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SNS断食のはなし


タイトルの通りSNS断食を試してみた話をします。断食といっても完璧な断食とまではいかず、7倍粥とフルーツとポテトチップス、あと台湾まぜそばならオッケー!みたいなハチャメチャ自分ルールに溢れていたけれど、1ヶ月試してみたら結構いい感じでした。


SNS断食をしようと思った理由は大きく3つ!


①時間の活用
無意識のうちに時間が溶けてしまう、もとい溶かしてしまうのをどうにかしなければなあと思ったからです。そのために、どうにかしなければなと思いました。
最近のSNSは自分で閲覧したことに関連する投稿や広告が引っ張られてきてしまうので、‘’ふーんそんなのもあるんやね、あんたやるやんね”の無限ループが完成してしまい、気付いたら1時間以上経っていることがよくありました。1時間ちょっとあれば、長くて眠くて全然頭に入ってこなかったあの高校の65分授業が終わってしまうことになる!まるっとスマホいじってるのと同じことになるのは流石にまずいんじゃないかと(これはあくまでも私の基準であって、実際1時間SNSを見ることが完全に悪だと思っているわけではありません)感じ始めました。インスタはじめて10年。今更ですね。
私の中の頭の中にある警鐘がガンゴンリンゴン鳴り出します。あの鐘を鳴らすのは他でもない、わたくしです。


②承認欲求のダイエット

前に何かの記事で書いたんだけど、私はめちゃくちゃ承認欲求が強い生き物で、バケモンみたいな塊を抱えております。23になった今でも友達、更には会社の上司にも面白いと思われたくて、ちやほやされたくて、「まあ誰も手を止めたりしないでしょ笑」と口先で言いながら いいねとかコメントでめちゃくちゃ喜んではしゃいだりする。うわ!やだな~!いつも思うけど私自分とは絶対友達になりたくない。いつまでも子供すぎる!
努力ではどうにもならないようなナチュラル天才的ユーモアセンスを持つ人がとっても羨ましい!

アカウントを所持している全員が消費者でありながら発信者になれてしまうインスタワールドの住民になった私は、どうしても発信者側になりたくて仕方なくなってしまう。
なので一度発信者の立場から退いて、肥大化した欲求をちょっと萎ませようと思いました。承認欲求がでかいこと自体も悪とは限らないんだけど、中には私の言動を不快に思う方もきっといらっしゃるし、私を満たすのは 事後のレポートに対する誰かのリアクション・インプレッション数ではなくて、紛れもなくその時間を共有した人や物や場所や作品、自分がその時感じたことが全てであると再確認したかった。これが2つ目の理由です。

③消費の休息
②で少しお話をしたように、インスタグラムでは発信者と消費者、両方の顔を持つことができます。発信者をお休みすると同時に 他の方の日常をある程度遮断する事にしました。ストーリーを自ら覗きにいって、例えば攻撃的だったり鬱鬱しいもの、あるいは羨ましくてたまらないものを見て心が乱れるのってめちゃくちゃドMのすることなのでは…?
これは発信者が悪いことは(ほとんど)何も無くて、私が外部からの情報で気分がなかなか派手な上下運動をする性格だから仕方がない。友人の喜ばしいニュースを見て、iPhoneを握りしめてその場で泣いてしまうくらい嬉しい時がある反面、嫉妬とか劣等感でぐちゃぐちゃになって動けなくなってしまうこともあります。でも結局見ちゃう。。。じゃないのよ。みなきゃええんよ。

私の中のルールは

①Instagramはスクリーンタイムを1日1分に設定

時々DMをくださる人がいるので通知が1日1回は来るようにしたかった。先述のとおり、インプットとアウトプットに制限を設けたかっただけでInstagramをピシャリと絶ちたかったわけではないので上記の設定のみで特にアンインストールはしませんでした。少し前で言う「年賀状の住所だけが頼り」というように、インスタだけで繋がる人が多く なかなかインターネット離れできないですね。
最初の頃は無意識のうちに開いてしまっていたけど、きっかり1分後に「制限時間です」と表示されるので途中から無意識に開いて見ることが無くなりました。



②Twitterはスクリーンタイムを1日15分に設定
テレビが苦手なので、新聞の一面を飾るようなニュースですらTwitterから得ている私がTwitterを全面的にやめてしまうと  今いる社会に置いてけぼりにされる気がしたので15分に設定。もともとリストでツイートを追うことが殆どで友人のツイートはほぼ見ていないし、DMもカタコトの日本語で綴られたバイトしませんかのやつとホワイトニングのモニターくらいしか来ない。こちらはリアルの繋がりを気にする必要はないので、あくまでもニュースと、ちょっぴりの娯楽の収集ツールとして猶予を設けました。





