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【短編小説】変容

 これは今朝僕が見た不思議な夢の話。


 夢の中の僕はソファに寝転がりながら携帯をいじっていた。ルームメイトが散歩をすると言って家を出た直後、その時を待っていたかのように携帯が鳴った。彼女の親友の結島ゆいじまさんからだった。

「ねえ優斗くん、今からそっち行ってもいい?」

口調から読み取るに、結島さんはかなり酔っているようだった。時間も時間だし、終電はもうないのだろう。

「え、今から? なんで急に」
「もう電車ないしお金もなくて。優斗くんは今家?」
「まあ、そうだけど……」

ルームメイトは散歩をすると一、二時間ほど帰ってこない。まあ部屋にあげて少し休ませる分にはいいだろう。もし、休ませている間に帰ってきても事情を説明すれば納得してくれるはずだ。

「今どこにいるの?」
「月見台」

 月見台はうちの最寄りの一個隣の駅だ。来ようと思えば十五分ほどで来れるだろう。

「わかった。泊めるとかはできないかもだけど、休むくらいならいいよ」
「ありがと」
「もしかしたらルームメイトに事情を話せば泊まらせてくれるかもしれないし、最悪お金貸すからタクシーで帰るなり、駅前のネットカフェ使うなりして」
「うん、ありがと」

 家の住所を伝えた後、電話を切って一応ルームメイトにメッセージを送る。彼は連絡を頻繁に見るようなやつではないし、散歩中ならなおさらだ。まあいい、しばらくしたら返ってくるだろう。

 最近、僕は彼女の絵里とうまくいってない。こんな時に自分の親友と彼氏が二人きりで会っていたなんて絵里が知ったらかなりややこしい。僕は結島さんと特段仲がいい訳でもないし、本当は断ったほうがいいのだろう。でも、女の子をこんな時間に一人にするのも少し気が引けるので承諾してしまった。事情を話せば絵里も納得するはずだ。

 電話が切れてから二十分ほどするとインターホンが鳴った。扉の前には結島さんがだるそうに立っている。扉を開けると結島さんはおぼつかない足取りで家に入ってきた。部屋に入ってくるのと同時にお酒と香水が混じったような匂いが香った。夜の闇の匂いをそのまま香水にして纏っているような不思議で危険な香りだった。

「おじゃまします」
「そっちの部屋はルームメイトの部屋だから入らないでね。僕の部屋はリビングと兼用だからちょっと汚いかも」
「うん、ありがと」

そう言ってリビングに向かった結島さんは崩れるようにソファに座り込んだ。僕はキッチンで水を汲むついでに玄関で適当に脱ぎ捨てられたハイヒールを揃えた。ハイヒールはブランド物のようでかなり値段がしそうに見えた。絵里は結島さんのように派手でキラキラしているようなタイプではなく、どちらかと言うとおとなしいタイプの人だ。なんでこの二人が親友の関係なのだろうと結島さんに会うたびに思う。むしろ性格が真逆だからこそ親友の関係でいられるのかもしれない。

 僕もソファに座り、結島さんに水を渡す。結島さんは白く細い手で水を受け取り、何日も水を飲んでいなかったかのように無心で水を飲み始めた。首についている可愛らしい喉仏が水分を次々に体内に押し込んでいる。水を飲んで少し落ち着いたようで、結島さんは空中のある点を見つめながら事情を話し始めた。

「急にごめんね」
「まあちょっとびっくりしたけど大丈夫だよ。具合はどう?」
「そこそこ。ねえ、最近は絵里とどうなの?」
「まあ、ぼちぼち」
「私今日絵里と飲んでたんだけどね、大喧嘩しちゃってね。絵里の愚痴聞いてても優斗くんは悪くないような気がして、それでちょっと言い合いになって。それで今まで溜まってたのが爆発しちゃって」
「そっか、たぶん今絵里は荒んでるだろうだから。ごめんね、僕が何とかしなきゃいけないのに」
「優斗くんはどこまでも優しいね。絵里が羨ましいよ。なんでこんなにいい男を悪く言うんだほんとに」
「まあ向こうにも事情があるんだよきっと」

