私の気がたしかならば(オルクセン王国史二次創作)

《───私だ》

突如、脳裏にひびきわたる重々しい声。
研究室で開発の指揮をとっていたコボルト族ピンシャー種の男クレメンスは、バネ人形ように直立不動の姿勢をとった。
声の主は、魔術によって彼の意識に直接話しかけてきたのだ。

「偉大なる首都に輝くヴィルトシュヴァイン料理学校の星にして理事長様……!」
《挨拶はいい、ラーメンはいつできる?出来ませんでは良心がない》
「はい、必ずや……必ず次の発表会には……」
《また連絡します、努力しなさい───》
そう告げると、脳裏に居座っていた重々しい存在感は、溶けるように消えた。

「うぅ……」
「大変だ!」
「研究室長殿が!」
緊張の糸が切れたのか、あるいは心労のためか、崩れるようにへたり込んだクレメンスに研究員たちが駆け寄った。
無理もない光景である。

声の主───ヴィルトシュヴァイン料理学校の理事長であるコボルト族ブルドッグ種のカールは、料理界に並ぶものがいないほどの権威として君臨している。
それというのも、我らが王───グスタフ・ファルケンハインが時に所望する未知の美食の開発に関しては、右に出る者がいない程の指導力を発揮してきたためだ。

そう、『まるでその料理をかつて見たことがあるかのように』王の要望どおりの皿を仕上げてみせるのである。

このことについて、カールはかつて語ったことがある。
夢を見るのだ、と。
あるいは脳裏におぼろげに浮かんでくるのだ、と。

そのようにして作り出された数々の料理が、王をはじめ、オルクセンの社交界、政財界において絶大な支持を受けるに至っている。
このことから、カールのことを『食の将軍様』と呼び、崇拝する者が後を絶たない。

だが、それはあくまで表の顔である。

真実の彼の姿は圧制者そのもの。
もとより、カール本人は料理どころか、まともに包丁を持ったことすらない。
実家の財力にものを言わせて有名レストランを乗っ取り、その一方で料理学校に才能ある者たちを集め、彼らの働きによって今の地位までのし上がったのである。

しかしながら、である。

カール本人が時折ひらめく、突拍子もない料理のアイデアだけは本物であった。
まともな調理の技術もない割に、大まかなレシピについては何故かしゃんとしている。

「私の類まれなる創造性が、究極の美食を描き出すのだ」などと嘯いているが、あながちホラでもないのかもしれないと、配下の料理人たちがカールの天才性を認めてしまっているため、その支配は常に盤石であった。

どことなく釈然としないものを感じていても、である。

そんなわけで、ヴィルトシュヴァイン料理学校には、カールの着想を具現化することを義務付けられた研究室が存在している。
そう、『義務』なのである。
出来ませんでは良心がない。

当然のことながら、彼らに課せられているのは未知の料理の具現化である。
大まかなレシピがわかっているといえど、細かな調理工程、材料の手配、下処理などは、時に困難をきわめる。

中にはカール本人ですら、作り方の見当もつかないものすらあった。
以前、『ワタパチ』なる菓子の開発に挑んだ際には、天才カールといえども耄碌したのではないかと研究室で囁かれていた。

「天使が寝そべる綿雲のごとき柔らかさの中に、雷鳴のごとく弾ける刺激を秘めた飴菓子」と言われても、皆目レシピの見当がつかない。
綿雲状の飴菓子の再現に成功したものの、肝心の「弾ける刺激」とやらが全くわからず、思い詰めた前任の研究室長は雷酸水銀を使用し、精神病院送りとなった。

そして、今回の難題が『ラーメン』とやらである。

カールが言うところによれば、なにやら道洋のヌードルなのだという。
星欧のものと異なる点として、『カンスイ』とかいう特殊な液を練り込むことで、パスタともまた違った独特の歯ごたえを持つらしい。

───そこまでわかっていながら、何故肝心の液の正体がわからないのか。

などと脂汗をにじませながら幾度となく呻いたクレメンスではあるが、愚痴を言っても始まらない。
料理界の絶対的権威であるカールに睨まれては、この業界で生きていくことなど適わない。
何が何でも難題を解き明かしてみせるか、精神病院送りになるか、ふたつにひとつである。

課題はまだある。
そのヌードルに使うスープもまた独特なのだというのだ。
鶏や魚介、野菜などを煮出してとったエキスを、これまた道洋の発酵調味料をあわせることで、芳醇な味わいに仕上げるのだという。