得た結果について

①時間について
めちゃくちゃ時間できた。

特に電車の移動時間に関してはかなり早い段階で効果を感じました。他人の存在感が大きく五感での不快感を感じやすい電車移動が最近すごく苦手で、他者と私のパーテーションとして『没頭するもの』が手放せないんだけど、スマートフォンを見る時間が劇的に減りました。今まで以上に書籍にのめり込むようになって、ブックカバーを着せては脱がす、という頻度が高くなりました。今までSNSに費やしていた時間が読書の時間になって、スキマ時間も続きが気になるから本を開いて、ひと月で20冊以上は読めている。これはすごい。私にとって嬉しい変化です。わたしのマイペースな読書スピードを考えると1日1時間どころじゃないな。どんだけインスタ見てたんや

家の中の積読がほとんど片付いて 週末や在宅勤務の度に図書館に足を運ぶようになりました。あと今年のテーマのひとつである「死にたくなさすぎる気持ち」「死にたくなさすぎるのに生きにくい気持ち」との向き合い方にも学術的な観点から1歩踏み込めた。いいこと尽くしだ…

積ん読に関して補足をすると、制覇しようと思えばできた積ん読を少し残して、図書館で本を借りるようになりました。終盤に近づくに連れて長年蓄積してきた山を崩す達成感よりも、読み終えて 全て片付いてしまったときの虚無感とかがとても怖くなったからです。アニメとか最終回迎えると1週間は喪にふくしちゃったりするからね。まだ手に取っていない積ん読の山を「全然減らない」と嘆く必要は全くなくて、むしろまだ読んでない本があることは生きるための立派な理由になるという尊敬する人のことばを改めて実感しました。ムーミン大全集はもうちょっとだけ眠らせておこうと思います。

それから「人生で1番好きかもしれない本」に出会えた!!!更新されるのは実に9年振りとかかもしれない!!やっぱり私はわたしの好きな人たちに好きなものを知って欲しいし作家さんを応援したい!わーこれだ!わたしがSNSをする理由!

【時間】
時間とは、かつて観た映画や読了した小説などを人知れず忘却の彼方に追いやる抗い難い力のことを云う。

【忘却】
忘却とは、かつて楽しんだ映画や小説を、ふたたび楽しめるよう、もとのまっさらな状態に戻してくれる人間にとって不可欠な力のことを云う。

【記憶】
記憶とは、時間と忘却の力が及ばなかった塗りのこしの余白のようなものを云う。したがって、それは大変に心もとなく、にもかかわらず―――あるいはそれゆえに―――まばゆく光り輝いている。
吉田篤弘「あること、ないこと」





②承認欲求について
わたしが発信者をやめて、それと同時に今までストーリーに載せていたようなことが日常からフェードアウトしてしまったら、私は誰かに見せるために、行動していたことになる。具体的にいうと GarageBandでの作曲編曲や風景画への落書き、iPadで手描きした絵日記などです。
Instagramをやめたところ、これらのアクションは私の日常から全く消えませんでした。(機材の事情で音楽づくりはお休みしている!)あーよかった!私はただ単純に自分が楽しいからという理由で人生の優先順位低めの、やらなくても何ら差し支えのないことをし続けていたということが分かった。嬉しい嬉しい。真面目にふざけるのって本当に楽しい。

誰かと遊ぶ時もしかり、オシャレなカフェとか言ってもね、空腹が勝って写真撮る前に手が伸びてしまう。写真フォルダがいよいよ野良猫と散歩の風景の写真だけになりそうです。

でも例えば曲を書いたようなとき、誰かに見せたい聞かせたい!という気持ちは確かに根底にあるので  その気持ちに無理に蓋をする必要も無いのかなとも思う。。。


③消費の休息

これ大事…続けます……

ただ同じコミュニティのの人と会った時に「あー!ストーリーみたよ!」みたいな会話についていけなくなった!わたしの知らないところでみんなの人生の物語が編まれていく……お酒でも飲みながらゼロから100まで聞かせてください……実際に会って時間を共有することって本当に価値あることだから……
余談だけど、「そこまで弱くない」と豪語しながらゆるめのソバキュリアンしてたら「かなり弱い」になりました。


この1ヶ月でリールに費やす時間よりも楽しい過ごし方を自分の中で確立できたので 程よいさじ加減を模索しながらインスタも復活することにしました。ダイエットしかり 勉強しかり、やることが昔から極端すぎる。できる女はバランスがいい!できる女は!バランスがいい!!バランスとるぞーーー!あとInstagramの表記揺れに気づいていながら直す気力が湧かなかったので、そういう繊細さも磨いていくぞーーー!



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