自粛警察という日本の病
自粛警察という言葉が最近メディアを賑わせています。
自粛警察とは、最近の緊急事態宣言下で、周りが自粛をしているかどうか目を光らせ、自粛していない人や店を見つけたら抗議する人たちを指しているようです。
例えば公園で子どもが遊んでいる、飲食店が営業していると警察に通報したり、お店に嫌がらせの張り紙をしたり、県外ナンバーの車に嫌がらせをしたり、パチンコの並んでいる人に怒鳴り散らしたりと例をあげれば枚挙にいとまがありません。
そのような行動をとる気持ちは解らないでもないです。
長引く自粛ムード、いつ終わるか解らない
自分はこんなに努力しているのに
景気が悪くなる実感があり将来が不安だ
家の中でも外でも目に見えないウイルスに怯えており、ストレスも限界だ
「それなのに」
週末には海や山に人が行っているようだ
隣の家は未だに家族で買い物に行っている
あそこの飲食店は未だに営業している
都心に向かう電車は相変わらず密だ
こんなんじゃいつまでたっても自粛が終わるわけない
そのように考えて、「自分」が正しいと判断した事を人に必死になって押し付ける、その気持ち解ります。誰だって自分が可愛いですし、自粛は早く終わって欲しいですし、自粛によってストレスたまりまくりですもんね。
1.想像力の欠如
でも、それってやっぱり想像力がストレスによって少し欠如してしまってるのかなと思うのです。自分の正義を相手に押し付ける前に相手の立場にたって考える姿勢が大切です。もちろん中には言い訳もできないほどに相手が悪い場合もあるでしょう。でも、ニュースで伝わってくる情報なんてほんの一部ですので、その切り取られた一部だけでけしからんと声を荒げるのは違うと思うのです。
例えばGWに県をまたぐ移動をした人へのインタビューを見て、批判することは簡単です。ですが、批判する前にどんな事情があったのかなと想像して欲しいのです。自分が逆の立場だったらどんな状況かなと。
さいきん、ある人のnote記事を読みました。その記事では携帯を持たない人の話が紹介されており、会話の中での問いをスマホで検索しようとしたら「調べないでよ、想像して考えるのが楽しんだからさ」と言われたそうです。スマホという便利なツールを手にして情報が溢れている時代に生きていることから、知らず知らずのうちに想像力が弱くなっていることってあると思うんです。ニュースを見て感情的になるより、背景を想像するほうが楽しいと思います。
2.不寛容な社会
日本は島国であることから人口に占める日本人(細かく定義はしませんが)の割合がかなり高いです。学校教育も個性を伸ばすよりも平均的な均質的な人間を育てることを主たる目的としてきました。そのため、周りと違うことを恐れ、普通やみんなと一緒を好む傾向にあります。このような文化が同調圧力を生み出しているのではないかと思います。
また、同調圧力が蔓延し、国民同士が監視する状況は、第二次世界大戦下の日本における隣組を思い起こさせます。
自粛して当然という空気を作り、そこから外れた人たちを自己責任論で叩きまくってリンチし、自粛を国民や企業任せにし相互監視している現状は明らかに非常事態(異常事態)です。
TwitterやYahooコメントは、①共感力が低いコメント、②想像力が乏しく他者のおかれた環境への無理解なコメント、③ストレス発散のための誹謗中傷が多くて、自分は正しく相手は誤っているといったスクラッチが多く見られます。自粛を守らず感染した人はもはや犯罪者扱いです。。。
話はちょっとズレてしまいますが、そもそも犯罪者に必要なのは厳罰ではなく、治療や赦し、更正の機会なのではないでしょうか。日本は失敗した人、過ちを犯した人に対して本当に厳しい文化なので、多くの人は刑罰が軽すぎると思っていますし、犯罪者に必要なのは厳罰だと思っています。でも、その考えの行き着くところって、国家に強大な権限を与えて、国民をルールベースで徹底的に管理するという(ある種中国のような)窮屈な社会だと思うんですよね。
過去にとらわれて、過ちを犯した人をスクラッチして閉じ込めたり殺したりするんではなくて、将来に向けて再発を防ぐ仕組みを徹底的に考えるとともに、過ちを犯した人を救うことを考えていかないとと思うわけです。
そのためにはリスクを排除したり他責にするのではく、リスクを社会全体で受容し自責の考え方をベースとした寛容な社会文化の醸成が必要で、それを実現するためには教育や啓蒙活動が効果的かなあと思います。
自粛警察には、そんな日本に巣くう病巣が見え隠れしているというそんなお話でした。ちゃんとまとめられずすみません。また頭がクリアな時に見直してみます。笑