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六畳の部屋のはなし。

「六畳御息所」


学生時代にレポートを書くのに使っていたパソコンは、四年間この誤字が直らなかった。高貴な平安文学が一気に庶民的な感じになってしまう。ついに一発変換を諦めて「六条」と「御息所」で分けて変換していた。(念の為解説すると「六条御息所」は源氏物語の登場人物の一人。超絶簡単に言うと「都の六条に住む御息所という帝の寵愛を受ける超絶高い身分の女性」である)

今日は私の家の話をしようと思う。

一人暮らし歴は、それなりに長い。

なんと今年で七年目に突入していた。
地方出身者らしく18歳の時に、大学進学を機にアパートを契約し住んだ。今も交流が続くゆかいな仲間たちとの絶好のたまり場として、皆で長期休みをダラダラと過ごし、電気代をケチり、室温を見誤って味噌汁やカレーをカビさせ、卒論で苦しんだ部屋で四年間のモラトリアムを過ごした。新社会人として血反吐を吐きながら過ごした三年間の社宅でも一人暮らしだった。いいことも悪いことも、思い出は尽きない。
しかし、どちらも親や会社が選んだ部屋だ。


社畜で限界マックスな私が逃げるように駆け込んだ今の住居が「私が自分で選んで、はじめて借りた部屋」である。

数か月前、私は会社を辞めて社宅を引き払った。

退職を渋っていた原因として「住むところがなくなる」というのが非常に大きかった。実家にも頼りたくない。すると住所不定無職。やばい。早急に家を探さなくては。疲れ切った心身の私は、仕事の合間や深夜にサイトを探しまくって、勢いのまま内見の申し込みをした。とにかく今後の収入が途絶えることが不安だったこと、それでも「自分の拠点」が欲しかった。

店頭に行き、伝えた条件はこの三点だ。
・冷蔵庫がきちんと台所に置ける事
・風呂が付いている事
・洗濯機置き場が廊下じゃない事

……今見ても、妙齢の女性としていかがなものかと思う。不動産屋の店長も苦笑いしていた。とにかく安さに焦点を当てて探していた。(三万円台で探すと風呂なしだったり、冷蔵庫置き場がリビングになってたり、廊下に洗濯機が置いてあったりする。ちなみに安い順にソートした結果、一万円前後で貸ガレージなどが出てくるぞ! 住めない!)

「お探しの条件は」と問うたら普通「オートロック」「二階以上」と返答が来るものだろう。幸いなことに私はどこでも寝られることが特技だったので「雨風がしのげて風呂があればいいです」「百歩譲って共同トイレ風呂なしでもいいけど、廊下に洗濯機だけは……」とまで言った。(「さすがにそれはやめたほうが」と止められた。その節はありがとうございました)

そんな無鉄砲突貫ワガママレディこと私に、店長さんが「あ!」と言って見せてくれた部屋があった。

「ここなんかいいんじゃない? 見に行ってみたら」

家賃三万円と数千円、木造築二十余年。
これまでの部屋と同じく六畳のワンルームだが、部屋が正方形に近いせいか広く感じる。収納も大きく、服も本もなんでも入れられる。なぜか私の部屋だけ画面付きインターホンがあった。一階ということもあり、入居者がなかなかいないとのことだった。駅からも近いが、坂の上にあるせいかアクセスのわりに破格の値段だ。

希望条件も概ね満たしていた。洗濯機だけは室外だが、ベランダにおけるので幾分か安心だ。雨戸が付いてる。開けると日当たりのよさが分かった。
内見に付き合ってくれた担当のお兄さんの

「ここ開けると結構明る……あ、ネコチャン!」

この声で、ベランダに猫が日向ぼっこに来ることも。隣人宅の猫だった。私たちを見てもにゃあ、と言ってそのまま寝ている、近くの公園からは、子供の遊ぶ声がする。明るくて、風通しがよくて時間がゆっくり流れている。

「ああ、ここに住みたいな」と思った。
安っぽい言葉で言うなら運命だと思う。

「大家さんも住んでるから、今契約できるよ」

「お願いしますここにします」

即決だった。
じゃあ審査下りるまでに駅前の百均でハンコ買ってきて。トントン拍子に話は進んだ。その二か月後、無事に私は退職一週間で荷物をまとめスピード引っ越しを済ませた。

異様な決断の速さと家賃の安さもあって、友人からは「大丈夫か」と聞かれることもある。

まぁ。新居に大満足百点満点!かというと、そうでもない。

「クリーニング済み」とは書かれていたものの、ぱっと見たときには気が付かなったがお世辞にもそうとは思えないほど、普通に汚かった。

……嘘です。まー汚かった。あらバスルームは黒いパッキンなのね、と思っていたらカビで、入居後の初仕事は近隣ホームセンターからの洗剤の買い出しと大掃除だった。シャワーでまるごと洗えるのがNOT温便座バストイレ一帯ユニットバスのいいところだな、と逆にポジティブになった。フライパンを蛇口にぶつけないと洗えないくらい狭いシンク。靴箱はない。謎の虫の死骸がある。初めてホウ酸団子という単語が頭をよぎった。

だがそんなのは些細な問題だ。そこそこ広いベランダで、私はローズマリーの鉢植えと元気に同居している。幸いなことに、室内で黒い彗星は見ていないしホウ酸団子のお世話にもなっていない。あえて言うならこれからの季節、便座が冷たいことが一番の懸念事項だがホムセンに駆け込めば千円以内で解決する。

汚れているな、と思った部屋も頑張ったおかげか、今はピカピカだ。汚れが落ちない、というわけではなかったので、単に前の住人の退去クリーニングからかなり時間が空いたのかもしれない。シンク周りは綺麗だった。ベランダの緩んでいた蛇口もモンキーレンチを駆使して締め直した。
趣味が手芸やプラモだった時期があるため、簡単な工具はそろっているし加えて一人暮らしが長いと、良くも悪くもタフになる。
 

私の信条は『DIY(どうにかする、いい感じにする、やればできる)』。あとだいたいのことに通じて言えるが、自分でやると愛着がわく。

住めば都とはよく言ったものだ。

内見のときに我が物顔でベランダにいた隣人宅の猫は時々顔を見せてくれる。挨拶の時に聞いたのだが彼は元野良らしく、ナワバリのパトロールは欠かさないようである。朝パトロールついでに顔を覗かせて私が生きてるか確認してくれる。時々、天気のいい日には「室外機の横の洗濯物が邪魔、どかせ」と言わんばかりに、昼寝している私を呼びつけてくる。

時々ふと思い出す。半年前、早朝に家を出て終電を逃がした時、冷たい玄関で倒れて起き上がれなくなった時、泣きながらずっと考えていた。
寝て起きるだけの部屋に帰るのは嫌だ。

勢いのままに転がりこんだこの部屋が、あってよかった。

引っ越しに際して、私物の整理をしていて大学時代のゼミの資料を見る機会があり、何年も前の「六畳の御息所」という誤字をふと思い出した。

御息所。帝の寵愛を受ける女性の位の一つ、その元の意は書いて字の通り「息をつくところ」心を休めるところだ。
私は今の住処を「六畳の御息所」と勝手に呼んでいる。


はじめて自身で選んだこの部屋を、この部屋での生活を心底愛している。

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