見出し画像

22年間生きて、一番孤独に感じたこと

毎日書こうと思いつつも、やはり書き始めるきっかけがないと手が動かないものである。書く内容はいくつもあるのだけれど。とあるアプリで思い出深い人の生歌を久しぶりに聞いたり、「SCHOOL OF LOCK!」で僕の大好きなてち・平手友梨奈ちゃんの卒業式があったり、他にも色々あったりで過去を思い返させる出来事が続いたから、今これを書き始めるに至っている。あ、画像はNEWアイコンのイラストね。

春ってしんどくなるよね

そういえば最近、Twitterのタイムラインはメンタルがしんどそうな人が多い。春は別れと出会いの季節とか言うし、色んな出来事が起きやすいから仕方がないね。そんなタイムラインを見て、「この時期は自分の味方が一気にいなくなっちゃうように感じやすいよね」ってツイートをしたんだけど、今回は僕が今までで1番孤独を感じたことについて書こうと思う。

強い孤独を感じてるとき、本当に追い詰められているときに、人はどうやってそれを乗り切っているのだろうか。僕は仲のいい友達とかに何か言われても、それが嘘っぽく聞こえて受け入れられなかったり、なぜか自分が責められているように感じたりする。生きにくい生き物だと思うよ、人間は。自分が調子がいいときは、周りがしてる話がみんなよく聞こえたりするのに、自分がしんどいときには、その逆になる。しんどい時にこそ、周りの人に助けられたいのにね。じゃあ、どうやって、その精神状態を回復させているのか。本題に入る前に自分の回復方法についてくらい記そうと思う。

上に書いた通り、僕は自分が本当にしんどい精神状態にあるとき、人と触れ合うことでさらに悪化させるようなタイプだ。だから、そういう時は進んで1人になるようにして、必要以上に人と接さない。反対に、1人で居ても何もしていなかったらそれはそれで前回のnoteに書いたように、色々考えてしまって悪化させるようなタイプでもある。僕は頭に考える余裕を与えないように、何曲か知ってる程度のあまり詳しくないアーティストの曲を聴きまくることをよくやる。ただ聴くっていうよりは、歌詞もしっかり読んで、ひたすら聴き込んで頭にいれるっていう作業だ。

欅坂46を好きになったわけ

僕が1番孤独を感じたとき(まあこれから本題で書く内容のことが分かったとき)の少し前の話。たまたま学校の先輩から欅坂46のアルバム「真っ白なものは汚したくなる」を貰った。元々アイドルグループに対してすごく苦手意識があったけど、唯一それがなく、でも進んで聞いたことはない。有名どころ数曲を所々しか知らなかった僕にはちょうどいいプレゼントだった。そして色々あって無理になったときに、そういえばまだ聴き込んでなかったなと思って、初めて一曲一曲をしっかり聴いた。MVもみんな観た。欅坂46は孤独とか世の中と向き合ってる「僕」に対する曲が多くて、色んな曲の歌詞が想像以上に当時の自分に寄り添ってくれた。その歌たちだけが自分を否定しないで慰めてくれているような、MVのてちが自分のことを守ってくれているような自分の代わりに社会と戦ってくれているような、そんな感じだった。僕は単純だから、それから欅坂46とかてちの情報を調べるようになってどんどん好きになっていった。今でも、欅坂46とかてちの曲とか活動は僕の生きる支えみたいになってる部分がとても強い。

さて、本題の前に

今日書くことは、もう察してる人もいるかもだけど、僕の性別云々に関する話。実際にこの話を伝えたことがある人は、数えられるくらいしかいない。正直リアルの人にはあんまり話したいと思わないからね。リア友のその君は知ってることしか書かないと思うから、もう頁を閉じていいよ。別にどうしても読みたきゃ読んでもいいけど。でも100を伝えてるわけじゃないから、読んでも全部知った気にならないでね。

「LGBTQ+」とかのセクシャルマイノリティの話だから、そういうのが苦手な人もここで頁を閉じよう。僕のリアルの友達でも無理な人は何人もいるし、別にこれを読まなくても僕が僕であることに変わりはない。でも折角だから読まないで閉じる人は、とりあえず欅坂の曲でも何曲か聴いておいてほしい。「エキセントリック」「黒い羊」でも聴いてくれればそれで十分嬉しい。

