時の栞としての音楽
時間とは何か、そして芸術にとって普遍とは何なのか、直感的に感覚し得るニュートン力学的絶対時間の感覚に囚われた私たちが捉えることはとても難しい。
ここで時間、とりわけ過去という現象を題材にひとつ思考実験をしたい。
あなたがまだ3歳か4歳そこらの頃、まだ背後にある過去はぼんやりと薄暗く、世界の殆どは両親の言葉によって構成されていたと思う。その両親が仮にいたずらで「きみはソウルで誕生して、生後半年で日本へ来たのよ」と吹き込んだら、その過去はあなたの記憶の中に存在し得るのでは無いだろうか?
時間とは何かという空空漠々とした問いの前には、必ず記憶とは何かという深淵が広がっている。
ただ音楽は確かに、時間の相対性や記憶の不確かさの中に於いても時の栞としての役割を果たすことが出来る。
或る記憶に音楽が紐付いている時、その記憶は色彩と薫りを、また湿度や温度、陽の傾きまでも、凡ゆる情景の断片を同時に呼び起こす。
誰かの時の旅路の傍らに私たちの音楽が寄り添う事が出来れば、時の栞を作る者としては冥利に尽きる。
Ryuuta Takaki
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