与えよさらば与えられん

昨日はたくさんの友達からLINEや電話が来て、重い話ばかりだったけど、1日たくさんのこと考えた。
だから書き残します。

設定って凄いことだなって思って。
映画を見てて、主役やヒーロー目線になると、同じ死なのに悪役を殺してることにはなんとも思わないどころか主役が死ななくてよかったとすら思ってる自分がいる。

有名人が、それぞれの個性のまま生きる場所芸能界だったらそんなピースなことはないのにな。
良い人として全国民の期待に応える世界っていう設定がおかしいよ。
そんなことする必要ない。
出る側だってそれを思わなきゃだし、ありのままの自分で居れないことへの疑問をもたないと。見る側だって勝手に見て、勝手にこんな人って期待して、勝手に裏切りと言って意味不明だよ。
長所と短所を合わせた物が人間なのに片側同士の断片的な意見の争いが生まれる。
これは芸能界だけじゃなくて地球全体がそうだなって感じる。
誰がこのシステムを作ってるの?
だから、文句を言う相手は安倍さんじゃない。
誹謗中傷する相手は芸能人じゃない。
そして、こんなくだらないルールの中で生きている俺らみんながそのシステムを完成させるファイナルピースであることを自覚しないと。
最大の反抗は、無視することだよ。
静かに穏やかに無視して行動する。
対立すればするほどループの渦に入って、みんなが無視し始めたらいらないものはなくなる。
だからこうして声をあげることも本当はしたくない。
政治もメディアも芸能界もSNSも医療も金融もスポーツも映画も法律も何もかも対立構造を正当化する為に作られてる設定だと思うんだよね。
自民党と民主党、真実と虚偽、出る側と見る側、個人と大衆、東洋と西洋、富裕と貧困、勝者と敗者、正義と悪、有罪と無罪、責任と自由。
両極のものが “対立してある” ことが当たり前だと俺らは思ってる。
そこに俺らが気付かないと、学ばないと何も変わらんと思うんよね。
本当はあってもなくてもいいし、そこに愛がなければ対立になってしまうって。
どこから物事を見るかで真逆の答えが導き出される。
それが良いも悪いもないってことの本当の意味なんじゃないのかな。
だからまずは自分をさらけ出さないと。偽りがそこにあるからできないことに気付かないと。
自分がどの設定を生きるのか、どんな設定を見たいのか。
強く見えても人間1人残らず弱いんだって。
だから、人のことを言う前に自分が自分の1番の理解者にならないと。
自分が1番の自由人でいないと。
みんなどっかで諦めてるから。
地球のルールとか、人間なんてこんなもん。とか。
色んな常識と言う名のレッテルで。

ルールがない世界があるとしたら信じられるものなんて人それぞれの良心だけ。そして、それが信頼というものだったんだなって思う。素っ裸でも自分の信頼できるものが、人が周りにいてくれるのか。
お金や地位ありきで繋がっていたことが見えた人も多いと思う。
良いも悪いも広いも狭いもない。自分の良心に手を当ててみて欲しい。
その前提のもとで初めて人間は自分勝手にもなれるし、奉仕することも出来るんだと思う。

俺は全く完璧な人間じゃないし、酷いことをしてしまう時もある。それでもやっぱり褒められたいって思う。みんなそれがピュアな気持ちなんじゃないかな。
これからもっとでっかい破壊と再生、変革が地球で起こる時な気がしてる🌍
みんなが与えることにフォーカスし出したらマジで凄いことになると思う。
俺らが与えられたと感じる時ってそこに価値があるから。お金でも感謝でもなんでも。
そのことを自己肯定力って呼んでるんだと思う。自分の価値を認めてあげること。自分に自信を持って自分勝手に生きれることが自己肯定力じゃない。自己肯定力は人に与える力。そこには大きいも小さいもない。
与えよさらば与えられんの真の意味がそこにあるなぁって感じた。
もっとピュアにもっとピースにもっと陽気になれることを体現する
それが俺の良心であり、奉仕出来ること。
ポジティブでもネガティブでもいいじゃん。ピュアになろーよ👶🏻
#2020




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?