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多様性は本当に社会の当たり前なのか?

今回は昨今言われる「多様性」についてです。そもそもいつからこの「多様性」というのが当たり前の権利のように言われるようになったのでしょうか。遡ること17年前。私が初めて(3名で)起業を志したのが2003年の時。その当時はまだまだ起業する人は少なかったですし、母以外からはみんなに反対というか、絶対にうまくいくはずないと言われたのをよく覚えています。当たり前のように一流企業に長く勤めて、出世を目指していくというのが王道でした。どちらかというと「多様性」という言葉で新しい取り組みや活動を正当化できない時代です。ところが今や起業というのは市民権を得たように「働く」ことの一つの選択肢になったのではないでしょうか。そして私が起業したばかりの時は、特に大企業との取引においてはいつも格下扱いでバカにされていました(笑)お取引先の大手企業の部長さんからは「誰から金をもらっているのかわかってるのか?」と、よく私物にまで突っ込まれていましたよ。。パワハラとかそのあたりについても当時は当たり前だったように思います。でもそれが普通でしたし誰も疑うことは無い時代でした。でも今はそんなこと許されませんね。大企業に対してスタートアップの方が上から見てくるくらいです。そして昨日の渡部さんの不倫騒動に対しても、昔とではすごい差が。。。

わずか十数年でここまで捉え方を変えられるとは同じ生物とは思えない。このあたりはユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」でも語られていますが、人というのは本当にストーリーに共感すれば集団で思考も行動も変わる。つまり物事の捉え方は簡単に変わる可能性があるということです。

そして同じように、今や多様性やダイバーシティという言葉は、影響力のある成功者や識者たちの発言によってもはやスタンダードな事かのように語られています。皆が皆、多様性に満ちているかのように。ところが本当にそうなのでしょうか?本当にそこまで時代は変わったのでしょうか?というのが最近思う疑問です。結論から言うと「多様性」とか「ダイバーシティ」って実体としてまだまだめちゃくちゃマイノリティだと思うんですよね。。実際のところ、マジョリティはほぼ変化していないと思います。まだまだストーリーが弱い、というか実体とかけ離れていて実感が無いんでしょう。そしてやはり新しい概念には常に反対勢力が存在しますし、大きな組織であればあるほど変えるリスクも大きいわけですから時間も掛かります。なぜ感覚と実体がそこまで乖離してしまうのでしょうか。

恐らく、新しい概念というのは一見SNSなどで目立ちやすい分、バイアスが掛かって大きくリーチしていますね。ですから実社会で見てみると実はそれほど浸透していないという罠がある気がします。そして声の大きい影響力のある人が新しい概念を強く発信していきますので、1意見とはいえ重み付けが大きく違っています。また、似たような属性の人たちがアルゴリズムで集まるようになっているため、余計に情報格差が生まれます。今のSNS社会は発信の重み付けが違いすぎてインフルエンス力のある人の意見がマジョリティのように聞こえしまい、例えば一つのレアな事例しかないことも汎用性がある事かのように感じるわけです。ただし、社会の実体とは「伝達の数」ではなく「実績の数」でしか変わらないのです。実は起業についても実際の数字を見ていくと、前述したような感覚値ほど増えているわけじゃなくむしろ減っているんですよね。。

起業希望者数、起業準備者数は1997年から減少傾向が鮮明であり、起業家数も2002年が38.3万人、2007年が34.6万人、2012年が30.6万人と少しずつ減少しています。

こちらは少し古いデータですが今年からはコロナの影響で確実に激減するでしょうね...もう起業が当たり前のように感じていましたが当然ながら実体は違うわけです。私も起業家と接する機会が多いのでどうしてもバイアス掛かっています。そういう意味でも世の中の実体を知るにはもう少し外の世界を知る癖を付ける必要がありますが、同じような属性の仲間を繋ぐSNSがそれを遮断してきます。ただ、ヤフーニュースとか自分の思考と繋がりのない多くのコメントを見ると、実はマジョリティの意見がよく分かります(笑)あと起業どころか、学生に勧めたい大手企業ランキングがこちらです。しかもトップの理由1位は「安定している」、2位が「将来性がある」との事ですが、コロナで大打撃を受けている会社から見事に並んでいる。。普通に考えたらおかしい気がしますが、これがマジョリティの思考ということでしょうか...

やはり今までの自分とは違った世界の経験を積むことこそ、結果として本当の多様性を実体化する答え
な気がします。いづれにしても時間が掛かるものですから自ら人柱となって一つでも多くの実体を作る事が結局はとても大切だと思います。そして本当にこれからの社会の発展に必要なことであれば、そのマイノリティの取り組みを決して頭ごなしに否定しないこと。民主主義は時にそういったケースでネガティブに働いてしまいますので、応援する文化が必要ですよね。

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