30歳、もう「元気を出す」のはやめる
30歳になりました。
お祝いのメッセージをくださったみなさん、ありがとうございました。
12月16日、今年初めて取材で訪れたカザフスタンの独立記念日であり、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が公布された日でもあります。完全にこじつけですが、大切な意味のある日に生んでもらったなあと感じています。
このところ体調を崩していて、多くの方にご心配とご迷惑をおかけしました。
連絡がほとんどできない状態だったので、遅ればせながらご返信などさせていただいている次第です。もしレスポンスできていないお話がございましたら、大変お手数ですが再度お問い合わせいただけますと幸いです。色々ゆっくりと再開しています。
お休み期間中は、本を読んだり自然の中に出かけてみたり、久しぶりに自分の時間を過ごさせてもらっていました。
最近は取材にも出かけられるようになってきて、何かものを書きたいという気持ちも戻ってきました。
30歳という節目の年齢を迎えたので、改めてこれまでとこれからについて考えてみようと思います。
10年前……つまり20歳の時は、とにかく新聞記者になりたくてがむしゃらでした。サークル活動を頑張って、インターンシップにも参加して。ヒロシマを志したのもこの頃でした。被爆証言を初めてお聞きして、何も知らなかった自分に情けなさを感じていました。
22歳で新聞社に入社、希望した広島支局に配属されました。
当時の日記に書いた目標は、次の3つです。
①は、十分すぎるほど達成しました。泣いて笑って食べるどころか、めっちゃ飲みました。
②は悩むことばかりでしたが、まあ達成できたかなという自負はあります。しかし、フリーランスになってからは特に周りからの見え方や反応が気になって、自分軸で考えられていない時があったなという反省もあります。改めて自分の感性や意志に立ち返りたいです。
問題は③です。もう、まったくダメ。
昔から、全力疾走しては倒れ、全力疾走しては倒れ、を繰り返してきました。
中学3年生の時、夜中の3時まで勉強しつつもバスケ部の朝練に出る毎日を続けていたら、引退試合の1週間前に胃腸炎になって寝込みました。高校に進学して野球部のマネージャーになると、全部員に3種類のバレンタインデーチョコレートと手書きのメッセージを用意し、疲労困憊で翌日から発熱。しばらく学校を休みました。
3年や4年といった区切りのある学生生活はそれでいいかもしれません。だけど、「働く」って人生そのもの。「走り切る」より「続ける」ことの方が大事だよな、と就職する前から考えていました。
それで、新聞記者としては「走り切るより走り続ける」という目標を掲げたのです。しかし、振り返ってみるとあいかわらず「走っては倒れ」を繰り返してばかりでした。企画に熱中して休みなく取材と執筆を追い込んで、そのあとしばらくもぬけの殻で何もできなくなる。お決まりのパターンです。
今回体調を崩したのも、過剰に詰め込んで頑張ってしまったことが一因にあると考えています。
せっかく22歳の自分が良い目標を掲げてくれていたのに、情けない……!
30歳以降のこれからの人生こそ、ペース配分に気を付けながら「走り続ける」ことができたらいいな、と思うのです。
では、どうして「走り切って倒れる」を繰り返してしまうのか? 少し考えてみました。
私は気持ちの波がかなり激しいタイプです。
調子の良い時には仕事も家事も絶好調、いろんなことを楽しみながら進めることができるのだけど、一度落ちたらもう全然ダメ。連絡もお返しできないし部屋もぐちゃぐちゃ、何もできなくなってしまいます。
不安定な自分を自覚しているからこそ、「頑張れる時に頑張っておかなきゃ!」と、「元気の前借り」をしながら過剰に動いてしまうクセがあるようです。
加えて、「人に好かれたい」「よく思われたい」というやっかいな願望。
いつも元気で明るい小山さんでいたいから、家を出る時にはスイッチをオンにして、いつもよりちょっとハイな自分にチューニングをしています。(これはみなさんそうなのでしょうか?)
でも、なんかそれももう疲れてきたなあ、という感じです。
自分のエネルギーは自分がやりたいことのために使うべきで、体面を気にして疲弊するなんてもったいないという気がしてきました。
「愛想よくしなくっても大丈夫。その場の空気や相手のために笑うことをやめても、誰にも気づかれなかったよ」
尊敬するアクティビストの先輩にも似たような経験があったそうで、こんなアドバイスをいただけたことも大きかったです。
できるだけフラットな自分でいたいなあというのが、30歳になった今の偽らざる気持ちです。
講演などに呼んでいただいて、「小山さんのお話を聞くと元気が出る!」とおっしゃっていただくことは、本当に本当にうれしいです。そのお気持ちに応えたくって、過剰に「元気」な自分を演じてしまうこともたくさんありました。結果として、出会った方には「元気」をお届けすることができても、肝心の私が「元気」じゃなくなってしまう。
奪われているという意味ではなく、私が過剰に放出しているからです。
これではダメだ、続けていけない。
だからもう、「元気を出す」のはやめようと思いました。「元気が出る」のと「元気を出す」のは、まったく違うことです。
22歳の日記には、「元気いっぱい笑顔いっぱいで頑張りたい!」とも書いていました。
何かに夢中になれた、誰かと出会えてうれしかった。その結果として「元気いっぱい笑顔いっぱい」になれるのは良いことだと思います。だけど、心がけて元気や笑顔でいようと努めることには、どこか違和感がある。元気がない時はないし、笑いたくない時は笑えない。心がけてそうあろうとするのではなく、結果として元気と笑顔に満ちた自分でいられたらいいなと考えました。「元気が出る」って、そんな状況だと思います。
ということで、30代で心がけたいことは、
無理して「元気を出す」ことをやめる。
そして、「走り切るより走り続けること」――22歳で掲げた目標の継続です。
できるだけフラットな自分で外に出て、過剰に頑張りすぎないようにも気を付ける。その上で、コツコツやりたいことを続けられる自分になれたらいいな、と思っています。
歳を重ねれば、自然と上手な生き方が身につくものだと思っていました。だけど、まだまだ「大人」の自覚さえ十分にないし四苦八苦してばかりです。少しでもこの自分をうまく乗りこなして、もっと人生を楽しめたらな〜と思います。
ただ……
意識したいことは決まったけれど、これからどんなことを成し遂げていきたいのか、何に打ち込んでいきたいのかはぼんやりしていてよく見えません。
そこで、最近は色んな人にたずねています。
「30歳の時は何をしていて、どんな目標を掲げていましたか?」
聞いていると、子育て中だったという人、転職を考えていた人、まだ「ふらふらしていた」と振り返る人、以後40年以上続けることになる趣味を始めたという人、本当にさまざまで面白いです。
こちらを読んでくださった方も、もしよければコメントなどで教えてください。まだその年齢に達していない方は、どんな30歳になっていたいかも聞いてみたいですね。
ある先輩記者さんは、「やりたいと思ったことを全部書き出していた」とおっしゃっていました。しかも、「だいたいその通りになってる」、と!
ならば私もやってみようと、「やりたいことリスト」を最後に記します。(ご一緒できる方がいたらうれしいな、という下心も込みで……)
30代も素敵なご縁に恵まれますように。
たくさんの方とたくさんの楽しいことをご一緒できますように。
これからの小山美砂もよろしくお願いします!