大森元貴が歌う「僕の我儘」って何?~ Attitude MV 解釈から続く The White Lounge 考察 ~
はじめに
AttitudeのMVって本当にすごい。
Attitudeの歌詞が好きなのはもちろんMVが本当によく考えられていて、何度も再生して気づいた点をやっとブログにまとめました。(長めなのでお時間のある時にどうぞ。)
私はAttitude発表当時、大好きなAttitudeと青と夏、インフェルノなど表題曲は知っていたものの、彼らの活動を追っていたわけではありませんでした。
もちろん、大好きなバンドの過去は知りたいと思うので後から得られる情報は積極的に取り入れていますが当時の雰囲気などはいつまでもわからないままです。見ていないのだから。
“今のミセス”に救われた私がいるように、“あの頃のミセス”に救われた人もたくさんいるのだろうと思います。
もちろんMrs. GREEN APPLEご本人らに見せられないようなことはひと言も書きませんが、このブログを読まれている方の中には、きっと過去の彼らに強い思い入れのある方がいると思います。
White Loungeでのダンスパフォーマンスを受け入れられないと思う人もいるかもしれません。
私は、私が見たMrs. GREEN APPLEの解釈でWhite Loungeで踊った理由を探しています。「当時を知らないのに」と思われる方、解釈の違いが耐えられない方はどうぞ今、このブログを閉じてください。
あなたにはあなたのAttitude、私には私のAttitudeです。
ここから先〇〇だ、と述べますが正解はご本人らにしかわかりません。そう見えている人もいるのかと思ってくださればと思います。
まわりくどい言い方をしましたが、私が思う彼らの解釈を書き記すので、アルバムAttitude前後のミセスに特別な思い入れのある方は自衛をお願いします。
............では、始めます。お付き合いいただける皆様、お願いします。
目次以下、著作権の話を少しします。本編は「MV前提」から。
まず、このブログを書くにあたってなんとかMVの画像を貼る方法を探しました。MVを作品として捉えるなら、引用元を細かく書けばスクリーンショットを使えると主張する人もいれば、相手側から訴えられなければ問題にならないから別に平気だという主張もありますが、それ以前の問題として、YouTubeの利用規約を確認したらそもそも複製(=スクリーンショット)禁止でした。
え〜〜〜〜
SNSで発信するためには〜引用を書けば〜とかではなくて、そもそもYouTubeにあげられている動画を複製すること自体がダメらしいです。
(YouTubeの作品や情報を引用したことがある方、ちゃんとした批評を書いた経験がある方いらっしゃれば参考にさせていただきたいのでDMください。スクショ禁止を知ってYouTubeの作品についてレポートとか表に出す文章を書く時どうすればいいんだ?とか結構真剣に考えました。ネット上に明確な答えはなかったです。)
正直「そんなの守ってる人おらんやろ!」と思ってしまいましたが、何より知ってしまったのでおとなしく従ってみます。
もし今後読み進めていく上でなにかでかめの違反を犯していると気づいた方がいらっしゃいましたら、違反している点と理由をこっそりDMで教えてください。編集します。
(私は一応大学生ですが体裁を整えた長文のレポートを書く機会がほとんどなく、本当に自信がありません。わからないなりに一生懸命調べたつもりです。)
秒数指定したYouTubeのリンクを貼りました。お手数ですが都度再生しながら読んでいただきますようよろしくお願いします。
以下やっと本編です
MV前提
これからMVと歌詞を考察するに当たって、曲の中で共通している私の解釈を共有します。
①向きと反転、変化する歌わない歌詞
最重要ポイントです。
映像が始まればわかるので後ほど解説します。
②この解釈における歌詞の「私」「あなた/貴方」「僕」は全て大森元貴のことを指す
全て大森元貴ですが、それぞれ人格が異なります。(勝手に人格と呼ぶことにします。)
・私/貴方→バンドボーカルとしての大森元貴
・あなた→アーティストとしての大森元貴
・僕→未来の大森元貴
③シーンの分類
このMVのシーンを人で大きく3つにわけると、
・大森元貴のみのシーン
・大森元貴以外のバンドメンバーによる演奏シーン
・5人の演奏シーン
と分類することができます。それぞれのシーンで流れる歌詞を
・大森元貴のみのシーン→彼についての歌詞
・大森元貴以外の4人の演奏シーン→バンドで共有している意思
・5人の演奏シーン→私たちがみているミセス
上記のように受け取ります。
冒頭
〜34秒
最初にして最重要ポイントです。もうここが全てまであります。
大森元貴の目はこちらから見て左側を見ていますが、大森元貴以外の4人の目は右側を見ています。
このシーンは、MVに“向き”が存在することを示しています。かなり意図的に目線の映像を入れています。
向きについては解釈においてかなりの頻度で登場します。
「僕の我儘」とは一体なんでしょうか?
