コート
新しくコートを買った。紺色のチェスターコート。
コートなんて生まれてはじめてだ。
基本的に、あまり背伸びをするということが好きではない。
等身大でいたい。ありのままでいたい。死ぬまでパーカーを着ていたい。
ただもちろんその良し悪しはものによる訳であって、そこまで大袈裟に躊躇するようなことでもないので、思いきって買ってみた。
久々にヒトカラへ行く。コートを着ていく。
やっぱりなんだか背伸びしすぎてる感じがして、鏡を5度見ぐらいする。
拭いきれぬ違和感を引き連れたまま外に出ると、とても動きにくい。
肩にはショルダーバッグ、首から下げられるのはミラーレスのカメラ。
パーカーを着ているときは特に負担がないのに、コートが加わるだけでこの2つが鬱陶しくなる。
どうやらコートを着ているときは2つ以上ものを掛けてはいけないようだ。
7歩だけ歩いたあたりで家に引き返して、リュックに荷物を詰め替えた。
せっかく発狂しながら付けたカメラのストラップも意味がない。
なんでこんなに細かい作業ができなくなってしまったのか。自分の不器用さに泣いた。
ただ漠然と、冬だからコート着とけばいいと思っていたが、歩くと思ったより暑い。
ヒートテックは着なくてもよかった。
カラオケから出ると、そこはもうすっかり夜になっている。
2時間だけ歌うつもりだったのだけれど、
「2時間と3時間は料金変わりませんが」
なんて言われたら当然3時間にしたくなる。もはや、せざるを得ない。
店から漏れる明かり、街灯、車のライト。
あたりに群れる光にあたって、黄色く色づいた道端の木の葉がきらきらと輝く。
このコートを着ていると、たったそれだけのことで、この平凡な街が映画のワンシーンのように映った。
コンビニに寄ろうと思って、1個手前の駅で降りる。
慣れない駅だと、どこの出口から出ればいいのかがいつも分からない。
なんとなくそれっぽいところから階段を上ると、地上から冷たい風が吹いて、コートの端が小さく揺れた。
前にも後にも、会社帰りの大人たち。
なぜか、馴染んでいる気がした。服装のせいだろうか。
同じように、勝手に、社会で消耗しきっている人みたいな気分を共有した。
実際は社会から外れた場所で生きているので全然違うけれど、なぜか馴染んでいた。
静かな帰り道。1個手前の駅からそのまま歩いて帰った。
ふと思いついたかのように、両手をポッケに突っ込む。
ごちゃっとしたイヤホンのコードが手に触れて、なんとも落ち着かないし、ぎこちない。
それは、頭に浮かんだ、コートを着こなす男性像とはあまりにもかけ離れている。
でも、車のヘッドライトに照らされて壁に映った影はまさに “それ” で、なんだかとても嬉しかった。
と同時に、やっぱりどこか背伸びしすぎてる気がして、ちょっとこっ恥ずかしかった。