結島さんと絵里が喧嘩をするなんてあまり聞いたことがないから、僕は少し驚いた。あんなに仲が良くても喧嘩をするものなのか。喧嘩をするほど仲がいいと言うしそういうものなのだろう。会話が終わるとしばらく沈黙が続いた。エアコンの音がうるさく感じるほど静かだった。

「ねえ」

結島さんは僕の方を見て話しかけてきた。明らかに空気が変わったのを感じた。この後に続く言葉はなんだかよくないもののような気がしたし、そしてその予想は見事に的中した。

「もし私が優斗くんのこと好きって言ったらどうする?」

僕は一瞬結島さんが何を言ったのか理解できなかった。僕の返事を待たず結島さんは次々に言葉を紡ぎだした。

「あんな自分勝手でわがままな子なんてやめて私にしちゃいなよ。絵里に優斗くんはもったいないよ。」
「結島さんどうしたの? だいぶ酔ってる?」
「酔ってるけど酔ってないよ」

結島さんは僕の肩に手をまわしてきて顔を近づけてきた。夜の闇の匂いが僕の肺の中を満たして、体の中を巡っていくのを感じた。

「ちょっと待って、ほんとにどうしたの?」
「ねえ、ほんとは絵里なんていなくなっちゃえばいいなんて思ってるんでしょ」
「い、いや、そんなことないよ……」
「嘘つき」

結島さんの言っていることを全力で否定できない自分が情けなかった。もう二週間近く絵里とは連絡を取っていない。このままいっても遅かれ早かれ別かれることになるのだろう。もうこの流れに身を任せてしまった方がいいのではないかと思ってしまった。押し負けた僕は結局結島さんと唇を合わせてしまった。結島さんの唇はお酒と背徳感の味がした。

「私、優斗くんのこと前から好きだったんだよ。でもその時はもう絵里の彼氏だったから……」
「そんないまさら言われても。こんなことしたらまずいよ」
「もう絵里なんてほっといて私と付き合っちゃおうよ」

結島さんが再びキスをしようと顔を近づけたとき、僕は違和感に気づいた。結島さんの綺麗で整った顔が徐々に崩れていっているのだ。結島さんの頬に手を伸ばして触れてみると粘土のような感触があった。

「優斗くんもその気になっちゃった?」
「い、いや、顔が」

手を離すと結島さんの頬は僕の手の形にへこんでいた。僕は小さな悲鳴を上げた。結島さんは作り途中のドミノを倒してしまったかのようにどんどんと顔が醜くなっていく。僕の体は恐怖で硬直してしまい、目の前の光景を見届けることしかできなかった。結島さんの顔の中で何かが暴れまわっているのではないかと思うほど、顔の筋肉は四方八方に引き伸ばされたり縮んだりして、手が付けられないほどグチャグチャになっていった。最初はまだ人の顔の形を保っていたのに今はもうただの化け物に成り果ててしまっている。僕は目の前のかつて結島さんだったものに慄いていると、それは徐々に四角く変形していき、気づいたときには冷たい金属製のロボットになっていた。

 目の前の出来事に呆然としていると後ろから「あ、そのロボット買ったんだ」と声が聞こえてきた。振り向くといつから戻っていたのかルームメイトが部屋の前に立っていた。「それどうだった? 面白いなら俺も買おうかな」などと訳の分からないことを口にしている。女の子と戯れているところを見られたという恥ずかしさは全く感じず、僕の心の中には安堵という感情だけがあった。


 夢はここで終わり、目が覚めると僕はソファの上でぐっしょりと汗をかいていることに気づいた。気味の悪い夢を見たなと思い、僕は水を汲みにキッチンに向かう。ルームメイトの部屋は扉が閉まっていて、彼はまだ起きていないようだった。水を流し込んだあと、僕は玄関に見慣れない靴があることに気づいた。そこには綺麗に揃えられたハイヒールがあった。

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