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「インプット」2024.7.28

書けることがない。

日記を書き始めて5日目。
ついにきたか。才能の枯渇だ。
本当は「書くことがないなんて経験したことないです」って面で3年くらい続けたかったが、こんなに早く来るとは。

しかし、誤魔化してもしょうがない。
日記なのだからリアルでなくては意味がない。
フェイクでやる日記に意味はない。
でも、実際書けることはない。

カッコつけて才能の枯渇だとか言ってみたものの、日常のちょっとしたことを面白おかしく書けるようなそこまでの才能があるのならば、私はもう少し色んなところでいい感じでチヤホヤされているだろう。

今日あったちょっとしたことといえば、夕方の空が綺麗だったことくらいだ。

夕方の空が綺麗なことに気がつき空を飛びたいなという思考になった。
少しピンクがかったオレンジ色の空。
その中で地上が見えなくなるくらい空高くまで飛び上がって、ピーターパンみたいに頭の後ろで手を組んでぼんやりしたい。
雲と空に囲まれたところに行きたい。
そんなことしか思い浮かばなかった。

こんなのどうやって面白くすればいいんだ。
これを面白くできる人が本当に才能があるということなのだろうな。

臓の内から書くことが溢れ出るような才能があるわけでないならば、外から入れるしかないわけで。
つまり、インプットをするしかないわけで。

インプットをするための時間が欲しいというよりも、インプットをするために移動をしたい。
私のインプットは常に移動時間にあったから。

歩きながらラジオを聴き。
運転しながらラジオを聴き。
電車に揺られながら本を読み、映画を観る。
理論上は無限の移動時間があれば、無限のインプットができる。
目的地に着く頃にはこの世のこと全てを理解できるようになるだろう。

いっそのことブラジルにでも行こうか。インプットのために。
30時間ぐらいかかるらしいから、買ったけど読んでない本も、見たいけど見れてない映画も、聴けて無いラジオも全てインプットできる。
なんならブラジルでの出来事全てがインプットになるだろう。

しかし、ブラジルでの出来事全てがインプットになるなら何故日本での出来事はインプットとして認識できないのだろうか。
目を開けている間のこと全てがインプットにできるならば、人生100年でこの世を全て理解することも可能かもしれない。

人生に目的があるならば、それまでの時間は全て移動時間というわけで。
移動時間であるならば、インプットができるわけで。
つまり、人生という移動の目的地が棺桶になるならば、人生全てを使ってこの世のことを全て理解できるようになるだろう。

人生は冒険ではない。棺桶である。
墓に掘るならこの言葉だな。

そんなこんなでようやく1000文字到達。
なんでも書ける才能はなかったが、書くことをなんとか捻り出す才能はあるかもな。
では、また。

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