なんかかんか39(入院記録)

※なんかかんか38(昨日)の続き
手術が終わり、麻酔から覚めた後の話です

▼手術は無事に済んで、5時間くらいベッドでうとうとしたら、もう歩く練習させられる
個室の部屋を、点滴を引きながらよろよろと5歩くらい歩く
点滴は入院した日から退院日までずっと同じスタンドを使うので、心の中でポチと呼んでいた
ずっと左手の甲に点滴の針が刺さっているので、手首を少しでも動かすと、針が曲がりそうで、できるだけ手の甲を平らに保つ
術後はとにかく機嫌が悪い
舌が2倍くらいあって詰まりそう

▼術後10時間もすればスマホを確認できるくらいにはなり、近しい人には手術が終わったことを連絡する
ここで気がついたんだけど、
私はどうも父に手術日時を伝え忘れていたみたいで、
しかも手術に行く前、友人数人には「今から手術行ってきます」的な連絡したのに、父に送信を忘れるという凡ミスをしていて、父的には、入院した娘からの連絡が丸一日途絶えた状態になったみたいでめっちゃLINEきてた
ごめん父

▼うつらうつらはするけど、数時間うまく眠れない
しんどいし痛いし、何より嚥下ができなくて、分泌液や唾液で頻繁に溺れかける
カテーテル吸引を1時間に1回くらいしてもらう(しんどくなる度に呼んでたら10分に1回くらい呼ぶことになっちゃうので、どうしても我慢できない時だけ)
カテーテル吸引、キツイと思っていたが、カメラとかをよく喉に突っ込まれているからかそんなに苦しくなかった
母がベッドに、
①トイレ
②痰が気持ち悪い
③室温を調整してください
などを書いた紙を貼っておいてくれたので、後にそれで看護師さんと会話する(それ以外はスマホのメモ機能で喋る)
めっちゃ役に立った

▼夜中の病院は色々な音が聞こえるが、
おばあさんの声で「おとおさーん、おとーさーん」と聞こえたり、おじいさんの声で「だれかー」と聞こえたりして、みんな誰かを求めてるんだなあと思う
ちなみに徘徊してしまうご老人がいるとかで、入院フロアから一般病棟に行けちゃう経路にバリケード組まれてて笑った
椅子とかストレッチャーとかで組まれてた

▼うとうとしてたら推しメン看護師さん中村さん(術後の夜の担当だった。中村さんは山中さんに似ているので、顔を見るだけですごく安心する。あの夜、中村さんが担当で本当に良かったと思う)が飛んでくる、みたいなのが2回あって、なんだろうと思ったら、
酸素レベルが低くなっていたらしく、寝る時はチューブつけようかとなる
確かに苦しいので大人しくつける
なんか両手足が痺れて、攣る10歩手前みたいになっていたので、これは何か聞いてみたら
「体がパニック起こしてる時みたいになってるっぽい」ということがわかる
続くようなら安定剤を入れると言われたので、落ち着くために某氏に電話して寝落ちさせてもらう(私は声が出ないので向こうに一方的に話してもらう)
結局本格的に寝たのは3時すぎてた気がする

▼寝る時は横向きでないと溺れて眠れないので横向き。ここで、初日には憎んでいたしゃかしゃか素材の枕を、背中に挟むことで上手く横になれる
普段うつ伏せ寝をすることが多いけど、点滴のせいでうまくうつ伏せになれない
色々な意味で寝辛いので、かなり長いこともぞもぞしていた

▼7:00に朝ごはんが運ばれてきて起こされる
普通のパンが出て、中村さんと2人でいや無理やろとなる
今水さえ飲み込めないんですが、と思いながら朝食を見つめていたら、「明日からお粥にしてもらおうね」と慰められる
「やっと帰れるわー」とるんるんだった中村さん、私の病室から出て行って、次帰ってきたら「帰れんくなったわー」と暗黒微笑してた。大丈夫か。お疲れ様です

▼錠剤を飲み込めない
本当に無理。人生初、お薬のめたねを買ってもらう
パン以外のご飯は、ペースト状の何かで、なんだかよくわからない。ちょびっと舐める。わからないので食べる気があまりわかない

▼体を拭いてもらったりする
体が冷えていたことがわかる

▼私の手術を担当してくれた麻酔科の先生が、
手術の翌日「調子どうー??」と病室に来てくれたんだけど、
手術日にはなかったはずの両手で松葉杖ついて、顔面には絆創膏を貼っていて、いや私より先生なにがあった、となる
呼吸音が綺麗と褒められる

▼移動する時は、
パルスオキシメーター、点滴、心電図などのコードをまとめて持っていかなきゃいけない
持ちものが多い

▼ご飯食べるか寝るかしか記憶ない
頑張って水分を取る練習をする

▼入院には前開きのパジャマがいる
持っていなかったので新調したやつが、肌触りやら条件やら、なかなか良かった
3色あって、ピンクだけイメージ違った
上が半袖なので、カーディガンを着ていることが多かった
カーディガン重要
下着をつけられないタイミングもあるので、カーディガン(これも前開き)は持って行った方がいい
点滴をしていると着替えができないので、看護師さんに言って一瞬止めてもらい、左手を解放してもらって着替える
あらゆることが不器用になっているので、着替えも手伝ってもらう
すみません

