あやふやと曖昧は似てるけど全く違う。
中学校の国語の先生が面白くて、
「この物語のその後の話を教えてください。」
そんな問題を出す人でした。
ある日の夜、港街に一人の少年と一匹の象が漂着する。
こんな書き出しで始まる物語。
忘れもしない。題材は『愛のサーカス』。
「僕も筏に乗ってみんなの前に現れたら、お金を稼げるの?」
ずっと黙って見ていた男の子が、隣のお母さんにそっと尋ねた。
妙にこだわって、授業いっぱいに時間もらった渾身の解答が、
期待通り、とてつもなく褒められて、なるほど。
「答えが一つじゃない。」
これが算数より国語が圧倒的に好きだった理由でした。
迷いでもなく、妥協でもなく、誤魔化すわけでもなく、
これも良いし、それも良いと、許容することで、
きっと新たな価値観が生まれるはず。
だからこその曖昧というアプローチ。
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境界線の曖昧なオフィス
これは、自社オフィスのコンセプトです。
言っておきますが、ヘッダーの写真がそのオフィスです。
実は、いろいろメディアでも取り上げてもらっていますし、
アワードなんかももらっていたりしているのです。
あらゆる境界線を曖昧にすることで、割り切らずに、
全て自分の人生として捉えるということを体感できるようにした。
捉え方次第でやりたいことも、取り組むレベルも、
成し遂げたいものも、目的も変わる。
それが自由に生きるよりも意義のある、より人間らしいこと。
そこで本当に世界を変えられるだけのビジネスを展開する。
で、具体的に曖昧にした境界線は以下の通り。
〼個人と個人、その家族の境界線
→全員でひとつのテーブルでご飯を食べる食堂。
家族のように信頼する仲間が増えていく。
〼オフィスと自分との境界線
→セルフリノベーションによって、愛着だけはなく、
「物事は与えられるものではなく自分が行うもの」という意識を持つ。
〼職場と自宅の境界線
→靴を脱ぐことによって、建物と人のが距離感が近く感じ、
自意識が拡張する。自宅のような肌感覚。体感覚。
〼社内と社外の境界線
→入り口に社員全員の顔写真のパネルで、いるいないを見える化。
来客に対し、いつでも迎え入れていることを表現。
〼地域と企業の境界線
→IFに設けたマチに開けたカフェが、オフィスの顔となる。
地域の人たちとのコミュニケーションがを積極的に行う。
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ちなみに、選択肢が多いことは豊かさだと、ずっと思ってます。
掛け合わせとも重なりとも言えぬ、その隙間にあるような、
都合の良いそれを、曖昧と呼んでいます。
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