歩きながら修業しました。その流れで縁もゆかりもない山形にたどり着き、2006年、その地で古民家ライフを立ち上げました。
「発酵させる住宅」
職人による手刻み、地域材による家づくり、伝統構法、古民家再生―。20代のほぼ全ての時間を棟梁のもとで学んできた高木さん。「神楽坂建築第2期で、一気に視界が開けていきました。たくさんの工務店関係者に出会い、棟梁に教えを請い、学び、自分自身と向き合ってきました」と高木さんは話します。
そんな中で生まれたのが商標登録も取得している『発酵住宅』です。大きな特徴は「想いも発酵させる住宅」、「完全手刻み」、「合板は一切使わない」—の3つ。高木さんは「単なる思いつきで発想したわけではなく、自分の経験が血肉化して生まれてきたもの。特別なものというよりも家づくりに対するこだわりを貫いていたら、必然的に今の形になりました」と淡々と語ります。
必ず住まい手と一緒に山へ
「想いも発酵させる住宅」とは何か。同社が家づくりをする際に、必ずやることがあります。それは住まい手と共に山に行くことです。「『森林伐採ツアー』という、山に住まい手の家の大黒柱を取りに行く取り組みです。林立する木から相談して、1本の大黒柱を決め、山の神様に感謝して、実際に伐ってもらいます。こうしたことをすることによって、想いも発酵して何代も続いていく家ができるのです」(高木さん)。
「完全手刻み」も大きな特徴の1つ。建物の構造はもちろん、それ以外の材木も含めて100%手刻みでつくっています。同社には社員大工が2人いて、その熟練の職人でも、年に建てられる棟数は限りがあります。そのため完全予約制で、手掛ける家は、年間で最大5棟と決めています。
高木さんは「加工場でカットする木のように規格化されていないので、家を建てるときの自由度が増します。プレカットは機械的に量産されるため、コンビニのおにぎりに似ている。そんな誰がつくったかわからないような家なんて魅力がない」と力を込めます。
また、「合板を一切使わない」というポリシーも貫いています。高木さんは「合板は大量の接着剤で木と木を張り付けています。木は水分を吸って伸びる特徴があるのに、接着剤は水分を一切吸わない。つまり、湿気によって伸びる木と、伸びない接着剤、この2つが何年もかけてズレていくと、合板はバラバラになってしまうのです。特に高度経済成長期以降に建てられた住宅をリフォームすると合板がボロボロになっていることが顕著です。住宅は国産材の手刻み、木組み、合板を使わないことが当然であるべきではないでしょうか」と高木さんは投げかけます。
木材については、履歴のわかる地元材のみを使用するそうです。使うのは、半径150km圏内の山形・宮城県産材のみ。乾燥は宮城県の「くりこまくえん」に依頼し、「燻煙乾燥」「天然乾燥」のみとしています。また、左官材には100年以上前の解体した土蔵の土を利用し、「発酵土壁」と名付けて壁をつくります。
発酵と暮らしの里山をつくる
高木さんには「里山をつくる」という今後の構想があります。2020年11月には、加工場に隣接する耕作放棄地となっている約1500坪の土地を購入しました。「薪を拾い、草を刈り、山菜採り、川で魚を釣る…。里山をつくることで、そんな日本人らしい暮らしの循環を取り戻したい。この土地にはそのポテンシャルが全てそろっています。
暮らしの道具を扱うショップや、糀(こうじ)を原料とした料理などを提供するカフェも構えました。家づくりをベースにしながら、里山を通して循環型社会の文化を継承してきたい。それが私の使命だと思っています」(高木さん)。