前述の通り、この解釈における「僕」という歌詞は未来の大森元貴を指します。「未来の大森元貴が思う我儘」が終わるまで?
Aメロ
MV前提で述べた通り、向きがあります。
・バンドの向きはこちらから見て右側
・大森元貴の向きは左側
最初に浮かび上がるMrs. GREEN APPLEの文字は反転していません。表向きの彼を示しています。
・大森元貴が歌っているシーンが流れる歌詞→他人から見えている彼
・大森元貴が歌っていないシーンが流れる歌詞→隠れている本音
35秒〜46秒
どうにか届くように、届くようにと曲を書き綴る彼。ミセスの作詞作曲担当で、誰からみても歌詞の通りです。
ここで歌っていない隠れている本音の部分は、「でもやっぱり、100は無理」歌っていること全ては届いていないと感じているようです。
47秒〜1分1秒
「そんなとこだけでも」以降歌いません。
本音では響いてほしくない?それとも、響くと思っていない?
1分2秒〜1分21秒
まずメロディに乗せる愛を探しながら。個人的にこの曲で1番好きな歌詞です。ミセスの愛のある歌詞が好きです。
歌わない歌詞「阿保みたいに今日もね何かを信じて心躍らすのが」大森元貴は、無い“何か”を信じているのが本心で阿保のようだとわかっているのです。
1分22秒〜1分27秒
歌わない歌詞「キャッチーなメロディー隠れるはそう」
余談ですが、FACTORYに「メロディーの彼はいないからさ」「メロディーと僕は違うからさ」という歌詞があります。
(作詞作曲:大森元貴/2017年 Mrs. GREEN APPLE「FACTORY」より引用)
私たちが聴いているミセスのキャッチーなメロディー、それを作っているミセスのボーカル大森元貴は、偶像なのです。
最初に述べた通り、どのシーンもこちらから見て左を向いています。
間奏-Bメロ
1分28秒〜1分41秒
映像が反転します。重要ポイントです!
ここで、冒頭で述べた向きと、歌う歌詞も入れ替わります。Aメロとは反対になります。
・バンドの向きはこちらから見て左側
・大森元貴の向きは右側
・大森元貴が歌っているシーンが流れる歌詞→隠れている本音
・大森元貴が歌っていないシーンが流れる歌詞→他人から見えている大森元貴
1分42秒〜1分54秒
再び「僕」という一人称が登場しました。
眠れるようにと目を瞑り、空想の話を始めます。
白馬に跨る、未来の大森元貴。
白馬といえば彼のソロ曲であるMidnightのMVに登場するメリーゴーランドを連想させます。
そういうのは似合わないかもしれないけど、満足。
冒頭の我儘とは、当時の彼にとってソロでの活動、もしくはMidnightのようなビジュアルイメージ、または華やかなダンスだったのかもしれません。
「僕」をソロ活動をする彼ではなく、未来の彼だと解釈した理由については後述します。
3/3追記 ここの歌詞はWhite Loungeにも繋がると思っています。同じく後述します。
1分55秒〜2分9秒
満悦のあと、ピアノの音と共に「僕」の空想が終わります。
ここでピアノを鳴らす藤澤涼架の向きは、大森元貴の向きである右です。(後述します)
ピアノをきっかけに腐ってなんかいない、とメンバーがそれぞれバンドの左向きで楽器を鳴らし始めます。
大森元貴はこの時、歌いません。
バンドで共有しているはずの歌詞を、本音では歌えないのです。
黙ったままゆらゆらと、バンドの左向きに歩いていきます。
2分10秒〜2分18秒
大森元貴はバンドの左を向いて歌います。
削りながら、バンドの中で歌っているのです。日々生きにくく、削れているという本音の叫びです。
2分18秒〜2分26秒
ここから歌えません。明日を信じれない彼がいるからです。バンドの向きである左を見ているのに、本音では歌えないのです。
バンドメンバーは、右を向いたり左を向いたりして、各々の演奏を続けます。
先程、藤澤涼架は大森元貴の右向きでピアノをそっと鳴らしました。まるで、1人で右を向いている大森元貴の肩を叩いているかのように。
ここでもメンバーが度々大森元貴の右向きで演奏するシーンが入ります。
