たとえば、通わなくとも
好きでブログを書いている。
自分が「いいなぁ」と思うものを記事にしているので、そのほとんどが言わば自己満足のカタマリみたいなものなんだけれど、それでも、好きだから、ブログを書いている。
ただ、これは理由だ。
好き「だから」ブログを書いているのだけれど、『あの人に届ける「ために」』という「目的」もあって、ブログを書いている。
今日は、この「目的」のお話をしようと思う。
『あの人に届けるために』なんて、ちょっぴり偉そうなこと言ったけれど、じつはまだまだできていないのだ。「届けよう、届けたい」と思った人に、伝えられている自信なんてない。だから、目的でもあり目標でもある。
一度も社会に出て働いたことのないわたしは、狭い狭い輪の中で、コミュニケーションを取っていた。
LINEやメールを使うのは、友達との雑談や少しの連絡、写真を送りあう時くらい。お仕事としてそれらを使ったことはなかった。
また、こんな内気な性格だけれど、何度か生徒会なるものを経験していたせいで、500人くらいの前でお話しすることが何度かあった。しかし、その対象は、「あなた」ではなく「みんな」や「だれか」。
だからわたしは、「ライター」というお仕事に触れるまで、【対象になるかもしれない人が多くいればいるほど、当てはまる確率も広い】などという、とんでもない、今思えば恥ずかしくて逃げ出したくなりそうな考えだったのだ。恥ずかしい。恥ずかしい。
そんなこんなで、伝えたい人に向けて書かなければ、伝わらないということがわかった。「あの人」にさえ届かなければ、ほかの「だれか」にも、届くわけがないのだ。だって、対象としているのは、あなたであって、だれかではないのだから。
冒頭で少しお話ししてしまったけれど、ブログを始めたきっかけは、「好きだから」である。口下手なわたしは、表現の方法として文章を選んだ。まだ、人見知りはなおらないけれども。
ただ、「目的」も、忘れてはいけない。LINEやメールのように、その人にメッセージを送るのだ。顔は見えなくとも、気持ちはかならず届く。きっと、そっと。
たとえば、通わなくとも。
100人に伝わらなくとも。1人に心を込めて。
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