自分事と他人事

「自分ごと」と「他人ごと」

パンデミックの教えはこの境界線を考え直すきっかけなのかなって思った

自分が保菌者かもって可能性を疑った結果一人の行動が周りに、世界に影響を与えることをみんなが少なからず感じているはず。

今までの「自分ごと」の範囲を考え直すきっかけになるのかな。

俺はみんなもっと自分勝手でいいと思ってる。

そしてその自分勝手を突き詰めた結果、相手の大切さを知って、その行き着く先はどこまで行っても「愛」だと思う。

今までの世の中は最初に愛とか思いやりの概念がくるから我慢と感じているだけだったんだと思う。

どっちも言ってることは一緒なはずなのに。

そして、それは情報にも言える。

SNSが普及した今、一人一人の発信が強大なパワーになり世界を作る。

だから、何が正しい情報なのかを精査して発信する必要があるんじゃないかなっていうのをこのnoteを通して発信している。

自分が保菌者かも?って疑ったから見えた世界と同じこと。

色んな情報を、ニュースを正しくないかも?って可能性を疑ってみるだけ。

そこには良い悪いではなく、選択が生まれるから。

これって究極の可能性を信じるポジティブな気持ちだと思うんだよね。

保菌者かどうかが検査を受けなきゃわからないのと全く一緒で、何が正しい情報かなんてその時が来ないとわからない。

でも、保菌者かもって思うことでできる思いやりがあるように、視点の角度を少し変えるだけで愛が悲劇に変わることもあるんだと思う。

例えば

このロックダウン、ちゃんと自粛することでたくさんの命が救えかもしれないという可能性があるのと同時に、ウイルスに夢中な間に進んでいる5Gによって将来的には倍以上の人が死ぬ可能性があるのかもしれない。

正直どうしたらいいなんてない。

一人一人が何を感じ考え行動するかでしかない。

みんな楽しみたい。

自分を、大切な人を、次の世代を守りたいっていう目的は一緒。

捉え方、解釈は無限だけど、真実はいつでも1つしかない。

どっちにしろ

諦めた奴が諦めた奴を作る

希望を抱いた奴が希望を作る

じゃあきぼうを持って諦めない奴が何を作る?

俺は希望を抱く

俺は諦めない









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?