願ってもつかめないもの
まだまだ眠り足りなさそうな目をこすりながら、これでもかというくらい大きな伸びをする。そうして、朝日が舞い込む入口となる窓を開けながら、これまた大きなあくびをする。それが彼のいつもの朝の儀式だ。
「んー?起きてたの??」
「ちょっと前に目が覚めてね~」
うそだ。本当は、この一連の儀式を見るために、目覚ましの鳴る5分前に起きているだなんて言えない。
人と接することが大好きな彼は、どんなに仕事が忙しくても「疲れた~」以外のマイナスな言葉を口に出さない。頭のストッパーがネガティブ表現を遮断しているとも感じない。だれかや何かに支配されている訳ではなく、やれと言われたからその道を選んだというわけでもない。本当に、ただ単純に、仕事が好きなのだ。
「ねぇねぇ聞いて」と口を開けば、今日は職場でねこんなことがあったんだよとか、あの社員さんはすごいんだよとか、そんな話題の方が多いけれど、それが案外好きだったりする。はじめて虫網でセミを捕まえたこどものように目を輝かせて語るその姿に、憧れを通り越した嫉妬のようなものを抱くこともある。どれだけ努力をしたところで、こんな風になにかを語ることはできない。
そんな彼が、少年のような顔つきから彼自身の表情になるときが一瞬だけある。大きなあくびを終えた、あの瞬間だ。だから、その顔が愛おしい。でも、すぐに目をキラキラさせて、「よっしゃ~!今日も頑張るぞー!」なんて言うから、長くは見られないのだけれど。好きなものは儚いなぁなんて思う。
一本の電話がしつこく鳴った。聞けば、台風の影響で、出勤時間が少し遅くなるらしい。そうか、今日は天気が悪いのか。寝室のおしゃれな間接照明があたたかく辺りを照らすものだから、窓枠で切り取られた風景が何を起こしているのか全く分からなかった。
すでに仕事モードに入っていた彼は暇を持て余していたけれど、そのうち日頃の疲れが出てきたのか、二度寝しよっかと言い出した。
もう一度、あの瞬間に出会える。
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