一度試しに、グロワール料理のスープを味見してもらったが、コンソメでは「典雅であるが、脂が少ないためメンに絡まぬ」と言われ、ブイヤベースでは「鮮魚系も悪くはないが、私が求めてるのはブシ系の滋味深い味わいなのだ」と駄目出しをされた。

「だからブシ系ってなんだよ!」

難題は今に始まったことではないが、今回は尋常でないほど注文が細かい。
ヌードルにしても、カンスイの謎もまだ解けていないのに、「機械打ちはまだ無理であろうから、手打ちで細くしなやかに仕上げ、スープとの絡みを良くしてくれたまえ。もっとも、ラーメンといえば本来、生地を手で幾度も伸ばすことで細長く成形するのだが、実態としてはチェンミェンであるのが一般的だから、練った生地を切りそろえてくれれば問題はないだろう。」

一般的?!
一般的ってなんだ?!

カールの独創という話であるはずなのに、既に世間で流通してるかのような口ぶりに、クレメンスは混乱しそうになる頭を必死で冷静な思考にとどめようと努力していた。

おそらく、である。

自分のような常識人の想像からすれば、道洋のいち地方によく似たヌードルがあり、カールはそれを何かしらの書物で読み、着想を得たのであろう。

類まれなる発想力で知られる、我らが王グスタフ・ファルケンハインも膨大な書物を所蔵しているというから、知識の中から閃きを得たという話は大いに有り得る───カールが書物を開いてる様子など見たこともないが、そう結論付けた。

となれば、頼みの綱は道洋の料理について記されている書物である。
ヴィルトシュヴァイン中の書店で集められるだけの料理本を買い集め、研究室で連日議論と試作を重ねてきたが、努力の甲斐もなくクレメンスは追い詰められていった。

《また連絡します、努力しなさい───》

またあの言葉が脳裏に響いた気がして飛び起きると、既に日は暮れ、研究所員たちも帰った後であった。

「飯、でも食べるか……」

何を食べても喉が通りそうにもないが、もう何日もまともな食事をとっておらず、体力的にも精神的にも、ちゃんとした料理を食べるべきであろう。
重たい足をひきずりながら、クレメンスは夜の街へと出かけていった。

すると、どうであろう。

夜の辻になんともいわれぬ不思議な薫りが漂っていた。
魚介のようであるが、それでいて生臭みはなく、熟成を思わせるような芳醇さをそなえている。

クレメンスが匂いのもとを探ると、見慣れぬ形のランタン───紙でできているのだろうか?それと、奇妙なカーテンに異国の文字、こぢんまりとした屋台の看板には、的に当たった矢の絵が描かれているではないか。

───これはもしや!

クレメンスの動悸がはげしくなる。
研究のためにかき集めた書物の中にあった道洋の屋台。
東の海の果てに浮かんでると言われる島国のそれは、たしかに的に当たった矢の看板が描かれていた。
本そのものは古典ジョーク集であったが、文化風俗の資料としては確かなものであったはず!

「へい、らっしゃい!」

カーテンの向こうにあった顔は、まぎれもなく道洋の人間族の特徴をそなえていた。

「すまない、変なことを聞くようだが……この屋台は道洋のヌードルの店なのか?」
「へぇ、嬉しいねぇお客さん!こっちの人らには珍しいらしいんだが、うちの国の蕎麦をご存知たぁ、たいした食通ぶりだ!」

そう言うと、道洋の男は細長くしなやかに切り揃えられたヌードルを煮立った釜の中に踊らせた。

───蕎麦!道洋のヌードルには蕎麦を使うのか!

これは確かに盲点であった。
蕎麦を使ったヌードルは、確かにパスタなどとは異なる独特の歯ごたえがある。
星欧ではパンや粥にして食べるのがポピュラーであるが、わずかにヌードルにして食べる地域も存在していた。

そして、もう一つの謎『カンスイ』のヒントもおそらくこの店にあるのだ。
にわかに膨らむ期待に、ついつい身を乗り出して調理の様子に見入ってしまう。

「具はどういたしやすかい?花巻きにしっぽくなんかもできやすが。」
「しっぽくとは確か、具が沢山のったメニューらしいな。それを頂こう。」
「へい、承知しやした。お客さん、本当にお詳しくていらっしゃる。先程から興味津々のご様子ですが、何か理由でもお有りなんで……?」

うむ、それなのだが、とクレメンスは身の上を明かすこととした。
自分には後がない。
見ず知らずの道洋の料理人にすがるしかない故を語り、料理の秘密を教えてもらおうとした。
無論、カールの本性まで明かさずにではあるが───

