アジャイルとかスクラムとかスクラムマスターとかを手段の目的化にしないために思うこと
ドーンと結論
地銀のスクラムマスターとして意識していることは
スクラムは開発手法ではなく"働き方"である
スクラムマスターはロールやポジションではなく"振る舞い方"である
ということ
これを押し付けてはいけないけど、自分の中の信念として持っていなければいけないと思っている
対象読者
・スクラムマスター始めました
・アジャイル開発始めました
・スクラム始めました
・ウォーターフォールやめようと思う
モヤモヤすることがある
アジャイルやスクラムにおける変更の容易性やナウイ開発という部分でアジャイル開発やスクラム開発を採用しているような企業もあると思う。
開発効率を上げるためのアジャイル/スクラム...
生産性を上げるためのアジャイル/スクラム...
勉強している方にとってはベロシティを上げるためのアジャイル/スクラム...
「あれ使えばなんとかなるらしいからやるんだ!」と言った
その背後にあるはずの「なぜ」がない
手段の目的化が起こっている気がする
なんかそんなモヤモヤを感じることがある
例えば
「アジャイル開発をしているから早い」
「スクラムマスターがいるからスクラムだ」
「スクラムのイベントを定期的にやっているからスクラムだ」
「スクラムマスターをしたいからスクラムをするんだ!」
など
スクラムとは何か
改めて何かを考えてみる。
モヤモヤしているとか言っておきながら申し訳ないものの
一般的にスクラムとは開発手法である
浅い認識としては
5つのイベント
・スプリントと言われる開発期間
・デイリーと言われる日報会
・レビューと言われる成果発表会
・レトロと言われる振り返り会
・プランニングと言われる設計/計画の時間
3つのロール
・プロダクトオーナーと呼ばれる要求決定者
・ディベロッパーと呼ばれる開発者チーム
・スクラムマスターと呼ばれる何でも屋
からなる開発手法である
スクラムマスターとは
スクラムにおけるポジションである。役割である。サーバントリーダーと呼ばれ、チームに対して献身的に活動する(2020年からはスクラムにおける真のリーダーと呼ばれていたり)
本当にそうなのか
しかし。上記の、その認識でいてしまうと、部分最適であり、最大の旨味には到達しない。
つまり、開発手法として定義付けられた「スクラムをする」ことだけでは足りない。
本当に必要なことは・・・
スクラムという手法に則り、価値原則を体現することで
チームが
マーケットに対して
柔軟で
R.o.Iの高い価値提供を行う
そして
「組織が」学びカイゼンしていく
これこそが、スクラム(アジャイル)を行う上で価値のある状態である
スクラムは集団心理や組織論に基づいて効果を裏付けられた手法である。
いわゆる「フレームワーク」として形を守るだけでは効果は出ず、
価値原則を体現するためのチームのマインドセットや、組織のマネジメントや意思決定方法をスクラムやアジャイル型にする必要がある。
スクラムの世界では
つまり、スクラムの世界では。。。
スクラムとは働き方もしくは生き方であり、スクラムマスターは振る舞いである
フレームワークとして型をなぞるだけでは本質的な価値に辿り着けない
だから
働き方として、生き方としてスクラムを行う必要がある
そのスクラムをリードする存在として、スクラムマスターが存在する方が良い
さらに、役割を与えられる/ポジションだからスクラムマスターなのではなく
スクラムをリードする担当として振る舞えることがスクラムマスター
というような状態がいいと思うんだ〜。
偉そうに言ってるけどまとめ
スクラムとはスクラムガイドに載っている開発手法である。
しかし、それの価値を体現するには、働き方として組織に根付かせる必要がある。
その組織変革のリーダーとしてスクラムマスターが存在する。
しかし、与えられた役割だからスクラムマスターが存在するのではなく、
スクラムをリードする振る舞いができるからスクラムマスターであり
それが他の何かしらのポジション名で呼ばれていたとしても、
スクラムをリードする振る舞いをする人がスクラムマスターであってほしい