「土の中を泳ぎたい」2024.9.14
禁煙2週間達成した。
達成したとはいっても、別に特別なことをしていたわけではない。何か禁煙グッズを使ったり、禁煙外来に行ったりしたわけでもない。
ただタバコを買うのを我慢して、ただタバコを吸うのを我慢していただけだ。
別に禁煙が苦しいと思うことも、いまのところはない。今後の人生で、絶対にタバコを吸うことができないってなると苦しくはなるが。
タバコを吸うことができないという苦しみはないが、生涯その制約を背負って生きていくという苦しさはある。
1日なら飯食わなくても生きていけるが、3日も食わなければ死んでしまうだろう。
仕事もそう。1日ならなんとか耐えられる。でもこれが60まで。なんなら80までとなったらどうだろうか。私がジジイになる頃には、少子化によって死ぬまで働くことが当たり前になっているかもしれない。それは非常に苦しい。
何事にも、終わりがあるから苦しくないということがある。
では反対に、終わりがあるから苦しいということもあるのではないだろうか。
この場合、そう。例えば若さとか。
最近ラブコメというか、青春モノというか。その類のマンガアニメ小説を目にすることが多い。最近の気分がそっちに向いているのだろう。
そして、それらを読んでいるとやはり若さによる白さというか無垢さというかが羨ましくなる。その純粋さがあるうちにもう少し恋愛なりをしておけばということを惜しんだりしないこともない。私の場合は、友達と遊ぶことしかしてこなかった。あと部活と。
部活はだいぶ青春だろうけど、遊びは大人になってからでもできるんだから。
恋愛とか趣味とか、純粋な気持ちでぶつかれるものをやっておけばよかったなと苦しくもなってしまう。
苦しい苦しいと書いていたら、私が学生時代に苦しくなったらしていたことを思い出した。この説明はそういえば誰にもしたことがなかった気がする。といっても、訳のわからない妄想の類だし、そもそもこの妄想をする時は自分が苦しくてその場から逃げ出したい時なのだから、わざわざあえてそれを他人に話すというのもおかしな話だろう。
私は苦しくて逃げ出したくなったら、土の中に潜り込んで泳ぐ妄想をしていた。
まるで、土が水になっているかのように妄想の中の私は土の中を泳いでいたのだ。
おそらく、水の中では何も聞こえないこと。水に潜るときはプールや海など基本的に楽しいこと。これらの要因から、苦しいときに泳ぎたい欲が出現して、一番身近な地面の中を泳ぐといった妄想になっているのだろう。あとは穴があったら入りたい的な?
いつだって私は逃げ場所を探してきたのだ。
小さい時から立ち向かうのではなく、逃げる場所を探してきた。
一番ありえなくて、一番近い場所。
地面の中にでも逃げる場所を見出してきたのだ。
ここら辺で、その逃げ癖とも対峙する時が来たのだろう。
対峙して、退治する。このフレーズ、ラッパーか西尾維新あたりが使ってそう。
だから、幼少期の記憶を取り戻したのだと思う。
では、また。