「ははぁ、なるほどねぇ。あっしもその『カンスイ』とやらは何かわからねぇが、もしかすると蕎麦のつなぎのことかもしれねぇな。うちじゃ使っちゃいねぇが、山芋の汁を混ぜると風味を邪魔せずに歯ざわりのいい蕎麦が打てると聞くぜ?」
「なるほど、つなぎ!たしか道洋にはジャガイモと異なる芋が複数あると聞いたことがある!」

「それと出汁、スープについてだが、そのブシ系ってのはあっしも使ってるこの鰹節と鯖節のことだろうぜ。木の塊みたいに見えるだろうが、魚の乾物なのさ。」
「これが魚なのか!いや、確かにこちらにも棒鱈のような物はあるが、これほど硬くなるものなのか……」

そうひとしきり感心しながら、クレメンスはしっぽく蕎麦のスープを口にふくむ。
鰹や鯖の乾物からとれるという滋味深いエキスが口いっぱいにひろがり、それを道洋の調味料の芳醇な味わいが見事にまとめあげている。

「となれば、この調味料もやはり……?」
「へぇ、醤油って言うんでさぁ。大豆と麦から拵えるもんで、うちの国の料理には欠かせないシロモノでね。これも何かの縁だ、ひと瓶差し上げますよ。困った時はお互い様ってね!」
「何から何まで本当に有り難い……だが、ひとつ───」

最後にひとつ謎が残っている。
確かにこの蕎麦のヌードルは大変滋味深い味だし、ユニークではある。
しかし、カールが語った『鶏』に『野菜』、そしてコンソメに注文をつけた時の『脂』が欠けているのだ。

何かまだスープに見落としがあるに違いない。
だが自分の知識ではお手上げである。
クレメンスはしっぽくのカマボコを咀嚼しながら、
「実にユニークな食感だ。最初は白いハムかと思ったのだが、まさか魚肉を蒸してつくるとは……これほどの趣向を凝らすのに肉は入らないのだな?」
そう口にすると、

「いえ、ありますよ肉が入る蕎麦も。……あ、そういうことか!星欧人の旦那様方ならむしろ『あれ』の方がご所望なのかもしれねぇ!」


そして、発表会当日───カールの前に一杯のヌードルが供せられた。

カールが目を大きく見開く。
すかさずヌードルを口に運び、スープを口にふくみ、具材に舌鼓をうつ。
このループを繰り返した後、試食の手が止まった。
その見開かれた眼からは、滂沱のごとく涙があふれだしていた。

「なんちゅうもんを、なんちゅうもんを食わせてくれたんや……こんなにうまい蕎麦を食べたことはない。いや、そうやない、ずっとずっと昔、はるか記憶の彼方で食べたことがある……ほんまにうまい。」

その言葉に、クレメンスをはじめ研究室の面々は大きな歓声を上げた。

カールを唸らせた至高のヌードル、それは『鴨南蛮』と呼ばれる道洋の料理であった。

山芋の汁をつなぎに用いた歯ざわりの良い蕎麦に、滋味深く芳醇な薫りをたたえたスープ。
そして、スープの表面をたゆたう鴨の脂。
具材として乗せられているのは、質の良い炭火であぶられた鴨肉と、鴨肉のミートボール、そして道洋の長ネギの香ばしいフレーバーとエキス。

南蛮とはかつて道洋人が星欧人を呼び表した言葉であり、彼の地で暮らした星欧人が好んだこのネギに因んで名付けられたヌードルなのである。

そしてなにより、カール自身が口にした条件と寸分たがわず合致するのだ!

「やりました!やりましたよ研究室長殿!」
「努力の甲斐がありましたね!山芋のネバネバで痒くなったことも、今となっては素晴らしい思い出ですよ!」
「ありがとう!これも皆が支え続けてくれたおかげだ!」

熱い抱擁を交わしあう研究室一同。
その光景にカールも惜しみない拍手を送っていた。

───だが。

「ブラボー、ブラボーだよ諸君。この私、カールさんもね、こんなにうまい鴨南蛮がこっちで食べられるとは思ってなかったからさぁ、思わず感動しちゃったわけ。でもね、ゴメン……これラーメンじゃないんだわ。」

その言葉にさっきまで熱い抱擁を繰り返していた研究所員は凍りついた。

「リテイク!!!」

そんなわけで、『ラーメン』の開発はその後数年は続いたという。

そして夜のヴィルトシュヴァインの辻には新たに蕎麦の屋台が増え、頭頂部に円形脱毛症を患ったコボルト族ピンシャー種の店主が、妙に威厳のあるオークの客から「カレー南蛮はできないの?あとラーメンは?」と言われたとか言われないとか。

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