「腹12分目のイメージ」2024.7.29
とにかく食べる。
最近の私はよく食べる。
ただ、人と比較してよく食べるというわけではない。
元々、食は細い方で1日何も食べなくても大丈夫な人間だ。
よく食べるというのは、自分の胃袋の容量を超えて食べているということだ。
腹8分目で終わることなどそうそうない。
毎回腹10分目を越している。
今日もとにかく食べた。
腹8分目を悠に超えて腹12分目まで食べた。
ドデカお好み焼き2枚とソルティライチ1本。
そうすると、当然のように気持ち悪くなる。
今日も食後はいつ吐き出してもおかしくないくらいの状態になった。
いつもの食べすぎより数段辛すぎたので、なんとなく祈るような気持ちで胃に血液を送る様子をイメージした。
イメージなので、ほぼ祈りと同じだろう。
15分くらい胃がお好み焼きとソルティライチを消化する様子をイメージしたわけだ。
血液が集まれば消化が促進されるはずという浅はかな考えだったが、何故かうまくいった。
その後消化された胃の内容物は当然のように腸に向かうわけで、腸が吸収する様子もイメージした。
それもうまくいった。
イメージの力ってのは、僕らが思っているよりも強力で簡単に使える魔法なのではないだろうか。
セルフイメージも同様かもしれない。
自分のことを失敗する人間だと強く思い込んでいると、どんどん失敗するように日々の行動は変化する。
私はいつも家を出る時にはベランダの鍵と家の鍵を閉めたか、水道は出しっぱなしにしていないか、トイレの水は流れっぱなしでないか(ウチのトイレは回しが壊れていて時々水が出しっぱなしになることがある)を確認している。
それも3回くらい。
一種の強迫性障害な訳だが。
他にも、電車で立ち上がる時やご飯を食べ終えて店を出る時は必ず席を確認する。
実際にこの確認で財布を忘れるのを防いだ回数は数え切れない。
1度だけ確認したのに財布を忘れてしまった時は、ビックリして笑ってしまった。
この失敗をする自分を想定して確認するという行為。
財布を忘れることを阻止するという良い面もあれば、自分は失敗する人間なのだと自分に対して強く刷り込んでいるのではないだろうか。
自分はできるはず。
根拠のない自信でも、そう”思い込む”ことは思っているよりも大事で。
特にそれを文字にして書くことはもっと大事なのではないだろうか。
他の人がどうかは知らないが、私は思考するときに言葉を使っている。
イメージや思考といった抽象的なものを頭の中で言語化して文章にして考えている。
だから、自分の知らない概念では思考はできないし英語や中国語といった知らない言語では落ち込むこともできやしない。
で、あるならば言語化している思考をアウトプットするという行為はもっととても重要視するべきものなのではないだろうか。
強力なイメージの力。私に対して毎日戸締りを確認するようにさせるイメージの力。
イメージを文字としてアウトプットすることで自分に対する刷り込みを増幅することができるというわけだ。
で、あるならば文字にするという行為は脳内のイメージを現実に持っていくとも言えるだろう。
現実を作り変える力が文字にはあるといっても過言ではない。
もっと軽率に自分を褒めることを書いてもいいのかもしれないな。
理由はなくてもスゴい!って。
では、また。