▼食事はだいたいお粥300gと、ペースト状のおかず2品くらい
献立がわからないので、恐る恐るちょっとずつ食べる
ディストピア飯感が拭えない
朝はゼリーとジュースついてきがち
ちょっとお粥300は無理です、と申し出てみたら、
半分に減らしてもらえた
代わりにアイソカルという高カロリードリンクが追加されて、毎食出るが、結局一回も飲まずに退院した
ジュース、ゼリー、アイソカルなど、食べられなかったものたちは一応持って帰ってみた
アイソカル、めっちゃある
後に希望してメニュー表をもらってみたけど、あんまり参考にならなかった

▼お粥にふりかけをかけて食べてみてたけどいまいちで困っていたら、お茶漬けの素を入れると食べやすいと知った
即買ってきてもらう
お茶漬けの素があればお粥が食べ切れるようになる
ありがとう永谷園
お粥に苦しんでる方は試してみるといいかも

▼宮田ナノさんの
『もしもし、こちらは夜です』
『すてきな退屈日和』
『ハラヘリ読書』
を読む
もしもしは、夜に読むことに決めていて、楽しかった
すてきな退屈日和、ハラヘリは、食事と読書のモチベーションになる
元々私も、小説に出てくるご飯の描写が好きだから、すごく楽しく読んだ
ハラヘリに出てきた『夜は短し歩けよ乙女』は手術前日に思い立って読み始め、手術開始直前に読み切った
ちょっと楽しかった
読書合宿とかしたい

▼スリーベアーズと英多朗の閉店が辛い

▼お見舞いにもらったプリンおいしかった
モロゾフのプリンまた食べたい

▼さやこがお見舞いにきて、一緒にプリンを食べた
私の知人の中で多分一番食べるのが遅い彼女よりも食べるのが遅くて、びっくりする
お見舞いにオイルくれた

▼本当にずっと寝ているか食べているか
舌に同時に6個くらい口内炎ができて苦しむ
ストレスだって

▼点滴したままお手洗いに行ったら、ちょうど点滴が終わったようで、手を洗ったりなんだりしていたら激しく逆流した
血が点滴の管を駆け上っていく
血圧と重力。重力の勝利

▼雨は嫌いじゃない

▼切除箇所を電気で焼いて止血していると聞いていて、カメラで見せてもらうと、
焼いたところだけが白くふっくらなっている
当たり前だよね、お肉だもの

▼診察に行く時用に、持ち運べる小さいぬいぐるみを持って行くべきだった

▼美脚主治医は本人がちいかわみたいなキャラクターで、
「ワアッ」「痛いねっ、ごめんねっ」と言いながら診察してくれるし、
私が痛くて生理的に涙流してたら「アッ、泣いちゃった!泣いちゃった!」って言いながらティッシュくれるし、
「声出せるー?」って聞かれたからめっちゃ小さく「はい」って言ったら「声出たあ!」って言ってたし、
もう本当にちいかわなのかな
ちいかわ先生って呼ぼうかな
いや、ハチワレなのか

▼セラフィムが見たくてONE PIECEをリアタイ
セラフィム可愛い

▼なんやかんやあって退院
退院したその足で茅の輪をくぐりに行く。あまりにも京都人
なんかやたら混んでるなと思ったら10分後に神事が始まるから門が閉じられるとのこと
急いでくぐってお参りして帰る。急いで茅の輪くぐるって経験は流石に初めて
帰宅して水無月を2ミリくらい食べる

▼自宅療養をしている
7:00/12:00/18:00に薬飲んでご飯を食べるのが目標
食べる量が5歳児。まだまだ流動食

▼ご飯を食べたら大体1時間くらい寝てしまう
薬+ご飯に1時間、ご飯後睡眠に1時間を3セットしている
お昼寝もしているし、まだまだ寝る生活

▼夜よく寝られた日の方が体調がいい気がする
当たり前かも

▼入院の1週間前までCRP12あったの本当に笑える

▼地元の病院、この半年行きすぎて顔パスになってしまった。まだ半年の付き合いなのに

▼同じタイミングで入院した後輩がいて、
関西の病院だけかもしれないけど、病院食のパンはたいていオリエンタルベーカリーという会社が卸している、と言っていた
私が入院した病院もそうだった
8の字にされた柔らかいロールパンみたいなの出た
マーガリンとジャムで食べるのが給食みたいだった

▼毎食写真撮って、親しい人たちに「今日こんなん〜」って写真送ってた

▼コナン映画を頻繁に見ている

▼日々頑張って生きてます

手術入院記録おわり
何か質問あったら気まぐれに受け付けるかも

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