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出会いと巡り合わせのはなし
こんばんは、百です。
今日はいつもとは違う話題で、書き進めます、
個人的に、ものとの出会いや、ものを好きになることに、
大きく関わるのは、タイミングと巡り合わせ、だと思っている、
要するに運命的なものが、大きく自分に影響してくる気がする( オカルトではない )
タイミングが違うと、興味が持てなかったことにも、何かがぴたっとハマって取り憑かれたり、ふとした瞬間、舞い降りてきたり、連鎖的に線で繋がった巡り合わせに、感動してきたから、今のわたしができているのだけど、
昨日もそのような巡り合わせがあったので、ここに書き残しておきたいと思い、文字を打っています、
つい長くしてしまうから、簡潔に、、
わたしは音楽が好きで、ちょっと前からk indieも聴くようになったのだけど、その中にイ・ランさんというミュージシャンがいて、よく音楽を聴いていた、
心地よい声とテンポ感が日本にはなくて、瞑想したい時に聴いたりする、
先週、新譜が配信されてプレイリストに入れていたとき、見知らぬ楽曲が、今年付けで配信されていたことを知り、思わずその曲を再生した、
イムジン河、
イ・ランさんは韓国語の曲しか歌っていないと思っていたから、日本語の曲を歌唱されていることに、少しびっくりしたのだけど、
わたしは完全に楽曲に魅了された、琴線にふれる音楽に弱いので、言わずもがな、特有の哀愁と情緒を漂わせたこの曲を、一瞬で好きになった、
そして昨日、
そういえばYouTubeでイ・ランさんのことを、調べたことがないことに気づき、新譜のmvでも見よ〜、と調べます( 楽曲で満足する節があるので、あまりYouTubeで調べ直さない人 )
するといちばん最初に目についたのがイムジン河のmv、これにもmvがあるんだ、と再生した、公開は3年前とのこと、
感慨に耽るしかなかった、言葉で簡単に表現できないほど、圧倒された、
コメントをちらちらと見つつ、なぜ、韓国人の彼女が、日本語の歌詞で、手話を使って表現しているのか、気になってたまらなくなって、記事を調べまくった
詳しくは記事を読んでみて、ね
イ・ランさんは楽曲でのイメージだけだったけど、聡明で品のある人だと、文章を読みながら思った、
記事の冒頭にもあったように、わたしがこの曲を歌う意味があるのか、と考えたとき、
日本の歌詞に訳されて、フォーク・クルセダーズが歌ってこの曲が流行ったこと、でも韓国では全く知らないこと、パッチギという映画に使われたこと、等々、不思議に思ったから、この曲には何かあると思った、とある
この連鎖もすごいよな〜と、関心する
こだわりのチェロ編成、韓国語と日本語とでは、音のイメージがかわること、一つの言語である手話をmvで取り入れたこと、全員に平等に見てもらえる工夫など、こだわりがとにかくすごかった、
そしてわたしは益々、イムジン河という楽曲の不思議さに惹かれるように、パッチギという映画を観た( in the soopの余韻も少なく、、)
こういうときアマプラって便利だなと、改めて思う、観ようって思ってすぐに行動できたから、気持ちが沸々としたまま、作品の世界に入った、観てみたい映画の一つではあったけれど、これまたきっかけがなかったから、観るに踏み切れていなかったから、これぞまさしくタイミング、だった
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映画の内容は、観てみて、わたしはけっこう衝撃だった、知らない事実が多すぎたんだ
たった60年くらい前、韓国はまだ弱い立場であったことや、意にそぐわず日本に来させられて、祖国に帰ることができずにいたり、
イムジン河は、もともと一つだった国が北と南で分かれてしまい、南の祖国に戻ることができない、北に暮らす人の思いを書いた歌なのだけど
それは元はと言えば日本が支配したから、と映画の中にもしっかりと残されていた、責任があるんだなと思った
苦しかったから、主人公みたいになんで戦争するんかな?その気持ちにずっとなっていた、日本人がイムジン河をうたう意味ってなんなんだろう、と思ったりしたけれど、うまく結論が出せなかった、
そしてまた、イ・ランさんのイムジン河に戻ってきた、
また深みを増した楽曲に、わたしは悲しみを覚えた
日韓というと、まだまだ冷めた情勢で、ニュースを見るたびに苦しくなる、
ひどいことをしてきてる、とも思うけど、いままでひどいことをされた国、という固定概念があったとしたら、冷たい対応をするのも、少しだけ納得してしまって、
でもわたしはこれからは、いい関係になれることを願いたい、イ・ランさんの記事にもあったけど、
人は人で、政府は政府。北朝鮮の政策、韓国の政策、アメリカの政策、日本の政策……、
どれだって、すべて正しいなんていうことはない。完全なものは世界にひとつもない。
共産主義だと言論の自由がないとか、そういうのはあるだろうけど、
どこもすべて自由だとは思っていない。
私が日本に来るのも、日本の政治家に会うためではないから。
日本の友だちに会いに来るし、つまり私と似たような人がここにもいるから。
北朝鮮にもきっとそんな人はいるんだろうと思う。
この考え方が、とても素敵だと思った、ついメディアや歴史的な背景で、この国の人はこういう人たち、と決めつけていた部分があったかもしれない、
どこの国の人、ということではなくて、そこに住んでいる1人、と捉えてみる、どこかなんて特別ではなくて、そこに住む人はわたしと同じ人、もしかしたら同じように音楽が純粋に好きで、美味しいご飯を食べるのが幸せ、という人が暮らしているだけのこと、きっと簡単なこと
でも何も意識しないのとは違うんだよ、知らないことが恥につながりかねないから、いつだってポリティカルでいなければならない、
最後にイ・ランさんの神様ごっこを貼っておきます、
冒頭の歌詞、いつもはっとしてしまう
韓国で生まれ暮らすことにどんな意味があるとお考えですか
時には砂漠に放り出されたような気分になりますか
これは日本にも置き換えられるのかな、と、わたしも自分に問いたい、あなたは日本に生まれ暮らすことにをどんな意味があるとお考えですか?、と、
今これを書きながらも頭の中には、人種の違いについてが、ぐるぐるとまわっている、他国だけど最近は宗教的なニュースも多くて、正直辛く悲しくなるから、知らなくてもいい気にもなるけれど、
もっといろんな文化や人たちを理解したい、苦しい人がこの先増えないような世の中であってほしい、文化の盗用をする訳ではなく、何かを尊重し合える余裕を、、、
イムジン河、これから先もずっと大切にしたい、ただのkpop好きな女だったけれど、文化や歴史を知ることが敬意にもなると思うから、これからも自分なりに勉強します、
この巡り合わせに感謝を、
百