井上保三郎翁と白衣観音
こんにちは。
廣場山 大福院住職 小野関隆香です🙏🏻📿
令和3年2月28日 ぐんま郷土を愛する会様主催、「井上保三郎の生涯」熊倉浩靖先生の講演会へ行ってきました!
今回はこの講演を拝聴し、大変刺激を受けたのでnoteに感想をまとめることにしました。
群馬県民なら誰もが知っている 高崎白衣大観音!
高崎市観音山の山頂から我々を慈悲深い眼差しで見守ってくださっている仏様です。
1936年(昭和11年)井上保三郎翁が建立した鉄筋コンクリート製の仏像で高さは41.8メートル
重さは5,985トン!!
群馬の郷土かるた 上毛かるたにも 札があり、
「白衣観音 慈悲の御手」
群馬県民なら誰もが知っていますね!
しかし白衣観音はみんな知っているけれど、建立者である井上保三郎翁については……私もあまり知らなかったので 今回は大変興味深いお話でした。
高崎市を商工業都市へと導いた 井上保三郎翁、功績はもちろん お話を聴いていると 県民性とも言われている義理堅さを感じました。
ちなみに白衣観音建立理由は
①高崎に駐屯していた大日本帝国陸軍歩兵第15連隊の戦没者を慰霊するため
②観光地とすることが目的だったそうです。
(それと保三郎翁の個人的な観音信仰もあったとお聴きしました。)
数多く存在する神仏の中で高崎市 延いては群馬県の発展を考えた時に、温かく衆生を見守ってくださる慈悲深い観音様をお選びになったのかな?と保三郎翁の人柄を感じました。
群馬の発展に携わった偉人の人生にスポットを当てることで県内の歴史を学び、そして未来を考える貴重な機会となりました。
郷土愛がより高まった1日でした。
余談ですが…
白衣観音 (びゃくえかんのん)
白衣観音(びゃくいかんのん)
「え」なのか「い」なのか問題…
一般的には白衣(びゃく『え』)ですが、
群馬県民は白衣(びゃく『い』)と呼んでいます。
群馬県の郷土かるた 上毛かるたの読み札に「白衣観音」に「びゃくいかんのん」と振り仮名があるため その影響だと考えられています。
ふと先代住職も作務衣(さむえ)の事を 作務衣(さむい)と呼んでいたことを思いだしました。
※作務衣とは お坊さんの作業着の様なものです。
こちらは私が着ている写真↓
『え』が『い』になってしまうのは群馬の訛りなのでしょうか…🤔
訛りだとしたらより 味わいが増しますね…!
最後までご覧いただきありがとうございました。
大福院の小野関隆香でした。
合掌
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