影山飛雄は天才なのか
以前に、「私を構成する5つの漫画」でも上げた通り大好きな漫画ではありましたが、最近益々『ハイキュー!!』という物語にはまっています。
ちょっと大丈夫かな、と自分でも思うくらいです。
あまりにも自分の中に熱がこもってきたのと、友人に「なぜハイキュー‼!にはまっているのか」が上手く伝えられなかったことが悔しかったので、只今『ハイキュー!!』が何故好きなのか執筆中です。
緩い卒論みたいな感じで文量が多そうなので、こちらはまた後日。
そんな感じで日々頭の中を『ハイキュー‼』がぐるぐるして思考を続けていたために、タイトルの「影山飛雄は天才なのか」という疑問が副産物的にわいてきてしまい、こちらの考察も止まらなくなりました。
ということで、とりあえず影山について書いてみることにします。
1.影山飛雄とは
まずは、今回取り上げる影山飛雄の紹介です。
週刊少年ジャンプで連載していたバレーボール漫画『ハイキュー!!』の主人公の1人であり、バレーボールのポジションはセッター。
作中ではコート上の王様の異名(良くも悪くも)をもち、"天才”として描かれることが多いキャラクターです。
※原作漫画での高1(左)と21歳(右)の時の紹介と能力値
パワー・バネ・スタミナ・頭脳・テクニック・スピードの6項目5段階で表記されており、原作初期では最も能力値が高かった。
『ハイキュー!!』は様々な人間対比からキャラクターが描かれています。その1つが、影山飛雄ともう1人の主人公である日向翔陽の対比です。
日向は、ずば抜けた身体能力を描かれながらバレーボールの技術自体は未熟である一方、影山は第一話から強豪校の天才セッターとして登場しています。
このことは物語中終始変わらず、
ライバル校である音駒高校の猫又監督からは
と言われたり、
影山が尊敬し、追いかけ続けている中学の先輩の及川徹にも
と言われたりして、特にバレーボールについて詳しくない読者にとっては、「影山って天才なんだな」と思わせてくるような描写が多く、設定として天才の位置付けとなっているキャラクターのようです。
私自身もそういう所が(も)好きで、『ハイキュー!!』の中ではイチオシのキャラクターでしたが、上記のように作中で天才と書かれているから、単にそういう「天才キャラクター」なんだなという認識で、その"天才”の中身については長らく考えていませんでした。
結局、最後まで影山飛雄が優秀な選手であることは描かれ続けたのですが、連載が昨年終わり、様々なメディアで好きなキャラクターや、最強セッターを選ぶアンケート等が取られるようになり、『ハイキュー!!』ホイホイな私は喜んでそのアンケートに答えたり、他の投票者のコメントを舐めるように読んだりしておりました。
が、その時の読者の反応に違和感があったため、今回のタイトル「影山飛雄は天才なのか」について、語ってみようと思います。
2.作中の天才表記に疑問を持つ
今回、天才について書いてみるにあたり、辞書を引いてみました。
「天才」
生まれつき備わったすぐれた才能。そういう才能をもっている人。「―的」
Oxford Languagesの定義
『ハイキュー‼』の作中では、"天才”についての言及が何度もあり、天才とは何か、という問いも物語の大事な要素であったと思います。
初期に、天才の影山と秀才の及川といった構図が描かれており、この時に『ハイキュー‼』内の"天才秀才”論も読者側でも盛り上がり、連載終了後に書き込まれたYahooニュースのコメント欄でも、天才秀才論絡みの感想はよくみかけました。
確かに秀才(と思われる)及川の「才能は開花させるもの センスは磨くもの」
と描かれた及川のこの言葉は、ハイキュー‼を象徴するシーンであったと、最終巻を迎えた今もそう思います。
中学の時に影山を殴りつけそうになった及川が、"天才秀才論”を乗り越えて日本代表相手にラスボスのようになった姿にもグッときました。
しかしだからこそ、益々「影山飛雄は天才なのか」という疑問もわいてきたわけです。理由を2つ挙げてみたいと思います。
3-1.早かったバレーボールとの出会い
一つ思い出して(初めての方は知って)欲しいシーンが、下記になります。
烏養コーチが、もともと烏野の正セッターであった3年生の菅原か、1年生の影山かどちらのセッターを選択するか悩むシーンです。
その時から周囲から見ても影山は才能に胡坐をかくでもなく、ストイックな努力をし続けていることが窺えます。
このように、原作初期から影山は才能+努力の選手だということは、作中の周辺キャラクターや読者にとっても明白だったのではないでしょうか。
努力もあるという認識はありつつも、もしかしたら影山は天才ではないのでは?とついに思い至ったのが、原作終了間際(最終45巻)の44巻でのことでした。驚くことに、主人公の1人でありながらここに来て初めて影山の過去について語られることになったのです。
