ちゃん卒アウトプット〜マインド編〜
さて!!
本日も、魅力覚醒講座の課題図書のひとつ。
小田桐あさぎさん著書の
「私、ちゃんとしなきゃ」から卒業する本
のアウトプットを書いていこうと思う。
読める項、ワークが捗る項からやってたから
もれなくマインド系は筆が重かったのでw
後出しになってしまいました><
と、いうことで…
ちょっと今回の章はメンヘラ時代を思い出して超絶しんどかった…><
わたしはかつて、
「親の評価がすべて」
「お母さんに愛されるため、捨てられないためにはお母さんのご機嫌とりをしないといけない」
わたしがうまくやらないと愛してもらえないから、
むしろ殴られるから…そう思って生きていました。
その依存の矛先が、
中学進学から異性に移ってからも、
相手の顔色を常に伺い、
「こうしたら喜ぶだろう」とか
「今日は機嫌が悪そうだからこうしとこう」とか、相手のために尽くすことがやめられず
「条件付きの愛」しか受け取る方法がわからなかったんです。
そのくせ自己顕示欲もハイパーマックスで強かったから
「こんなにわたしは相手に尽くしてるのに、相手から十分な愛を返してもらえない」と相手に憤りと悲しみを感じていました。
その結果、相手をつなぎとめておくためにと身に着けたのが
「自傷行為」
相手からしたらただの脅しじゃん、と今では思うんですが…w
この自傷行為は、
いつしか自分の存在意義を確かめる行為となり、
「いつか冷たくなったわたしを見て、みんな後悔したらいい」といった、呪いに変わり、
わたしがつらい時の切り札になったのです。
その結果、
拒食症で身長168cmで30㎏台まで痩せたり
左手首の腱を切って
一生しびれが取れない手になってしまったり
何度も自殺未遂を繰り返すなど、
どんどんエスカレートしていきました。
根底にはいつも、
「自分はひとりぼっち」
「わたしはこんなに頑張ってるのに」
「誰もわかってくれない」
と言った焦りや寂しさ、悲しさがありました。
■まずは自分のために、人の誘いを断るところから
当時のわたしに言ってあげたい。
そんなことしてたって、
「誰もわかってなんてくれないよ」
「あなたの欲しい愛情の形をくれる人は現れないよ」
って。
冷たいですか?
だって、当時のわたしは
「自分がどんな愛情を受け取れれば、自分が満足できるのか」すらわかってなかった。
だからこそ必要なのは、まずは自分の気持ちを知ること。
この書籍には、
「昼寝レベルでも、他人の誘いを断る」
ってことが書かれてるんだけど、
これは、「自分のやりたいこと」や「休息」をしっかり確保しにいかないと、自分の時間は一生産まれない。
=自分の気持ちがわからない。につながってしまうから。
当時のわたしは多分、彼氏からの誘いだったら、体調不良を圧してでも会いにいってたし、要望に応えてたと思う。
「わたしはこんなに体調不良なのに会いに行ってる」
「断って嫌われたくない」
って、こんな相反した気持ちを抱えながら。
結婚して出産してからは、家事や育児もわたしがしなきゃいけない!
でも、旦那からの夜の誘いを断ったら
風俗に行って変な病気をもらって帰ってきたり、そのままレスになるんじゃないか…とか。
朝はバタバタごはんとお弁当を準備して、
日中は預かり保育ギリギリまで仕事して、
帰宅して家事と育児して、
寝かしつけが終わったら旦那の要望にも応える…
こんな、
「他人のため」
「世間的に言われる”母親がやるべきこと”」に縛られて、
自分の時間なんて1秒もなかったし、
それが当たり前だったから、
自分の気持ちなんて、一切考えてこなかった。
「もっと家事を変わってほしい」
「もっと育児に協力してほしい」
これは表面的な解決でしかなくて、
もっと根本的な、
「じゃあ自分はどうしてもらえたら幸せか?」
「どういう風に過ごせたら満足なのか?」
が理解できてないから、結局満たされない。
まずは、自分はどうしたら安心できるのか
自分はどんなことに満足して、どんなことに幸せを感じられるのか。
それを知るためには、
自分で、自分を知るしかないのです。
他人に自分の大切な人生の舵を預けてたら、
一生満足のいく幸せは手に入らないわけですね。
■ブレても良い。進化の証。
わたしは何個かマーケティングの教材とかを購入してきて、
「信念の矢を立てる」とか
「発信者であるなら一貫性をもたせる」とか
「ぶれてはいけない」
みたいな教育を受けてきていました。
だからこそ、この「ブレていい」っていうのは、正直本当に驚きました。
このブレる、っていうのは
「常にどうしたらいいか、どうしたら最善かを考えている証」だと。
結局、過程はどうあれ、最後に残るのは結果だけ。
だったら、その過程がブレてたとしても、もともと組んでたプランより最高の形で結果に結びつくなら、そのほうがいいじゃん?ってお話でしたw
信念どうこうではなく、
大切なのは、ポジショニング。
これはビジネスシーンでもとても役に立つ考え方だなって思いました。
学べば学んだ分、自分自身も成長するわけだから、以前と言ってることが変わったと思うより、その時の自分のレベルに一番フィットしているやり方でやったらいいんだよ。
ってね。
むしろ、一度決めたことを何も変えずにやり続けるのは、成長していないと同義では…?とのことでした。
■メンヘラこそが魅力的
「メンヘラって男性に嫌われる」
これって、なんでだと思いますか?
