【短編小説】 素敵な雨のはずなのに 12
しめやかに告別式が執り行われる中、柊は考えていた。
結局、自分は椰哉子から繋がりを断ちたいと宣告された男というのが事実であって、なのに彼女が永遠に口を閉じてしまった今、その胸の裡を自分に都合よく解釈するのは恥ずべきことだった。そう、言わば自分は招かれざる弔問客なのだ。
出棺のときを迎えた。もう一度柩を覗き、椰哉子の頬の横にガーベラの花を添えた。ここまでだった。人生のほんのひととき、共にあったこの美しい存在がこの世界から物理的に消滅してしまうところへは到底立ち会えそうになかった。
喪主を務める妙齢の女性が自分のことを目で追っていることには気づいていた。一目見た瞬間から椰哉子の妹であることは分かっていたが、出棺を見送っていると突然霊柩車が止まり、助手席から彼女が降りてきた。何事かと思えば真っ直ぐに歩いてきて、
「あの、早坂……柊さん、ですか?」
「……はい」
「私は椰哉子の妹の紗哉子です」
椰哉子はよく妹の自慢をした。美人で山口市のミスコンにも選出されたことがあると言っていたが聞きしに優る美人だった。紗哉子はもし時間があるなら午後、家に来て欲しいと小さな紙片を差し出した。
「姉からあなたに預かっているものがありますので」
そこには住所と携帯の番号が記されていた。
※ ※ ※
午後五時過ぎ。
柳井津の白壁の町並みを柊はスマホのルート案内を頼りに歩いた。
かつて記憶にないほどの暑さに黒いタイはとっくに外し、上着は左肩にかけていた。通りにまるで人影がないのは、いわずもがなこの灼熱のせいだろう。帽子も日傘もないこの状態で歩き続けたら、あっという間に熱中症になりそうだった。
ただそんな酷暑の中、石畳の道の両側に立つ白壁の家の軒先には、果てが見えなくなるまで赤い金魚ちょうちんが等間隔に連なっている。丸い目と口、金魚の愛嬌ある表情にふと緊張が和んだし、長い胸ビレと尾びれが風にそよいでいる姿には一抹の清涼感を覚えた。
「……あそこか」
甘露しょうゆの蔵の辻を入って少し行ったところに椰哉子の生家はあった。灰色の屋根瓦にまだ高い炎陽が反射して銀色に光っていた。
妹の紗哉子は既に帰宅していて柊のことを待っていた。
線香の香る部屋の奥には仏壇があって、その手前の白い風呂敷に包まれた箱を目にした途端、急に胸が苦しくなった。線香を手向け遺影を見つめていると、紗哉子が盆に麦茶を乗せて戻って来た。
紗哉子は作っているとも思えない至って普通の表情で、東京から来たことを労うと箱の横に置いてあった封筒を持ってきた。
「私が死んだあと、もし東京から早坂柊さんという人がお線香をあげに来てくれたら、この手紙を渡してって言われました」
「……そうでしたか」
受け取ったそれには早坂柊様と達筆な字で綴られていた。紗哉子は小さく笑って、
「見た瞬間にすぐ分かりました。あ、この人に間違いないって。なんだろ、お姉ちゃんが耳打ちしたのかな……」
最後は独り言にも取れたので柊は黙って笑んだ。
「こっちから送らなくていいのかと聞いても笑って、もし来ることがあったらと言われていたんです。あと……」
冷たい麦茶のグラスを手にしたまま柊が首を傾げると、紗哉子は困ったような笑みを浮かべて言った。
「絶対に読んだらダメだからねって、笑って釘を刺されました。読んだら分かるんだからって。そして毎晩化けて出てやるからって」
なんと返せばいいのかと困っていると紗哉子は笑って続けた。
「姉は私が見る限り、死ぬことを全然恐れてはいませんでした。病気が進行してさぞ苦しかっただろうに、家族の前では最期の最期まで茶目っ気はそのままでしたから」
手紙をポーチにしまって礼を言って立つと紗哉子もスッと立ち上がり、そして箱に向かって、
「お姉ちゃん、見てた? 手紙、早坂さんにちゃんと渡したからね」
そして柊に向かい顔をクシャッとさせたその双眸に、美しい涙が溢れていた。
手紙を早く読みたかった柊は甘露しょうゆの蔵の入り口が解放されていることを認めると、そこへ入っていった。蔵の中には誰もいなかった。
土間の広くて涼しい空間にはいくつもの古い樽が置かれ、土産物が並んでいる。一本の木で作られた長い腰掛けがあって、柊はそこへ勝手に腰を下ろすと一息ついてポーチから手紙を取り出した。
正真正銘、これが椰哉子からの最後のメッセージだった。