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LiD〜音には反応・意味には無反応と言う不思議

 久しぶりの投稿となってしまいました。専業の物書きではないのでテーマを限定するとなかなか進まないですね。まぁ、自分の企画公演で忙しい事の言い訳です😅。

 さて、今回は自分に対する備忘録としても記しておきたいと思う記事に出会ったのでご紹介します。まずは毎日新聞の「聞き取り困難症(LiD、Listening Difficulties)」に関する記事をお読みください。音としての言葉のインプットには機能的に全く問題がないけれども、言葉の意味を理解する事が苦手な特性を持つ人がいると言う話です。

 実はこの記事を読んで「思い当たる事がある🤔」と思ったのです。私の授業スタイルは、私が書き下ろした第一場だけの脚本の続きを考えて物語を完結させ、それを実際に演じてもらうと言うものです。このスタイルを取るようになったのは2016年からなのですが、当時はまだボンヤリとした違和感でしかありませんでした。それがここ数年は、非常にハッキリと違和感として、またある種の傾向として見て取れるような気がしていました。

 どう言う事かといいますと、「音としての言葉」には反応しているけれども「言葉の意味」に反応しない人が結構な割合でいるように思えるのです。
 人は相手の言った事を理解した時には何かしらのリアクションをします。意味が分からなければキョトンとしているか、場合によっては聞き返すでしょう。で、意味を理解したら人は無意識に何かしらのリアクションを起こします。何か言われる・される👉リアクションをする👉言われたりされた事に対して具体的な行動を起こす、と言う順を追うのが普通です。所が、お芝居になるとこのリアクションが起らない人が少なからずいます。

 通常はリアクションがなければその先の行動は起こりません。所が台本と言う形でその先の行動が提示されていると、リアクションをしなくても台本通りにすればとりあえずその場はやり過ごせます(台詞があれば喋れてしまう)。そもそも台本は噛み合う形で会話が用意されていますから当然最後まで進みます。言葉は意味を伴っているので見聞きしている人にも何となく伝わります。
 所が演技と言う観点で見ると台本とまるで合っていないと言う事があります。前の台詞に対するリアクションがない訳ですから、むしろ噛み合わないのが普通なので「自分の都合の良いように喋っている」と言う状態になります。これが分かりやすい形で確認できるのは「ト書きと合わない事を演っていても演っている本人が違和感を感じない」と言うケースです。
 私の授業では「ト書きや台詞と噛み合わなくなったら、そこよりも前の段階で台本を読み間違えていると言う事だから、そのまま演技を続けずに解釈を間違えた所を探しなさい」と言いますが、それが出来る人はそう多くはありません。意味に対するリアクションが苦手な人がいるとしたら、それが出来ない事も不思議ではないように思えてきたのです。

 こう言った事は教える立場に立った事がある方ならご経験があろうかと思います。そのまま放置する訳にもいかないので当然そこでダメ出しをする訳ですが、これがなかなか直らない人がいます。記事では0.5%〜1%くらいと書かれていますが、私の印象では程度の差はありますが1クラスの3分の一くらい(多い時は半分以上)はリアクションがなかったり直らなかったりします。もっともあくまでも私の感覚であって具体的に調べた訳ではありませんから、この割合は宛てにならないでしょう😅。

 初めにも触れた通り、私の授業では脚本の続きを生徒さん達に書いてもらいます。すると結構な割合で噛み合っていない会話の台本が出来上がってきます。文字に書かれていて違和感を感じない訳ですから、それを実際に演じてもらっても違和感を感じる様子が見えません。しかし明らかに意味が噛み合っていないと言う事が珍しくないのです。
 それで御紹介した記事を読んだ時に「こう言う特性の人がいるのだとしたら噛み合わない会話に違和感を覚えなかったり、言葉の意味にリアクションが起こらないのも分かる」と妙に納得してしまったのです。私の出会った生徒さんの中に「聞き取り困難症(LiD、Listening Difficulties)」の人がいるのか否かは私には分かりません。ですが音としての言葉には反応している(前の台詞の終わりは正しく認知している)けれども、言葉の意味に反応が起らないと言う生徒さんは毎年確実にいます。

 これが訓練で改善するものなのか、それとも特性として付き合っていかなければならないものなのかは分かりません。記事でもまだ研究が始まったばかりで分からない事も多いと書かれていますしね。私としては改めてこの点にも注目して人と言う生き物について考えていこうと思った次第です。


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