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荒ぶる神が人の半分を殺す意味 半熟卵と半殺し

1.半分の人を殺すという神
 
 風土記には、通行人を半分殺す出雲大神や荒ぶる神が登場する。恐れた人々が神を祀ることでおさまる話だが、類似の内容をもつものが以下のように九カ所ほど存在する。注釈に「荒神が旅人の半数を殺す伝承は各地にあった。」とある。また『古代風土記の辞典』(六一書房)には「この生かされた半数は、荒ぶる神の恐ろしさを他者へと伝えるためにあえて生かされたと解釈できる」との説明だが、これでは複数、例えば二人一緒に通行して、殺されなかった一人は逃げかえった先でその惨状を語らなくてはならないわけだが、そういった話はない。
 荒ぶる神が人間を半分だけ殺すという一節は、どうも私には納得しがたいものなのだ。他に次のような解説もある。「往来する人の半分は通行することができ、半分が命を落とす・・・ これは通行の安全を保障すると同時に侵入者を許さないという両面的なこの神の性格を示すものと言える。」(橋本雅之『風土記』2016)はたして、このような解釈は成り立つのだろうか。
 以下に小学館の『風土記』の原文と現代語訳を列記してみる。

①播磨国風土記揖保郡 意此おし川 出雲御蔭大神 坐於枚方里神尾山 毎遮行人半死(半)生
 「いつも旅人の道を遮り通る人の半数を殺し半数を殺さないで通した。」
② 同  佐比岡 出雲之大神 在於神尾山 此神 出雲国人経過此処者 十人之中留五人 五人之中留三人
 「出雲の国の人でここを通り過ぎる者の、十人のうち五人を引き留め、五人のうち三人を引き留めて殺した。」
③ 同 神前郡 生野  此処在荒神 半殺往来之人 由此号生野
 「昔此処に荒ぶる神在りて 往来の人を半数殺した。これによって死に野と名付けた。」
④肥前国風土記基肆郡 姫社郷ひめこそのさと 有荒神 行路之人 さは被殺害 半凌半殺
 「通行する人がたくさん殺され、半数は助かったが半数は殺された。」
⑤ 同  神崎郡 昔者 此郡有荒神 往来之人 多被殺害
 「昔、荒々しい神に道を行き来する人がたくさん殺された。」
⑥ 同  佐嘉郡 此川上有荒神 往来之人 生半殺半
 「この川上に荒々しい振る舞いをする神がいて、その道を行き来する人の、半数は殺さないで半数は殺した。」 
⑦逸文 摂津の国 下樋山 昔有大神 化為鷲而下止此山 十人往者 五人去五人留
 「大神が鷲の姿になって、この山に居着いた。十人通行したら、五人は通り過ぎ、五人はつかまってしまった。」
⑧逸文 筑後の国 昔 此堺上 有麁猛神 往来之人 半生半死 其数極多 因曰人命尽神
 「昔、国堺の山の上に荒々しい神がいて、行き来の人の半分は通行できたが半分は命を失う有様であった。死亡する人の数はとても多かった。よって命尽くしの神と呼んだ。」
⑨播磨国風土記賀古郡 鴨波あわわ里 此里有舟引原 昔神前村有荒神 毎半留行人之舟 於是 往来之舟
 「この里に舟引原がある。昔、神前の村に荒れすさんだ悪神いて、通行人の舟を半数妨害して通さなかった。」

 以上だが、この中では、特に⑧では半分は生き延びたといいながら、死ぬ人はとても多く、人の命が尽きてしまうような荒々しい神だ、と記されている。これは半分が生き延びたという表現とくいちがっているのではないか。
 瀧音能之氏は『風土記と古代の神々』で次のような説明をされている。神には、荒々しい要素の荒魂あらたまと優しくおとなしい要素の人を守る和魂にぎたまという二側面をもっているとし、荒魂によって害をなす性格も祭祀を受けて、和魂によって害を及ぼさなくなる、と述べておられる。
 しかし、この説明でも腑に落ちないのだが、ご本人もなぜ半分だけ殺すのか不可解なままのようである。そもそも、荒ぶる神が、10人の人が通行する中で、わざわざ半分の5人だけは見逃して、残りは殺すなどという律儀?なことをするであろうか。
 ここは、半分だけ殺すという理解が違っているのではないだろうか。そこで、ある小説の一節に関連があるのではないかと考えてみた。

