翼をください(オルクセン王国史二次創作)
───空を飛びたい。
大鷲族たちが自由気ままに舞うヴィルトシュヴァインの空を眺めながら、とあるオーク族の牡はそうひとりごちた。
彼の名はヴィクトル・オリエンタール。
首都に移住してきた中流家庭に生まれ、すくすくと育ち、そう、すくすくすくすく育った故に、身長2.5mにして体重なんと550kg。
巨体でしられるオーク族の中でもとびきり巨体で、そして肥満体であった。
そんな彼にとって、地べたで生きるということは、なんとも忌々しく煩わしいものである。
とにかく体が重い。
床に落としたスプーンを拾うにも腰椎が悲鳴をあげ、しゃがむ度に膝がきしみ、歩けばくるぶしの辺りが耐え難い痛みにおそわれ、ベッドに仰向けなれば息苦しくて眠れず、かといってうつ伏せではさらに息苦しく、一番楽な横向きでは肩や首を寝違え、食事量がとんでもなく多いオークにとってテーブルと同じくらい馴染みのある家具である便座をぶち割ってしまうこともしょっちゅうであった。
「大鷲族には重力を無視する秘術でも存在するのだろうか……」
自身の身体よりも遥かに巨大な大鷲たちが、まるで重力など存在しないかのように自在に大空を舞う姿がうらやましくて仕方なく、そして、自分も空を飛べたらどんなに快適だろうかと憧れたのだった。
───だが、自分には翼がない。
ためしに大きな板ベラを翼に見立ててバタバタと走り回ったりもしたが、息切れしてしんどいだけでなく、慣れない運動で脇腹がつり、さらには膝に水が溜まって2日ほど寝込んだりした。
またある時には、軍が大鷲に乗る飛行兵を募集してると聞きつけ、衛所に押しかけては「お前のような馬鹿デカいオークが乗れるわけないだろう!」と5人がかりでつまみ出されたりを繰り返した。
後に聞いたところによれば、大鷲を含めた鳥たちは、翼を構成する羽を絶妙に操作することで、必要に応じて風をうけ、あるいは、はばたきの邪魔になる空気抵抗を減らして飛んでいるのだという。
そのような複雑なカラクリ機巧はとうてい作り得ない。
オリエンタールがそう考えて大空への夢を諦めかけていた頃だった。
いつものように窓の外を眺めていると、なにやら奇妙なものが空を飛んでいる。
鳥でも蝶でもない。
三角形とも四角形ともつかない形に折りたたまれた紙が───たまたま家の近くに落ちたそれを拾い上げたのだ───空を舞っていたのだ。
聞けば、官邸におわす我らが王、グスタフ・ファルケンハインが、職務に倦んだ時に手元の書類を折って飛ばしていたものが、どう伝わったのか市井の子どもたちに広まったらしい。
子どもたちは『それ』を誰よりも遠くに飛ばそうと、家々の窓や屋根から飛ばしていたのだ。
「こ れ だ ぁ ッ !!!!!」
オリエンタールは近所迷惑も顧みず、大声で叫んだ。
羽ばたく必要など無かった。
複雑な動きをするカラクリも必要なかった。
───ただ『高いところ』から身を投げ出せばよかったのだ!
そして、神のいたずらか、はたまた偶然によるものか、時を同じくしてキャメロット王国で空を飛ぶ道具が考案されたという。
それは『グライダー』と呼ばれる、滑空を目的とした巨大な一枚翼だった。
オリエンタールは早速、大枚をはたいて資料を取り寄せた。
すでに人間族たちはグライダーによる飛行に成功しているらしい。
問題は、自分がオークの中でもひときわ巨大な体を持っているということである。
───はたして翼の強度はもつのか?
