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子どもの頃の小さな私が今の私の救世主
この前、娘とケンカをした。
理由は、娘が晩御飯をいつまでも食べないという、ありがちなネタ。
その日、私は出社日で、帰って屍状態になりながらも、2日便が出ていなかった娘のことを思い、食物繊維多めなメニューを作った。
だが、皮肉にも、娘への料理を作っている間に食べたおやつにより、娘は「もうご飯は食べたくない」と頑なに言い張った。
娘としては偽りのない、正直な「もう食べたくない」だったと思う。
けれど「娘のことを思って、しんどい中作った」という濃厚特製スパイスを入れて、丹念に作ったシェフの私はそれが受け入れられなかった。
「ママ、一生懸命作ったんだから食べてよ」
「もういらないの」
「なんで、一口でいいから食べてよ」
口を絶対に開けない娘。
このやりとりにも疲れ「もうママ知らない」と私は言った。
泣く娘。泣き声も次第に強まる。
泣く娘に対して抱く不快な罪悪感と、私の煮え切らない思いが募っていく。
しばらくたち、娘を抱き、娘の気持ちを聞いてみた。娘は「寂しかったの」と言った。
途端に、私の幼少期のことがフラッシュバックした。
私もお母さんに怒られたとき、寂しかった。
怒られるのも嫌だったけど、泣いている時、ひたすら孤独で、かと言って、解決するために何か行動を起こそうにも、経験不足でどうしてよいかわからず、戸惑い、何もできない時間が続く、とにかくもどかしく、寂しい。
こんな気持ちだったことを思い出した。
きっと今回の娘もこんな感じのことを思っていたんだろう。
じゃあ、あの時の私はどうしてほしかった?
あの時の私は、
私の感じた思いを全て聞いてほしかった。
怒っても大好きと言ってほしかった。
お母さんに笑顔になってほしかった。
それを、目の前にいる娘にすべてやってみた。
すると、強張っていた娘の表情が緩み始めた。
その緩んだ娘の表情を見て、私は自然と涙が出てきた。
瞼にあふれる涙じゃなくて、頬をツーっと垂れる涙。
もちろん、娘が落ち着いたいうこともある思うけれど、私は、私の心の中の深くて狭い、三角コーナーみたいな所に、ずっと静かに身を潜めていた、小さな私の思いを、親になり、少しバージョンアップした私が、娘を通して、体現できた満足感に涙を流した気がした。
ケンカはしたけど、娘のおかげでまた一つ、私の中の小さな私に向き合えて、最高な一日だった。
ただ一つ、半分残してって言っておいた、たい焼きを、まるまる1匹食べられたのが悔しい。