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もらいゲロする母親もトントンが苦手な母親もいるよ
私は小学生の頃から吐瀉物が本当に無理だった。
特にあの人間の内臓的な生々しい、スメルが本当に苦手だった。
小学生の頃は、友達が不意に吐いてしまったブツを見るだけで、悪気もなく、もらいゲロしてまう人間だった。
娘を妊娠中、出産経験のある先輩に、
「赤ちゃんって、やっぱり頻繁に吐いちゃったりしますよね?それで、もらいゲロとかしなかったですか?」と真剣に聞いたことがある。
先輩は「赤ちゃんのゲロは、そんな臭わないから全然そんなこと心配しなくて大丈夫だよ、てか、そんなこと真剣に聞かれたの始めてだよ~」と言い、笑われた。
だが、実際、娘が赤ちゃんの時、母乳を飲みすぎたのか、吐き戻してしまったことがあった。
私は、やはりもらいゲロをした。
その時、私はやっぱりそうなるかという確信的な思いと、母親なんだから早く処理をしてあげなきゃという焦りで、混沌とした気持ちになったことを覚えている。
母親という肩書がついたところで、私に備わっている本質は、やはり変わらないということが明確になった。
また、私は、娘の背中をトントンとしながら、眠らせるというのが苦手である。というか、下手である。
単純に、トントンしている時の、手のスナップが恐らく普通の人より私は、短時間で疲れる仕様になっている気がするし、トントンしていると、均等なリズムでトントンできているのか、だんだん訳が分からなくなってきて、トントンじゃなくて、トントトトンみたいなビートを刻み、結果、娘も「これ今何の時間ですか?」状態になり寝ないことが多い。
母や祖母は、もっと安定感のあるトントンだった気がする。
これも母親になったら、自動でできるように備わっている能力だと思っていた。
でも現実は違った。中身はずっと何十年と付き合ってきた私のままだった。
これはおそらく「母親」という幻想なんだろう。
世の中は幻想で溢れかえっているけれど「母親」という幻想は強い。
今日も私は、幻想の「母親」と、現実の私が演じる「母親」のギャップを噛み締めながら、子育てをしていくのだ。