最大の懸念はそこであった。
そこで伝をたより、ドワーフのエンジニアに強度と揚力を増したグライダーの製作を依頼した。
木と布で構成されるグライダーの一部をアルミニウムを用いて補強し、遥かに大型となったそれは、源流となったグライダーを開発したキャメロット人に敬意を表しキャメロット語でこう命名された……
「ヘビーフライヤー号!!!!!」
その巨大な翼とともに、オリエンタールはヴィルトシュヴァイン郊外の丘のてっぺんにいた。
めいいっぱい助走をつけて駆け下りれば、いかに自分が巨体であろうとも、風をうけてグライダーが浮かぶはずである、理論的には。
たぶんそう、だと思う。
───いや、絶対そうなると信じたからこそ今日ここに来たのだ!!
傍らにはハラハラした目で見つめる弟と妹の姿があった。
無理もない。
板ベラで羽ばたこうとして脇腹をつっては悶絶する兄の姿を幾度となく見てきたのだ。
今回の挑戦はそれにも増して無茶に思えた。
なにせ、人間族とは明らかに体格が違う。
いかにドワーフの技術を借りたとはいえ、はたしてあの規格外の体が空を飛べるのか?
彼らにできることは、固唾をのんで見守ることだけだった。
「い く ぞ ッ !!!!!」
咆えるように叫んだオリエンタールが、土煙を猛然と巻き上げながら丘を駆けくだる。
さながら、それは極小規模のオーク津波のようであった。
そしてその姿が粉塵にかき消されて見えなくなったかと思ったその時、強く吹いた向かい風とともに
ぶ わ り !!!!!
浮いたのだ!!
あの巨大なグライダーと!!
あの巨大なオリエンタールの体が!!
翼に風をうけ、助走の勢いのまま、空を滑るように舞うオリエンタール。
なんとも華麗で、優雅で、そして不可思議な光景がそこにはあった。
「ぐっ、がっ、ぎぎぎぎぎッ!!!!!」
が、当のオリエンタールは体に食い込む固定ベルトの痛みに必死の形相で耐えていた。
当然である。
空に舞ったところで重力は依然として彼の巨体に作用し続ける。
それでもしかし、至福の時間であった。
長年夢見た大空を自分は飛んでいる。
風の中を滑るように舞う感覚は、これまで経験したことのない不思議なものであった。
遠く彼方には、ヴィルトシュヴァインの街並みが小さく見えた。
大空を見上げる時には一緒にあった大楼も、この時ばかりはとても低く感じられた。
近くの木々も自分の足より低いところにあった。
───飛んでいるんだ!!
───本当に飛んでいるんだ!!
そして、
ぐ ら り 。
突然の横風だった。
オリエンタールはそのまま15m下の地面に墜落。
グライダーは見るも無残な姿に成り果てていた。
星暦896年の夏のことだった。
オリエンタールは、なんとか一命をとりとめた。
全身打撲、骨折数十カ所、無数の裂傷、擦過傷、内臓への大きなダメージも負ったが、オーク由来の驚異的な耐久力と医師の懸命の措置───エリクシル剤の投与もあって───見慣れたベッドの上で床ずれに苦しみながらも、今日も生きていた。
オリエンタールの挑戦と成功、そして事故のニュースはまたたく間に星欧中に広まった。
ある者は勇気をたたえ、またある者は無謀と嗤い、そしてそれ以外の者たちはオリエンタールの常識外れの体格に驚きを隠さなかった。
───オークが空を飛んだ!?
───規格外に馬鹿デカいオークが!?
空を飛ぶことを夢見る者たちにとって、それは福音となった。
横風による事故も後の開発への重要なヒントとなり、翼の機能に対策が施されるようになった。
───そして数年後。
オルクセン王国から遥かに海を隔てたセンチュリースターのとある広野。
大型な二段重ねの翼をもった機体の傍らには、人間族の二人の兄弟がいた。
「今日は歴史的な日になるよ、兄さん。」
「成功は120%さ、なにせコイツは発動機を含めてもオリエンタールより軽いくらいだ。」
その日、内燃機関の力ではじめて人が空を飛んだ。
オリエンタールに憧れたその二人の兄弟は、敬意とちょっとした諧謔をこめて愛機に名前をつけた。
『ライトフライヤー号』