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何者にもなれなかった20代を背負って生きるこれから
僕は今年で20代を終える。
約10年前、20歳になりたての頃は何となく過ごしていれば素敵な人生を歩めて自然と凄いやつになれると本気で思っていた。
「誰もが羨む何者かになれる。」
漠然とした自信だけがひたすらに内側から湧き出てきて目の前の絶望的な出来事も絶望とは思わなかった。
それにもかかわらず向き合うべき物事(自分が何者になりたいのか?)からは目を背け続けた日々だった。
何者かになるためにやり続けていたバンド、
考えていない割には自分なりにもがいてやっていた。いや、やっている気になっていた。(当時組んでいたバンドは数ヶ月も経たないうちに脱退した。)
のらりくらりと過ごしているうちに過ぎ去ってしまった10年間だったと個人的には思っている。
人のために力を注げる人間でありたいとは思っていたが、
誰のために?
どうやって?
何をして?
など具体的な事は考えようとはせずにただただ何となく目覚めて働いて寝るだけだった。
この時期にもっと早くに「価値を与える事の重要性」に気づいている事が出来ていれば今とは少し違った人生を歩めていたのかもしれない。
時間の流れに焦り始め本気で何者かになりたいと舵を切ろうと腰を上げたのは20歳の誕生日から5年も過ぎた頃だった、
これまで続けていたドラムの練習の向き合い方を変え、
お誘いを受けていたバンドへの加入。
自分が何者かになる努力を始めた。
自分が携わる音楽とその周りの人々が幸せで溢れているような世界を目指して、走り出した。
焦りや不安は凄くあった。
当時、僕と同じ年齢で活躍しているミュージシャンやバンドは沢山いたからという事と、
自分のなかでは本気を出すには遅すぎる年齢だと思っていたからだ。
周りには若いからという理由でちやほやされていたが、若いという言葉があまりにもかけ離れすぎている言葉だと当時の自分は思っていた。
楽しかったのは楽しかったし、素晴らしいものを生み出したいと音楽に、音に向き合った日々は糧になっていると信じているが、
それだけでやっていける程甘くはない。
やり続けるには覚悟が必要だし、人に刺さるものがどういったものなのかを追求できる根気と努力もいる。
当時はそれを感じる能力が欠けていたのだ。
結局、本気と言いながらも周りを動かせれる程の能力とついていきたいと思われる行動力がバンドで何者かになりたい、楽しく続けていきたいというある種 悪の感情とも捉えられるものに蝕まれていき、これまた漠然としたままいた。
結果的に思考だけが働きに働き、行動力がままならない状態から自己嫌悪に陥りバンドを失踪。
約2年の活動に自分の手で台無しにした。
そしてここからドラム講師という活動に結びついていき現在に至るんだけど、この経緯はまたの機会に話すとして、、
とにかく僕は後悔を繰り返して過ごした20代だったなと感じている。
それは行動に起こせなかった後悔や自分の思考能力を鍛えようとしなかった後悔、、
あげればキリがないほどあるけどもっと早くに気付いていれば良かったなと思うことが20代最後の年齢になり感じる事が多くある。
成功とは少し遠ざかった人生を歩みつつある自分だが、この後悔の経験を次の30代への道に活かして前に進むしかないのだ。
これから 僕は何者か?と聞かれた時の答えはこうなる
「何者にもなれなかった20代を後悔し、それを経験に前に進もうともがく30代」
この記事は今の20代、何にも行動に移せず後悔に明け暮れた当時の自分の元に届けるつもりで書いた。
少しでも何かの役に立てれば嬉しい。