A.解決策を相手に丸投げしているから。
相手が思い通りに動いてくれない、
欲しい愛情の形をくれないからと、
ヒステリックに当たり散らしたり、
はたまたかつてのわたしのように、自傷行為で責任転嫁して脅してみたり…
今ある自分の辛さを、相手のせいにしてるから嫌われるわけです。
では、こんな人ならどうですか?
自分の身に起こったことに、
全力で悲しんで涙を流す人
全力で怒っている人
全力で苦しんで落ち込んでいる人
全力でサプライズに喜んでいる人
映画に感動して号泣している人
自分の感情の振れ幅に、泣いたり怒ったり、感動したりしている人。
感情が豊かな人なんだなって感じませんか?
感情の起伏で言ったら、むしろ前者よりも振れ幅が大きいのに、
矛先が相手に行ってないから、「個性」として受け入れて貰えている。
なんなら、苦しんで落ち込んでいる人なんか男性は大好物だし、
それが意中の相手だったら「俺が相談に乗ろうか?」なんてなったりするわけです。
いつでも、感情の矛先は自分。
なぜ今自分はこういう感情なのか
どうしてこういう感情になったのか
それを自分自身で把握して、自分自身で受け止める。
これができる人は、めちゃくちゃモテる。
特にわたしみたいな親に抑圧されてきて、
現実から目を背けて
相手の言いなりでいたほうが安全だ、と学習してきたタイプの人間は
自分の感情を表に出すのがめちゃくちゃ苦手だし、
自分の感情が今どんな状況なのか、自分でもわかってない。
だから、その原因を持ってきた相手に責任を押し付けて、「あんたのせいなんだから、あんたがなんとかしてよ!!」ってメンヘラ化するわけです。
でも、相手の行動に対して
怒りや悲しみを感じたのは「自分自身」なんだから、
相手にはその感情の機微なんて知る由もありません。
解決のしようがないんです。
だから、まず知るべきは自分自身。
「わたし、あなたのこの前のあの態度がすごく悲しかったの」
「あなたがこの前こうしてたの、わたしはすごく嫌だったから、今度からはこうしてほしいの」
そう伝えられる女性のほうが、魅力的じゃないですか?
自分らしさ、自分の感情も素直に受け入れられるようになれば、めちゃくちゃいい女になれるってことです。
■謙虚さこそがモテない原因!
特に日本は「謙虚さこそが美徳」みたいな風習がありますよね。
かつてのわたしも例に漏れず、女性とは慎ましやかに、男性の一歩後ろを歩くもの、みたいなはんなり精神があった時期もありましたw
その結果、彼氏は途切れはしないものの、
DV、モラハラ、借金、ヒモ…
ろくでもねぇ男ばかりがひっかかりますw
わたしこんなに頑張ってるのに
なんでなのwwww( ˙-˙ )
自分の人生を振り返った時、
まじで真顔でため息交じりにこの言葉を発しました。
そしてやってくるゆんちゃんクソビッチ期w
「かわいいね」って言われたら
「ありがと♡」って返すし、
「すごいね」「気が利くね」なんて言われれば
「でしょ!」って返してた時期は、
こちらからアプローチしなくても、
新宿の一等地にある
マンションの一室のカギを渡してくれる若手の不動産社長とかw
「他の男より桁が1つ多い物をプレゼントしたいんだ」って、
2回目のデートでカルティエのネックレスをくれたりするような男性にも好意を寄せてもらえる機会が増えました。
やっぱりどこの世界線でも
エネルギッシュで
自分に素直で
自分の機嫌は自分でとれる女
これがモテる。
まじで真理。ここ、テストに出ます。
■親への遠慮・気遣いは逆効果と知る
うちの親は
「節約は正義」
「仕事は3年以上続けられなければ社会不適合者」
「女なら家庭に入るべき」
「共働きをさせる男なんて甲斐性なしだ」
「そんなに小さい頃から子供を保育園に預けるなんて不幸だ」
などの偏った偏見が大いにあり、
わたしも反発こそすれ、この価値観にずっと触れ続けて生きてきたから、この意見からずれると、心がザワザワしてしまっていたのもまた事実でした。
反論したら殴られるといった幼少期の心の傷も大いにあると思いますが、
親の意見に反する=死刑
みたいに感じていたんです。
だけど、親になった今。
この意見たちは、親たちが
「世間から自分の子供を守るための防衛手段」だったんだな。って。
まぁ暴力してまで従わせるのはどうなのとは思うけどw
親も親で、先述のような偏見や暴論に晒されたことがあったんだろうなって。
まぁなので、ここにも確かに歪みはあれど「愛」はあったんだなって。
わたしも、自分の子供には
なるべく苦労はさせたくないし
辛い思いも悲しい思いもさせたくない。
それを回避するには、世間的に言われるセオリー通りに生きるのが、多分一番安全だと思う。
でも、その世間体で自分の子供を縛り付けて、逆に生きづらさを感じさせていたら本末転倒じゃないですか??