読んでくれるよ、っていう人はありがとう。まあ力を入れずに、適当に読み流してくれたらいい。どうせ、当事者じゃないと分からない話だから、理解なんてしようとしなくていいんだよ。下手に理解した風の反応・対応をされても、こっちはかえって悲しくなったりするからね。

やっと本題

セクシャルマイノリティには、「LGBTQ+」っていう言葉の他に「SOGI」っていう概念がある。今回は「SOGI」を使って書いていこうと思う。「LGBTは知ってるけど『Q』って何?」って人のためにQについてだけ説明を書いておくね。LGBTがわからない人は、調べればいくらでも説明してもらえると思うよ。

Q(クエスチョニング)…自分の性別がわからない・意図的に決めていない・決まっていない人
(Qにはクィアという意味もあって、これはしっかり理解しようとすると僕でも難しい。まあ簡単には、セクシュアルマイノリティの総称だと思ってくれればいい。)

SOGIって何?

じゃあ、SOGI(僕はソジって読んでる)について簡単に説明しようと思う。SOGIは「Sexual Orientation and Gender Identity」の頭字語で、日本語だと「性的指向と性自認」って意味になる。性的指向は「どんな性別の人を好きになるのか」、性自認は「自分自身のことをどういう性別だと認識しているのか」を表す言葉で、これはLGBTQ+とは違って全員が含まれる考え方なんだ。例えば、一般的に考えられてる「異性愛者」っていうのは、

性自認  ➡︎ 自分の体と心の性が一致してる(僕だったら女性)
性的指向 ➡︎ 異性愛(自分とは違う性、女性だったら男性、男性だったら女性)

って感じで表すことができる。これに当てはまらない人がよく「セクシャルマイノリティ」って言われている人たちのことで、僕はこっちに入る。僕の場合は、性自認も性的指向も上の通りじゃない。まず、性自認から説明していこうと思う。

僕のGIについて

「Xジェンダー」っていう言葉を知っているだろうか。最近割と聞くようになった気がするから、聞いたことくらいはあるんじゃないだろうか。これは男女どちらにも当てはまらない人だったり、性自認が男性・女性の間で揺れ動いている人のことを示している。Xジェンダーは、さらに中性・両性・無性・不定性の4つに分類される。詳しいことは書かないけど僕はこのXジェンダーの無性かな、今のところ。

そういえば最近の学生(中学生とかかな)、授業でセクシャルマイノリティについて習った人が意外といるみたいだ。僕のときはまだ学校で習ったりなんてすることはなくて、ちゃんと知ったのは結構最近になってからだった。ただ自分がXジェンダーであることに対してはそんなに驚きはなかった。思い当たる節が多かったからね。男女どちらに対しても同じ距離感でしか接せなかったし、「女子だから〜〜〜」「男子って〇〇」みたいな会話がとっても好きじゃなかったし、バレエを習い始めた時はトウシューズじゃなく男性のダンスに対して憧れてた。そして何より、女子らしくすることを求められるとなんでか分からないけど、いつも心がしんどくなった。中高生のときなんてみんなに「自分は男子だから」とか「自分は女子じゃないから」って言って、出来るだけ男子っぽく振る舞うことでクラスメイトとか先生にも男子として認めてもらって過ごしてた。まあ、この当時は無意識に女子であることから逃げたかっただけだったんだけど。女子として扱われることに対する違和感と同じくらい男子として生きようとしてる自分にも違和感を感じていた。Xジェンダーの存在を知ったときは、女子でも男子でもない立場にいて大丈夫なことに驚きもあったけど、それよりも安心感があった。女子でも男子でもない孤独感っていうのは物心ついた時から持っていたから、Xジェンダーであることを知ったときは仲間がいることに対しての安心感が強かったのかな。