彼は物語の初期に「バレーは小2からです」というセリフがあったことから、小学校からのスタート(それでも早い)だと思われていましたが、どうやらそれはチームに入った年らしく(影山は基本的に口下手かつバレーボール以外はポンコツ仕様です)
実際には、ほぼほぼ0歳の時からのスタートだったことが明かされたのです。
バレーボールの監督をやっていた祖父とバレーボールをやっていた年の離れた姉の影響で、影山は0歳からバレーボールに触れていました。
小学生の時には流行りのゲームも持っておらず、作中の誰よりも早くバレーボール浸けの日々を送っていたようです。
その後は姉が髪の問題でバレーボールを辞めたり、影山にバレーボールを教えていた祖父が亡くなったりと、影山を理解して支えてくれる人がいなくなり孤高の独善的な王様になっていくわけですが、「強くなれば 絶対に 目の前には 強い誰かが 現れるから」という生前の祖父の言葉を胸に、影山はひとり黙々とバレーボールを続けます。
バレーボールの技術を磨くだけでなく、毎日バレーボール日誌を書いたり、身体(手)のメンテナンスをやったり。。。。
中学の最後の試合でトラウマも抱え、さらに将来を嘱望されながらも県内1の強豪校白鳥沢にも落ちます。
しかし、それでもバレーボールを辞めることはなく、本当に人生の殆どを〝バレーボール“に費やしていたことが、ここにきて判明したわけです。
そんな中で思うのが、ここまでやって出来たことは、及川が言われる秀才と何か違うだろうか、ということです。
周囲より10年近く始めるのが早く、やめることなくバレーボールを続けてきた。ダントツに上手でも当然な気がします。
なんなら物語の最終時の能力パラメータでは、日向の方がバネ値が高いです。バネ5は作中でも星海と日向の2人だけであり、元々の身体能力の高さが垣間見得るわけで.......
日向も星海もその背の低さに焦点があたり(背の高い選手が有利とされているので当たり前ですが)天才と呼称されることはありませんでしたが、そのハンデを乗り越え、天性の身体能力も持っているこちらの方が、最初に記載した"生まれつきの能力や才能"とあった天才の定義には当てはまっている気もしてしまいます。
3-2.ぶっつけ本番はしない
それに加えてもう一つ、「影山は天才ではないのでは」と思った点があります。影山は始めてを実戦で試さないところです。
青葉城西戦ラストの及川と岩泉のロングトスや、稲荷崎戦での宮侑と治の双子マイナステンポなど、試合の中で試してみた初めての試みが描かれることがあります。
しかし、"天才”と呼ばれる影山のプレーを振り返ってみると、基本的に影山主体の攻撃は、練習した(だろう)ことだけです。(ネット真下に打ち下ろす攻撃も日向の失敗から生まれています。)
研磨の視線フェイントや、赤葦のリバウンド、及川のネット際のボール扱いなど、彼がカッケーと思いソワっとした描写は結構ありましたが、そのカッケー技をその試合中に試すことはありませんでした。その証拠に、リベロの西谷がトスあげて、セッターの菅原含め全員攻撃となった際も
と言って、その場では無理だと言っています。
天才と作中で描かれている割に、影山の天才ぶりは、必ず練習したことから生み出されています。他に選択肢がないために対応した神業はありますが、基本的に試合の最中に天才的なプレーを創作したり実演しているのではなく、過去に練習したことをプレーで実践、反芻し、すごいと思ったプレーをほかの試合でやってみせていたのです。
こういうことを積み重ねて行くと、「影山飛雄は天才なのか」は、否定したくなっていきます。
作中では天才、才能について下記のように
言ったりもしているので、作者の古館先生も単純に辞書的な意味で"天才”を使用していたわけでもないと思いますが........
4.影山飛雄は天才なのか
ここまで書き連ねてきて書くのもなんですが、それでも影山のトス回しや能力値などは、ただ努力しただけでは手に入らない「天才」というものなのかもしれません。
姉や祖父などの理解者がいなくなり、トラウマも抱えながらそれでもバレーボールを続けた姿は常人には見えなかったですし、その熱意がどこからくるのかわからないところが、影山を"天才”たらしめている気もします。
それに、日向との変人速攻もリアルなバレーボール漫画である『ハイキュー‼』の中でも一番のファンタジーであるようにも思うからです。
ただ辞書的な意味としては、彼より10年ほどキャリアも短いにも関わらず、身体能力が高く成人後には同じステージに上り詰めた日向や、アルゼンチン代表となった及川、初めて見てその場で変人速攻をやってみせた宮侑達の方が"天才”なのではないかと思えてきました。
「影山飛雄は天才なのか」という問いはここまで書いても結論を出せませんでしたが、ただ、彼こそが生まれた時からバレーボールを愛し、一番長くバレーボールに魅せられて共に歩んできたキャラクターであることは、間違いないのではないでしょうか。
2021/2/23 改稿