わたしの親は、多分そこを間違えた。
不登校はダメだって言われてるけど、
じゃあ嫌な思いしてまで通う学校に、何か得られるものはあるのか?
だったら、
もっと別の方法を探してあげたいし、
子どもにはたくさんの選択肢を持たせてあげたい。
そのためには、
いくらだってお金や時間は使ってあげたいし、
むしろそれを拒絶されたら、
悲しいし心配になる。
これが親心なんじゃないかなぁ。
親から強要されてきた身としては、
いらないと感じたものは受け取らなくてもいいし、
自分にとってメリットになるものなら、何も気にせず受け取っていい。
「ちゃんと」なんてできてなくていい。
「世間体」も気にしなくていい。
「自分が幸せか」が一番大事。
だから、親に対しては、自分の幸せのために使ってやる、くらいの気持ちで
欲しがるくらいがちょうどいいんじゃないかなって思います。
子どもの笑顔が、親にとっては一番の幸せだから。
■罪悪感こそ、才能の原石
「罪悪感」って、どんな瞬間に生まれると思いますか?
書籍にもありますが、「常識」と「本心」が乖離した時に生まれるものなんです。
たとえば、
無銭飲食だったり、極論殺人なんかは
「絶対にダメ」ってわかっているから、そもそもやろうとすら思わない。
だけど、「常識」と「本心」の乖離が起こった時に「罪悪感」を感じる、ということは
「本心」では、正直、周りは悪いと思ってるけど、自分は別にそうでもない、みたいな感情があるときに起こるわけです。
つまり、ここに自分の本心…”自分らしさ”が隠れている、といっても過言ではない。
さて、ではこの罪悪感とやらはどこから来るのか?というと、
冒頭でもわたしの例としてあげたように、「親」からの影響がとても大きい。
親の持っている価値観って、親世代が若い頃に植え付けられてきた常識であることが多くて、
時代は常に進歩するし、価値観も進化します。
今の自分が持ってる価値観と違って当然なんです。
だから、親の意見が絶対に正しいことなんてない。
むしろ、一緒だったら自分の価値観も古いんじゃないか?と危機感を持ってもよいくらいです。
自分の本心を大切にする行動を心がけていきたいものですね。
■今後の課題
さて、わたしは幼少期の心の傷が深すぎて、
こういったマインド面の話になるとめちゃくちゃ長くなっちゃうんですが。
最後にこの章と、自分の今後について書いていきたいと思います。
この章を読んでみて、自分自身、まだまだ自分の心の声を拾い上げきれてないな、というのを強く感じました。
わたしはわたししかいないのに、
彼氏に好かれるため、とか
親のお眼鏡にかなうため、とか
「自分ではない何者か」に、自分を変化させようと必死だったんです。
でも、
「常識」から逸脱して罪悪感を感じるのも
親の意見に反抗的な感情を抱くのも、
全部、正しい。
これが”わたし”なんだなって、
ようやく、自分の存在の「輪郭」をつかめたような気がしました。
これから、自分の中の小さい自分をもっと癒してあげながら、
今ある自分の心の声をどんどん拾って
自分らしく、魅力的に、生きていきたい。
やっぱりわたしの目標は、自立、自律したいい女。
自分の足で、ちゃんと立ってられる女になっていきたいと思ったのでした。
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