「イムジン河物語」を読んで考えてみた…
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ザ・フォーク・クルセダーズが「イムジン河」という歌をステージで歌い出して以来(1967年以降)、この歌にまつわる数々のエピソードが知れたのはよかった。
またバンドによる演奏はもちろん、合奏や合唱に至るまで、幅広く数多くの聴衆の耳に馴染んだ歌だということも知れてよかった。
当初は、なぜこれほどまで日本人のアーティストたちがこぞって歌っているのかが、理解できないでいたが、そのプロセスが知れたのはよかったと思ってはいるのだが、しかしこの歌は日本人の私たちが、軽々しく歌って良いものかどうか、果たして疑問に思うところではある。
何故ならば、朝鮮半島分断のきっかけをつくったのは、日本の帝国主義体制による朝鮮半島の植民地支配によるところが、大きな要因として横たわっているのであって、自然発生的かつ、朝鮮の国民国家が自ら望んで、半島の分断を選択したわけではないことをおさえておきたい。※
その歴史を顧みずして、この歌を盲目的には歌えないなと感じる。
ちなみに自分の中で、一番しっくりときた「イムジン河」は、イ・ラン氏の歌うバージョンが良いのではないかなと思う。
※あまりにもざっくりと書いてしまったので、もしも補足があれば、忌憚なしに付け足してもらいたい。