彼とバンドはすれ違っていたわけではないのです。4人は、バンドの方向を見つつも彼のことに寄り添っていたし、彼もそれを感じ取っていたのではないかと考察します。
2分27秒〜2分38秒
初めて「あなた」が登場しました。
冒頭で述べた通り、この解釈における「あなた」の歌詞はアーティストとしての大森元貴を指します。
右を向いて柔らかく呟くシーンは、後ほど「あなた/貴方」が大森元貴本人を指しているとわかるための重要なシーンです。
アーティストとして楽曲制作に臨む彼はもはや中毒のようだと、自身が1番わかっているのです。
ラスト
映像が反転します。重要ポイントです!
ここで、Bメロの向きと、歌う歌詞も入れ替わります。反対になります。(再びAメロと同じ向きに戻ります。)
・バンドの向きはこちらから見て右側
・大森元貴の向きは左側
・大森元貴が歌っているシーンが流れる歌詞→ 他人から見えている大森元貴
・大森元貴が歌っていないシーンが流れる歌詞→ 隠れている本音
2分27秒〜3分5秒
「夢から覚めて」の歌詞と画面の反転をきっかけに、どこか吹っ切れたように歌います。カタカナ言葉が難しいので、日本語にします。
・エゴイズム→利己主義
・パシフィズム→平和主義
・リベラリズム→自由主義
・ペシミズム→悲観主義
・ヒューマニズム→人文主義
(利己、平和、自由、悲観は文字から読み取れる通りの意味です。人文主義に関しては解釈が色々ある上にとても難しいです。自分の詳しい分野ではないため意味の説明を省略します。ぜひ調べてみてください。)
大森元貴の左に向かって歩き出しながら、彼が歌い始める「他人から見えている大森元貴」に当たるのは「ご機嫌とらずに済む」以降の平和主義、自由主義、悲観主義、人文主義です。ミセスの歌詞はこんなことを考えて書いていて、そう見られていること、それが好きなファンのことを彼も分かっています。
逆に、歌わない本音では「これは利己主義である」とも思っているようです。
3/3追記 誰の機嫌を取らないのか、誰のエゴイズムを歌っているのか。White Loungeが答えでした。
3分5秒〜3分18秒
大森元貴の左に向かって歩いていた彼が急にバンドの右に振り返って歌うシーン。振り返るところが重要です。
「貴方」が登場します。先程「あなたはアーティスト中毒」と反転前のBメロでは大森元貴の向きである右を向いて柔らかく呟きました。
「貴方」はバンドボーカルの大森元貴を指します。「あなた」と「貴方」は別人格です。
つまり、歌っている本人の人格も変わっています。
Aメロ〜Bメロではバンドボーカルの大森元貴として歌っていましたが、最後はアーティストとしての大森元貴として歌うようになっています。
最後のサビに向けて大森元貴の左に歩きつつ、独りになったらバンドボーカルとしての大森元貴を追うから、待っていて。今後のミセスの活動方針について決意表明の歌詞を、自分自身に向けて歌っているのではないかと思うのです。
3分19秒〜3分48秒
5人の演奏シーン。冒頭で述べた通り、世間から見えているミセスの姿です。
生きにくい日々の中バンドで活動し「平気なフリをして隠れている」のは他でもない大森元貴自身です。
Bメロで歌えなかった「腐ってなんかいない」も、苦しそうな顔をしながらもミセスとしてなら歌えています。ここに、私は大森元貴がバンドで活動している理由のようなものを感じます。
3分48秒〜
1人の世界に戻ります。「私」の遺言です。
ミセスとして書いてきた楽曲ひとつひとつは、まるでバンドボーカルとしての彼の遺言のようであると言いたいのです。命を削りながら、書いています。
「遺言」で再び映像が反転し、向きが変わります。
・バンドの向きはこちらから見て左側
・大森元貴の向きは右側
バンドの左を向きます。さらに反転した「Attitude」「Mrs. GREEN APPLE」の文字と直筆歌詞に繋がるQRコードが表示されます。
「Attitude」は私たちから見えているミセスのボーカルとして生きる彼の態度を示す曲でありながら、裏面では今後の活動方針と彼の心境の変化を歌っているのではないかと思います。
本解釈での疑問点
・不意に亡くなる「太陽」とは何を指すのか?
