「考え」と「言葉」
幼い頃から今でも「何考えてるんだかわからない人」と言われることが多い。自分的には「わかられてたまるか」という気持ちもありつつ、普通そうだろうとも思いつつ。
中学生の時、担任からは一番扱いにくいと言われたことがある。
中学生ぐらいだと、みんなで一つの目標に向かって突き進むというのがよくあるパターンだけど、僕は周りが同じベクトルを向いているとどんどん引いてしまうという性質だった。
みんなが同じ方向に夢中になることで、足元の問題や別方向からの問題に気づかなかったり、見て見ぬ振りをするが嫌だった。
だから、周りが熱くなればなるほど冷めていく。
それは自分が望んでいった立ち位置なので全く不満はないし、周りからノリが悪いと見られてもなんとも思わない性格なので支障はなかった。
しかし、大抵の場合において学校ではこの役回りを先生が行うものだと思う。それを同じ生徒がやるのだから、先生としてはやりにくいのもわかる。先生としては、違う視点からの指摘というのを行いたいのにそれをさせない(笑)
高校でも同じだった。
ただ、違うのは先生がこの立ち位置を認めてくれていた部分があるので、話し合いで何か問題がありそうだなと思ったら先生が僕の方をチラッと見るようになった。たぶん、嫌な存在だっただろう。
冒頭に書いた通り、「何考えてるんだかわからない人」と言われることが多いのは単純な理由があって、何かを考え込んでいることが多いから。
それは、考えたことをいかにロスなく他者に伝えられるか、話し方の構築や言葉使いなど構成を考えていることが多く、何かを投げかけられてから話し始めるまでに少し間が空くため。
でも、一回話し始めると話しながら次の展開を考えて話すということができるのでそんなに気にならないけど、話し始めのスタートをどう切るかというのにエネルギーが必要。
これはプレゼンと一緒で、話し方に工夫をすることで伝わり方が変わる。
常々に言ってることだけど、「何を言ったではなく、どう伝わったか」が全て。
言葉はセクハラと一緒。
受け手の捉え方でどうとでも変わる。
それを考えた上で言葉を発するようにしている。
むかし、バンドメンバーに「言葉で人を殺せる」と言われたことがある(笑)
それは大げさな話として、元々本を読むのが好きだったので言葉には多く触れている方だと思う。言い回しやボキャブラリーは単純量の影響は大きい。
もっと沢山言葉を知りたい。
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