オータムインのピスキウム ~プロローグ~4
「ところでさ、ピスキウムちゃんは誰かに恋したことある?」額を赤くはらしたエルマがいった。先程までとは違い、やや真剣な表情だった。
「恋?」
「そう、恋。ラブ。真面目な質問だからできれば答えてくれると、お姉さん嬉しいな」
「まあ、多少はありますよ。こうみえて年頃の女の子やってたんで」
「多少ってなんだよー」
「多少は多少です。小学生のときにバスケ部にかっこいいなって思ってた男の子がいただけですよ」
ピスキウムはぶっきらぼうに言って視線を窓の外にそらした。手が自分の長い耳の先端へと無意識に伸びていじり始めた。嫌なことを思い出したという顔をした。
「うんうん、なるほどね。それで、なにかイベント的なものは? 例えば告白とか!」
「……何もなかったですよ。何もなく卒業して、別の中学校に行って、そのまま忘れて終わり」ピスキウムの視線は窓の外に向けられたまま、ピントはさらに遠いところにあっていた。
「本当にそれだけ?」
「本当にそれだけです」
「そっかぁ……」
エルマはぬるくなったコーヒーに視線を落とした。ピスキウムは耳をいじるのをやめて、黙って彼女を見ていた。彼女はボソッと家の泣くような細い声で「参考にはならないかなあ」と言った。ピスキウムの耳は、その独り言をしっかり捕まえた。
ピスキウムはカップを掴み、残っているコーヒーを一気に飲み干した。そして、カップを強めにカウンターに置いた。
「で、そういうエルマさんは?」
「えっ!? わたし?」
エルザは話を振られると思っていなかったのか、ビクッと身体を震わせた。ついでにイスから転げ落ちそうになった。
「突然こんな話題を出してきたんだから、なにか話したことがあるんじゃないかなって思って」
「えっと……それは……」
エルザは言いよどんだ。みるみるうちに頬に赤みがさしていった。そして、ちらりと廊下の方を振り向いた。ピスキウムもつられてそちらをみた。廊下には誰もいなかった。エルザは視線を戻した。
「えっと、わたしね……ずっと昔から好きな人がいるのよ」
「なるほど」
「それで、これまでは近くにいるだけで十分幸せだったんだけど、わたしもいい歳だし、そろそろ次のステップに進みたいのよ。でも、どうすれば上手くいくのかわからなくて……。小説と映画はたくさん見たんだけど、あれは結局作り物だし。それで、身近な女の子の経験談を聞いて参考にしようかなって。ピスキウムちゃんは美人だからモテるでしょ? だから経験豊富だと思ったんだけど」エルマは早口でいっきに言いきった。頬はもう熟れすぎたトマトのようになっていた
「なるほど」ピスキウムは目を丸くしながらも、なんとか相槌を打った。ピスキウムは天井を仰いでウンウン唸った。
「うーん……。さっきもいったように、あたしは恋とはほぼ無縁の人生を送ってるんで、エルマさんの助けにはなれないと思います」
「ううん、話を聞いてくれただけで助けにはなったよ。少し気分が楽になった。ありがとうね」
「そうですか。それならいいんですけど」
会話がとまった。2人は無言で、コーヒーを飲んだりお菓子を食べた。
「あら、もうこんな時間になのね。そろそろピートさんが戻ってくるかなー」エルマが古時計を見ていった。
「片付けましょうか」
ピスキウムは立ち上がり、掃除道具を片付けにいった。エルマは2人が使ったカップと、お菓子の残りを流し台に持っていった。
「やっぱりピスキウムちゃんに話題振って正解だったわー」エルマがカップを洗いながらいった。
「ええ? そうですか?」
「ええ。だって、ピスキウムちゃんって、どれだけ突拍子のない話を振ってもちゃんと相手してくれるじゃない? 今だって、変に茶化したりしないでくれたし。そういうところ、良いところだから大事にしてほしいと思うな」