2.「半分煮る」という半熟卵の誤解

 夏目漱石の『三四郎』の文中には、温泉宿での滑稽なやり取りが描かれている。天候悪化で阿蘇への登山を断念したあとに宿に泊まった男が、夕食に半熟卵を希望するも、それが相手に理解できなかったようなので「半分煮るんだ」と説明した。すると宿の女中さんが、二つは生卵、あとの二つは完全なゆで卵の四つを持ってきたという、まるで落語の小話のような一節だ。当時は、半熟卵が広く知られていなかったのかもしれない。
 すると、風土記の「半生半殺」はこの笑い話と同じで、半分の人間だけ殺されたというのではなく、全員が半殺しの目にあった、ということではないのだろうか。
 すなわち、半は人数の半分ではなく、生死の境目のような状態であり、それを後世の訳者が、女中の勘違いと同じように、半分生きて、半分殺されたという解釈をしたのではなかろうか。
 古代には半殺しという言葉がなかったので、「半生半殺」や逆の「生半殺半」と記されたのが誤解につながったのではなかろうか。
 先ほどの④の肥前国風土記基肆郡の姫社郷では、「半ばは凌ぎ」とある。凌ぐとは苦しい状態を切り抜けることであり、半殺しの理解にあった表現がされていると言える。決して半分だけ無傷で助かったのではない。よってこの個所では全員が半殺しの目にあい、その半分は絶命し、残りは何とかしのぐ事ができたとの解釈が自然なのではないか。
 そして⑤では「たくさん殺された」と不要な説明抜きで語られているのだ。
 ②では十人中五人を引き留めたなどと具体的であるが、これは説話を伝える人、または採録者が本当の意味を理解できなくて半分の人数のことだと考えて、余分な説明を付け加えた可能性もあろう。その具体的な半分の数字に引きずられて、現代語訳も「半生半殺」の認識で表現され、現代の解説者も思い込みで半分殺す神の解釈をあれこれと広げていったのではないか。荒魂、和魂の二側面などという迷走の解説も生まれてしまったのだ。
 同様に⑦の鷲に五人が捕まったのも、本当は全員襲撃されたが半分は命からがら逃げることができたということではないか。
 ⑨も舟は妨害行為を受けたが、半分はかろうじて通ることができたと考えられる。
 すなわち、全員が半殺しの目にあい、その結果、死ぬ物もいたが、なんとか助かった物もいた、ということになると考える方が自然である。

3.荒ぶる神の残虐性
 
 世にも恐ろしい荒ぶる神は、その道を通る人々をみんな半殺しにするのだ。半分生かす、というのでは荒ぶる神の獰猛な性格を表すことにならないのではないか。命にかかわるような苦しみを受け、あるものは苦しみながら絶命し、助かる者も長らく苦痛を味わうことになる神の行為に人々は恐怖するのだ。人々は必死に祀ることで神の所業を鎮めようとするのだ。神は人間にとって良いことばかりしてくれるのではない。残りの半分の人間には何も害がないと古代人は思わなかったであろう。かって、洪水などの異常気象や伝染病のために全員が苦しみ、何とか半分は生き残ることができたという体験などがあったのかもしれない。
 現代において「半死半生」は半殺しとほぼ同義であり、古代人がどう読んだか不明だが、「半生半殺」を半殺しと同じ意味の言葉として使っていたのではなかろうか。

 以上のように考えると、荒ぶる神の殺害行為の意味を正しく理解できるのではないか。半熟卵を知らなかった宿の女中さんの勘違いと、古典の専門家の解釈とを同列にみるようで大変失礼ではあるが。
 ただこのような説明に納得できない人もいるだろう。「あなたの解釈には、半信半疑だ」

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