離婚についての考察 その5〜これで終わり
※この文章はもちろんマークジョンソンとは何の関係もありません。ただいま聴いているだけです。
「わたしはこのままでいいと思っている。でもあなたが修復したいと言うのなら、それは無理だから離婚しましょう」
真っ直ぐに私の目を見て、美しい妻はそう言って、離婚を切り出しました。私はそれに反対する言葉を持ちませんでした。
そこからはみょうにお互いがスッキリしたのか、言いたいことを言い、久しぶりに妻としっかりと話をすることができて、私はなんだか昔に戻ったようなそんな気持ちになっていました。
すると、妻から、一言「税務署から通知が来ていたけど、マンション買ったの?」
実は、妻には何の相談もせずに、マンション投資に手を出していました。相談しても反対される、というか、その前にそもそも私の連絡を受け付けなかったのはあなたではないのか。そんな気持ちもありましたが、ここでも私は嘘をつきました。
それは何かの違いではないか。リートには手を出したがマンションは買っていない。
なぜそこで嘘をついたのか、自分でもわかりません。
どうせ離婚することになっているのだから、ちゃんと話せばよかった。
そんなことを今でも思いますが、もう、一度ついた嘘を引っ込めるわけにはいきません。
知らないと、嘘を突き通し、妻ももうどうでもいいと言うように、わかったと言って話は終わりました。
私はますます自分のことが嫌いになりました。自分のことは大好きで、おそらく自分を好きすぎるからこそ嘘もつくのですが、嘘をつけばつくほど自分の思い描く自分像とは離れていき、自分自身を愛憎入り混じる目線で見てしまうようになります。
そしてどんどん妻は憎と侮蔑の眼で私を見ることになるのです。
離婚の話はどんどん進みました。
妻が公正証書を用意し離婚届は私が用意し、そして私達は離婚しました。
養育費は妻が希望した額をそのまま払うことにしました。
私からの希望は月一回子供と会いたい。そしてその連絡をしたら無視しないで返信してほしい。
公正証書にそんなことをしたためて、公正役場に2人で持っていき、そこで妻に離婚届を渡し、後日妻はそれにサインをして役場へ提出しました。
一体私たちの生活は何だったのでしょうか。
取り返しのつかない子どもという存在まで抱えて、ひたすら破滅の道を進んだ私。破滅することを心のどこかで望んでいて、その谷へ向かうようにひたすら自転車をこいでいたらように思います。
責任感の無さ、身勝手さ、抑えきれない性欲、無計画で無鉄砲。そんな言葉が次々に浮かんできます。
離婚をすると合意した日の夜、妻の実家に行き、妻のご両親に事情を話し、離婚するとつげました。お義父さんは分かったとひと言、冷静に感情を殺しながら、しかしその目には沢山の感情を宿しながら、私を見つめて言いました。
お義母さんはなにがあったのか本当のことを教えてほしいと言いました。
今回の離婚でこの2人の晩年にとてつもない重石を抱かせることになりました。
子どもたちは素直に育つのでしょうか。
離婚によって多くの人の人生を変えてしまいました。
嘘で塗り固めたこの期間、初めて全てを書きました。
何かスッキリするかと思いましたが、特にスッキリすることもなく、ただ冷静に客観的に自分を捉えることができました。
自分自身の棚卸し。
まだまだ生きていかなければいけないので、次に進みます。
終わり
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