「うーん……」ピスキウムは頭をかいた。
2人がサボタージュの証拠を隠滅し終えた時、ピートがのっそりとした足取りで戻ってきた。彼からは土の匂いがしていた。
「そろそろランチの準備を始めるぞ。ピスキウムは店の前の看板を書き換えてきてくれ。メニューはこれ」と、ピートはいって、紙をピスキウムにわたした。「エルマは一緒に下ごしらえをするぞ」
「はーい」「うぃ」2人は言われた通り仕事に取り掛かった。
ピスキウムは入り口から外に出た。外は、太陽のおかげで心地の良い気温になっていた。通りを歩く人の数は、朝より多かった。遠巻きに店の様子をみているスーツ姿の男性がいたが、ピスキウムは気が付かないふりをした。
彼女は、店の前に置かれている立て看板に白いチョークで今日のランチメニューを記入した。内容は〈バジルソースパスタ〉〈オニオンスープ〉〈食後の淹れたてコーヒー〉〈店長の手作りティラミス〉だ。しめて600円。
ピスキウムはあいたスペースにティラミスの絵を描こうとした。しかし、うまく描けなかったので店長の似顔絵を描いた。あまり似ていなかった。ピスキウムは満足した表情を浮かべて店に戻った。
「店長、終わりました」
「あい。じゃあ次は……」
ピートの店はランチタイムに向けて忙しくなり始めた。
◆
日が暮れ始めた頃、ピートは早々に店じまいをした。「カギはいつものところに」と言い残して店を出た。これから隣町へ向かうのだ。
残された2人は、ロッカール―ム兼物置に入った。室内は、朝よりも土の匂いが濃くなっていた。
「早く終わっちゃったね―」とエルマがいった。
「そうですね」ピスキウムが同意した。
「わたしはこれから写真を取りに行くけど、ピスキウムちゃんも行く?」
「写真……どこに行くんですか?」
「今日は山の浅いところかなあ。もしかしたら紅葉が見れるかもしれないし」
エルマの言葉に、ピスキウムは首を傾げた。
「紅葉って……あの山で紅葉がつくんですか?」
「昔はねー。そうだね、私がこれぐらい小さい頃は、これぐらいの時期になると山一面真っ赤に染まって見えるぐらいだったんだけどね」
エルマは手のひらを腰の高さにおろしてひらひら振りながらいった。
「へえ、エルマさんにもそんなに小さかった頃があったんですね」
「えっ? 突っ込み入れるところ、そこ?」
「紅葉が付くとよりも意外だと思いまして。それに、紅葉は隣町にいけば、嫌でも目に付きますし」
「あっちのものとは、比べ物にならないんだけどなあ。まあ、当時を知らない若者にいっても伝わらないかー。残念」
「そうですね」
ピスキウムは自分のロッカーを開け、エルマもそれに続いた。2人は着ていたウェイトレス着を机の上に畳んでおいた。ピスキウムは数秒でジャージに着替えた。エルマは、カジュアルでおしゃれかつ、山の中でも動きやすい服装だった。さらに、小型のポロロイドカメラを首に下げた。
「もし、紅葉が見つかったら、写真を見せてあげるからね」エルマが、カメラをいじりながらいった。
「はいその時はぜひ。……それじゃ、お先失礼します。戸締まり頼みますね」
「はい、おつかれー」
ピスキウムは裏庭に出た。裏庭は、店の影が覆いかぶさっていて薄暗い。花たちはすでに睡眠に入っていた。
「はー、冷えるわ」
彼女は手をこすり合わせ、息を吹きかけた。次にその長い耳を手で擦って温めた。
〈ピートカフェ〉と〈エブリデイブックズ〉の間の狭い通り道を進んでメインストリートに出た。夕日で照らされたメインストリートには、隣町から戻ってきた人々が行き交いしていた。
「さて、これからどうしようかな」