木曽熊野ルートS(3) なぜ行くのか。それは、行かねばならないから!
DAY3
朝またサウナに入って8時ごろにチェックアウトする。旅行中は規則正しい生活リズムになるので、あまりにも狂っているときは旅行してしまえばいいと思う。
青春18きっぷが一日分余っている、かつ金券ショップで売っても1,000円くらいにしかならないようなので、半日でなるべく元を取ろうと下呂温泉まで行ってみることにしよう。
岐阜駅のすぐ近くにあるサカエパンというお店。以前訪れたときから、ずっと再訪したいと思っていた。ここ、日本一好きなパン屋かもしれない。そしてこのように自分にとって特別なお店が全国に点在しているのが嬉しい。東京にいても心の支えになってくれているような気がする。身近でないところに希望があるのだと、そう自覚できていることは幸せなことだと思う。僕にとって、いま対面しているそれは、すべてではない。
下呂温泉に到着。初めて訪れる。三連休明けのド平日なので観光客がほとんどいないどころか、目当てのお店が軒並み閉まっている。1時間ほどくまなく散策してみて、やべえ、することねえ、と早々に気づいてしまった。ひとりで温泉街にいくと起きる現象である。
お腹が空いた。観光地っぽいところはすべて閉まっているので、ゆいいつ開いていた地元の人しか来ないような喫茶店に入ってみる。日帰り入浴だとここがいいですよとオススメされた温泉に向かう。温泉には入るつもりはなかったけど、あまりにも時間が余っているのでせっかくだし入ることにした。だだっぴろい浴室すべて貸切状態であり、2時間ほどだらだらと過ごした。あまりに情報が少ないけれど、温泉とはこういうものであろう。
19時ごろ、名古屋に戻って、東京から来た友達と合流。名古屋メシっぽいもの食べたいかな〜とリサーチして店を選んだけど、その友達はあまりにも旅情という感性を持ち合わせていないのか、名古屋メシにいっさい触れることなく東京でしたことあるような話を永遠としていた。
あとから聞いた話によるとこの読みは当たっており、どこにいるかよりも”誰といるか”が重要でありそれがすべてのようだ。たしかに僕も、『人と旅行すると、目の前の風景よりも「その人」へ意識が強く働いてしまい、結局、「楽しかったかもしれない」というボンヤリしたもの以外なにも残らない傾向がある。』と書いたが、その極端な人である。
一週間の長旅ともなると、こうしてアクセントが入ってくるのは良い。ひとりでは得られない想定外を獲得することができた。
というか、こういうのが多くの人の思う観光、旅行なのかもしれない。
DAY4
翌朝、名古屋モーニングの約束をしていたのに旅行スイッチを切ってしまったからか寝坊してしまった。大須を観光して、昼過ぎにボンボンにたどり着く。何度も来たことのあるお店であり、ふだん甘いものを食べないくせに食い意地をはってケーキを3つ食べてしまった。
夜はこの長旅のきっかけとなったライブを見た。めちゃくちゃ良かった。それから、旅行支援のクーポンを使うべく”すしざんまい”を食べにいった。もう、名古屋感は一ミリも求めてなかった。
DAY5
翌日、せっかく名古屋まで来たのだし、と、伊勢神宮まで足を伸ばし、友達とはそこで解散した。
ひとり松阪に宿泊。さて、締まってしまったこの旅行を続けかどうか悩んだ。いつもは大都市に用事がありその前に旅行を入れ込むので、大都市に滞在してしまった時点でもう終わりの合図となってしまっている。
いやでも、あと和歌山に宿泊さえすれば全国制覇なのだ。さっさと、この日本制覇という目標から脱したい。
叩いてくれる人はいないのだ。自分で自分のケツを叩いた。行かねばならぬ。行こう!なんのために?お金の無駄では?知らん!
松阪牛のとんかつが、美味しかった。