独りぼっちになるので、バンドに関わるのは伺えます。ミセスそのものなのか、活動するためのエネルギーそれとも、ソロ活動のMidnightにかかっているのか。全て含めて太陽なのか。
・誰のエゴイズムを歌っているのか?
・誰のご機嫌を取らずにすむのか?
→3/3 追記 後述の The White Lounge と Attitude で触れています。
・なぜ大森元貴は「Attitude」をUtopia1曲目に選んだのか
「僕」の我儘は未来を指します。
未来ですから、変化します。作詞作曲当時の彼の我儘は、ソロ活動だったのかも“しれない”。ビジュアルイメージなのか、ダンスなのか、何を我儘と思っていたのか今となってはわかりません。
Attitudeを、やっとバンド中で歌えると思うようになったのでしょうか。
3/3 追記 やっとわかったような気がします。
大森元貴さんへ、あなたの今のわがままとは、あるなら何かいつかぜひ聞かせてください。
3/3 追記
The White Lounge と Attitude
このブログを書きはじめたのは11月あたりです。自分の生活にいっぱいいっぱいで書き上げるのに数ヶ月を要しました。
White Lounge 鑑賞前から Attitude の MVについてこのような解釈をしていた私は、White Lounge がとても腑に落ちました。
きっと「僕」は、このようなことをしたかったのだと。そういうのは似合わないかもしれないけど、満足。
「白馬にまたがる僕 似合わぬ僕。でも満悦。」
White Loungeで披露されたAttitudeのダンスが前述MV解釈疑問点ふたつの答えになったような気がします。
・誰のエゴイズムを歌っているのか?
→大森元貴のエゴイズム
・誰のご機嫌を取らずにすむのか?
→観客(もしくはファン)
「ご機嫌取らずにすむ」は宣言です。White loungeは賛否両論あると本人が言っていたように、彼があのような......ミュージカルのようなライブをすることは最初から自分のエゴであるのを誰よりも自覚していて、誰の機嫌も取らない自由な表現をすると腹を括っていたのではないかと。
まとめると、私はAttitudeを作っていた頃からこのような活動の構想、または想像が大森元貴の頭の中にあったのではないか?また、White Loungeはその集大成なのではないか?と思うのです。
未来の大森元貴が思う「僕の我儘」とは、まさにこのことなのではないか?
White Lounge 一曲目の未発表曲で「もうすぐ我儘が終わる」と歌いました。
当然2幕のAttitudeを聴く前だった私は放心してしまい、「待ってよ、あなたの我儘がわからないまま活動を終えようとしているの?」とさえ思いました。
しかし2幕でAttitudeを踊る姿を見て、ああ、これがやりたかったんだと腑に落ちました。
他でもない大森元貴自身のために、誰の機嫌も取らずに自分のやりたい表現に挑戦してみたかったのだろうと思います。
私がAttitudeを好きな理由はミセスと関係がありません。進路を決める時期にずっと支えてくれた歌詞だから好きです。Attitudeを知ったのが先で、バンドについて思い入れが生まれるのは数年後です。
だからこのような解釈になったのかもしれないとも思います。Attitudeを作っていた頃のミセスに思入れがある人とは見えてるものが違うのだろうと思います。いちAttitude MV狂いによるいち解釈です。
最後に、活動再開後のブログを引用させていただきます。
有料ブログの引用について、文化庁が公開している「著作者の権利の制限(許諾を得ずに利用できる場合)」を参考にしています。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/pdf/93736501_11.pdf