僕のSOについて

僕が1番孤独を感じたときは、性自認というよりも性的指向の話。あ、別に好きになる性別は今のところ男性なんだけどね。僕はノンセクシャル(非性愛)っていって、恋愛感情は抱くけど他者に対して性的欲求を持たない性質を持っている。似た言葉でアセクシャル(無性愛)って言葉もあるんだけど、これは恋愛感情も性的欲求も持たない性質のことだ。僕の場合は、人のことは好きになるけど、性的欲求がないっていうちょっとややこしい感じのやつ。好きな人に触れたいって思わない。例えば、手を繋ぎたいとか、キスしたいとか、その先をしたいとかを思わないんだ。「それ本当に好きなの?」って感じた人は小さい頃の恋愛を思い浮かべてもらえればイメージしやすいかな。ただ好きな人と仲良くできたらそれで十分満足に感じてしまう、触れ合う行為を不必要とか邪魔な要素に感じてしまう。ノンセクシャルの人は、嫌に感じること・出来ること・無理なことのボーダーラインが人によって全く異なるから難しい。僕の場合は、恋愛感情を一切持っていない人同士だったらどんな触れ合いだろうとも出来る(自分からしたいとは思わない)けど、恋愛感情がどちらかでも入ってたりすると触れ合いたくないと思ってしまうことが多い。きっと、ややこしくて、意味がわからないね。僕だって、訳がわからないと思ってるよ。

自分がノンセクシャルだと自覚したのは、割と最近のこと。それまで付き合ってた人もいたし、自分にそういう気持ちがあることも察していた部分もあったけどね。ノンセクシャルなんて存在を知らなかったから、自分の持っている「好きな人に触れたいと思わない感情」は、自分が異端で間違っていることで直さないといけないとずっと思い続けていた。直さないといけないと思っていたから、人に打ち明けることができなくて、当時付き合ってた人にもその感情を隠して接してた。そうすると、相手は僕から求められないことで「本当は好きじゃないのでは?」っていう不安を感じて、それで束縛がひどくなったり喧嘩したり色々トラブルが起きる。もちろん相手を不安にさせてるって分かった時に、まだノンセクシャルってワードは知らなかったけど「好きだけど触れたいと思わない」ってことは伝えたよ。それを受け入れてはもらえなかったけどね。

自分がノンセクシャルだと自覚した時、自分だけがおかしいわけじゃないことを知って、もちろん安堵もしたんだけど。それまでは頑張れば直せると思っていたから、今後も変わらないことに酷く絶望をした。これから先、また人のことを好きになっても相手に触れたいと思えないことで、また相手から自信を奪ってしまうのだろうか、相手を酷く傷つけてしまうのだろうか。自分のことを打ち明けても、また受け入れてもらえずに否定されるのだろうか。そんなことをぐるぐる考えて、人と付き合うことが怖くなって、自分はもう人と付き合わない方がいいって結論も何回も出した。実際に好きな人に告白されて反射的に断ってしまったこともある。付き合うことが怖くなったのには、前の付き合ってた人とお互いに無理をしてずるずる付き合ってたことで傷つけ合いすぎてしまったから。そのときは付き合っていたかったけど、無理すると想像以上に後に響くものだね。

僕は別に、恋愛に重きをおいている訳ではなかった。けど、自分だけがおかしい訳じゃない・自分を認めてもいいんだと安堵したと同時に、また相手を傷つけるかもしれない・相手に拒否されるかもしれないという不安も抱えて、心が一杯一杯だった。自分なんていない方がいいんじゃないかとか、色々考え始めて、1人で勝手に強い孤独感に襲われてた。話がようやく最初に戻るのだけど、そんな時に助けてくれたのが欅坂46の曲たちだった。上で名前を挙げた2つは特に歌詞に助けられた曲だ。

ここまで5000字近くあったんだけど、最後まで読んでくれた人は本当にありがとう。でも、読んだからって別に今までと接し方を変えてほしいとか、こういう話は避けた方がいいとかを君たちが考える必要はないんだよ。女子扱いとかだって生まれた時からされてることで今更なんとも思うことなんてないし、腫れ物じゃないから腫れ物扱いなんてする必要もない。

僕が僕であることに違いはないから。