政治についてまじめに考えてみた⑫ 東京一極集中其の弐
結論から申し上げますと、東京の一極集中は20年から30年のスパンで解決を図らねばならない、ということに尽きます。
逆に言えば、現段階ではその20年から30年の時間稼ぎをするような施策が必要だ、ということにもなります。
そもそも東京にヒトが集まるのは、
「そこに行けば何でも揃う。欲しいものが手に入る」
という幻想に近い思い込みがあるからです。
確かに東京にはモノ、カネが集まります。必然的にモノやカネを手に入れたいヒトも東京に集まります。
では、モノやカネが価値のすべてかというと、決してそうではない、というのは誰もが肯うところではないかと思います。
美味しい空気や水、真夏の夜に冷房不要な気候、緑に囲まれた生活、渋滞やラッシュのない交通事情、安価に手に入る住居というのも十分に価値たりえるはずです。
しかし、欧米的な価値観、言い換えれば物質に重きを置く価値観が蔓延している現代社会においては、これらの価値というのは相対的に低く見られがちです。平たく言えば魅力的でない(というかモノやカネの揃った生活に魅力を感じる人が多い)、ということになります。
然しながら昨今、SDGsだとかサステナビリティだとかいう横文字で表される世界的な動向、いわゆる「持続可能性」の価値は確実に高まっていて、何ならモノをとことん使い尽くす江戸時代の生活であるとか、自然信仰に近いような日本古来の価値観とかは、正に「持続可能性」を体現するものであります。
つまりサステナビリティなんてものはとっくの昔から日本人のDNAにばっちり染み込んでいるわけで、私などは「やっと時代が日本に追いついてきた」くらいに思っています。
何よりも10代、20代の若者は50代、60代の老人(ごめんなさい)よりも確実に環境や持続可能性に対する意識は高まっています。なぜなら学校でそういう教育を施しているからです。
つまり、東京の一極集中是正には、
①若者の価値観を昭和〜平成の価値観で上書きしないこと。
②若い世代が国を、時代をリードできるまでの時間稼ぎをすること。
という2点が必要だということになります。
よく言われることですが、鉄筋コンクリートの建物の耐用年数は50年だそうです。今からこういう箱物を増やせば10代の若者が60代になるまでその箱物は残り続けます。しかも今よりも少ない人口でその箱物群を維持していかねばならなくなります。
もちろん人が集まれば自然と箱物を増やす必然性がでてきますが、50年後もその箱物が必要だという保証はない、それどころか日本全体として人口減少期に入っているので、箱物は確実に不良債権化します。
中国だかどこだかで超高層マンションを建て始めたら、そこにそれだけたくさんの人が住むことはないと分かって建設途中で(笑)そのマンションが放棄されたという報道を見ました。
これは全然笑い話ではなくて20年後の日本でも起こり得る現象だと考えます。もちろん建設途中で放棄するなどということはさすがにないでしょうが、「誰だ、この建物を建てたやつは」という怨嗟の声が過疎化の進む地方ではなく東京都から聞こえてくるという未来も十分に考えられます。
そんな恐ろしい未来を回避するには、やはり教育の力しかないと教員らしく語ってみたりしているわけです。
しかしその教育を受けた人が社会に出るにはあと10年程度、社会の中心で活躍できるようになるには更に10年〜20年の年月が必要になるだろうというのが私の見立てです。
それまでの期間、今の現役世代にできることは、「大量生産・大量消費」の価値観を捨てて「持続可能性」の価値観に目を向け、今の10代〜20代が社会の中心で活躍できるための時間稼ぎをすることしかないのではないか、と思う次第です。