【短編小説】 素敵な雨のはずなのに 7
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「それじゃあ、敷島椰哉子先生の堀川文学賞受賞に乾杯!!」
「お、乾杯!」
混雑する店内に生ビールの中ジョッキがガチッと音を立てた。
新橋四丁目にあるやきとん屋は営業部村上の行きつけ。長い付き合いの村上と柊は忘れない程度に連れ立って飲みに出た。カウンター席で横並びの村上は一気に空けたジョッキを置きながら、
「早坂、おまえからも先生に連絡はしたんだろ?」
柊は軽くうなずいた。
「ひとまずメールでね。忙しいみたいで、まだ返信は貰えていないよ」
必ず来ると思っていた質問を柊は事実でサラッと躱した。
「ま、そうだろうな。けど近いうちにまた書いてもらいたいよなあ」
柊はもう一度軽くうなずいて中ジョッキを呷った。
七月第一週の週末。この時期の仕事帰りの一杯はたまらなく美味かった。ましてや柊は東銀座みゆき通りで打ち合わせの後ここまで街の中を歩いて来たから、突き出しの冷奴だけでジョッキが空になった。
「それにしても今回の敷島先生の受賞はつくづく嬉しいよなあ。何つーか、まだまだ文壇も捨てたもんじゃないというか、今後の文学界に希望の光が差し込んだような気さえするね」
「確かにそうだよな」
二杯目の中ジョッキの泡を啜ると、村上はやきとん串を齧りながら一気に捲まくし立てた。
「敷島先生の作品って王道の純文学じゃんか。そういうのって今の時代に売れるかといったら正直どうかなあってずっと思ってたのよ。そもそもいい作品イコール売れる作品じゃないってことを、俺たちは嫌ってくらい知ってる訳でさ」
二人で飲むともちろん文芸談義が始まる。村上は入社以来、週刊誌やイベント関連など一貫して営業畑を歩いてきたが文芸書に対する思いは熱く、酒が入れば毎度のように熱弁を奮った。
「そう言やあの頃、おまえさんから敷島先生の販促をもっと展開してくれって言われて困ったんだよなあ」
柊は空豆の皮を剥きながらフッと笑った。
「他の作品だってたくさんあるし……うちの会社も昔は景気良かったけど、数年前からすっかり勢いが無くなっちまったからなあ」
「僕も分かっちゃいたけどね、無理言ってるなあって。でも担当編集としては自分の関わった作品を少しでも多くの読者に届けたいって、頭の中にはそれしかないんだよ」
「気持ちは分かるけど版元の営業ってのも実は立場が微妙でさ。会社なんてのは所詮売り上げてナンボだろ」
以前こんなことを語るときは決まって自嘲気味だった熱血営業マンも、営業副部長の肩書きで毎日数字と睨めっこするようになるうち、ずいぶんと丸くなっていた。
「敷島先生の作品と同じ時期に、本当にこんなのをうちから出すのかって言いたくなるような、文章もプロットもベタな内容の小説が出てきたろ」
「ああ、あれな……絵文字バンバン使ってたからなあ」
「けどそれを人気アイドルが読んで、その感想をSNSにあげた途端、一躍大ベストセラーになっちまった」
二杯目の中ジョッキもたちまち飲み干して口を拭った。
「結局、版元にしろ書店さんにしろ書籍販売を生業としてる者にとったら、少しでも話題性があって売れる本こそが正義であり、結果いい作品なワケでね……」
村上はぷうっと息を吐くとカウンター内の女性店員に、三杯目はハイボールを注文した。
「でもさ、自分が本当にいいものだって思う作品に光が当たるって、やっぱり嬉しいんだよな」
柊は笑ってうなずいた。
「村上、今日はペースが早くないか?」
「ん? そりゃそうだよ、なんたって敷島先生の受賞祝賀会だぜ。ああ、敷島先生がいまここにいてくれたらなあ。ま、あの美人をこんな場末のやきとん屋に招待したら失礼かもしれないけどさ」
「いや、彼女はこういう感じの店、大好きだったよ」
すると村上は細い目をやおらスーッと更に細くした。
「……なんだよ早坂。こういうとこ、先生と来たことあんのか?」
「だってそりゃ……作品三つ、一緒に仕事させてもらった訳だし」
「それ聞いてねえぞ。ちぇっ、役得だよなあ」
村上は椰哉子の清楚な雰囲気が好みだとよく言っていた。もちろん柊と椰哉子の間に過去に何があったのかは知らない。
食べ終わったねぎまの串を壺に入れていると、村上はスマホに着信したメッセージを見て、それに返信しながら言う。
「活字を読んで光景を想像するというのは、そもそも写真だの映画が庶民に普及してなかった旧い時代の娯楽であって……その黄金時代は、明治から昭和の最初の頃で終わっていて」
酔っ払ったときの毎度の嘆きだった。若干スマホに集中した村上に代わって柊は言葉を続けた。
「で、現代の版元はそこから今日に至るまで残滓の中で生き残ってきたけど、いよいよスマホにとどめをさされる……ってか」
メッセージを送信し終えた村上が柊を見て言った。
「……そ」
二人同時に唇をへの字にして、互いに鼻で笑った。
「村上、もう一軒行くか?」
「いや、今日は……もういいかな。結構飲んだよ。俺、これから八千代台まで長い鉄旅だし」
店を出て腕時計を見るとまだ午後八時半だったが、すでにいい具合に酔っていた。連なる飲み屋の客引きを躱しながら村上がボヤく。
「なんかさあ、文芸なんてのはもう時代遅れなのかもしれないよな。けどさ、俺たち版元は日本語という美しい言葉で編んだ文芸っつーものを後世に伝えてゆく責務を実は負っていて、正に今そいつを試されてるような気もするんだよな」
「ま、確かに俺たちはすでに時代に取り残されているのかもしれないよな」
村上は突然ニッとして、
「ところで早坂よ、おまえさんはなんで斜陽のこの業界にいるんだ?」
「はあ? なんでって……この歳になって今更キャリアチェンジもないだろ?」
「惰性ってヤツか……。まあ、みんなそうだよな。でもさ、おまえはこう言ったら何だけど独り者だし、とりあえず自分だけ食ってけりゃそれでもいいっちゃあいいワケじゃん?」
「まあね。実際気楽といえばそうなのかもな。でも先々ずっと一人っていうのも寂しいんだろうなあって、最近はよく思うけど」
そしてSL広場の真ん中で二人は向き合った。
「本当にこの先どうなっちまうのか分かんないけどさ。まあ、俺はしっかり売るからさ。早坂、おまえはしっかり作家さんのサポートをして、いい物語を作ってくれよ」
「了解! また来週な」
行こうとして村上は首を鳴らしながら嘆いた。
「しっかし、素敵雨はうちから出して欲しかったよなあ。それじゃあな」
柊は黙ったままうなずいて顔の横で手を振った。
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