心が穏やかでいられる瞑想? #5
朝起きたら、まずは朝ご飯の準備。
僧侶にご供養する用にお米をお皿に盛っていく。
(この行為をタムブンというらしい)
6時半になると僧侶たちがやってきて、僧侶の持ってる鉢に1口分くらいのご飯を入れていくのがRice offeringの時間。
僧侶が全員から受け取りおわったら、晴れて私たちも朝ごはん!
質素なご飯を想像してたけど、おかずもちゃんとあって一安心。
大豆ミートっぽいやつを使ったものだったり、かぼちゃを煮込んだものだったり、割と毎回内容が違ってて、食べもの命な私としては、これは嬉しい誤算だった。
そして、気になる1日のスケジュールはこんな感じ。
ヴィパッサナーと呼ばれる瞑想の練習を朝と昼に行うんだけど
歩く瞑想→座る瞑想→横になって瞑想
が一連の流れ。
歩く瞑想は、15分もしないで歩ける道を30分以上かけてゆっくり1歩1歩踏みしめながら歩くの。
歩いてる最中は、ただ、歩くことだけに集中できることもあれば
疲れた、とか
暑い、とか
虫が気になる、とか
嫌な感情とかも浮かんできて、心が穏やかじゃないときも全然あって。
けど、
僧侶いわく、
それらが心を掻き乱す訳ではないと。
もちろん、私は、
??
って、なる。
もう少し自分ごとにしてみると、
私なら蚊に刺されるのが本当に嫌で
刺されたら痒さに気をとらわれちゃうし、
刺されたことで最悪だーって気持ちになる。
けど、痒いのは体であって、
心が痒いと思ってるわけではないと。
だから、蚊に刺されたとしても心は穏やかなままでいられると。
変わらず
??
って感じかもなんだけど、笑
歩き疲れて足が痛いのも
足が痛いのは身体の状態であって
心が痛いと思ってるわけではない。
だから、ただただ足が痛いという状態を認知するだけで、
それに対して、しんどいとか辛いとかはなく、気持ちは穏やかなままでいられると。
ふむ。
これまた、分かるようで分からないような
分からないようで分かったような。
つまりは、メタ認知的なことで
どんなに嫌だと思ってる状況、状態だったとしても気持ちはそこに左右されず、俯瞰して捉えれば、心の平穏は保たれるってことかな?
と、解釈。
こいつ、さっきから同じこと何回も書いてるなって感じかもだけど
何度も落とし込まないと
これを意識するのがまた難しくて!
蚊に刺されたらやっぱり痒いし
痒いの好きじゃないし
そしたら気持ちもやっぱり下がるんだもの。笑
だからこそ、練習が必要なんだろうけど。
改めてネットで調べてみたら、ヴィパッサナー (Vipassana) っていうのは、物事をありのままに見る、という意味だった!
よく、
ありのままの自分でいたい。
とか、
ありのままのあなたでいい。
とか、
いろんな人がいろんな形で言ってるし
私もそうでありたいと思ってるけど、
実際のところは、自分にとって都合の良いように解釈しちゃうことも、見栄を張っちゃうこともザラにあるし、
ありのままって、どうやったらそういられるん?って思うことが
今でも全然ある。
でも、ありのまま。って練習しないと到達出来ないんだなって思ったら、
ちょっと気持ちが楽になった。
To be continue…