非粗〇ん主義(巨〇ん主義)の皆さんに言いたいことがあります。

室町時代から、大は小をかねるのが「ちんぽ」だといわれています。

腹上死した私のおばあちゃんとおじいちゃんも、むかし、二人そろってこう言っていました。「塩梅のいいちんぽっちゅうのは、大は小をかねるちんぽや」と。そうやって嬉々として語るおばあちゃんとおじいちゃんの顔が、私の脳裏から離れません。腹上死で同時にイった(ダブルミーニング)二人は、いまでも遺影の中にイき続けています。ちなみに、私はセックスを一年に一回しかしません。

大は小をかねるのがちんぽ。確かにそうかもしれません。でも、それだと「小さいちんぽの立場はどうなるのか?もはやちんぽではないのか?」という当然の疑問が湧いてきます。この疑問が湧いてこない人は人間失格です。

いわゆる、「粗ちん」というものがあります。小さなちんぽにたいする蔑称です。上記の定義からすると、粗ちんはそもそもちんぽですらなく、「粗」です。意味不明です。

ただ粗ちんというだけで、ちんぽの定義から外されてしまうのは理不尽ではないでしょうか。ちんぽの大小は生まれ持ったもので、抗いようがありません。あとから大きくすることはできますが、当然費用がかかりますし、手術は常にリスクが伴います。粗ちんは粗ちんというだけで、非粗ちんよりも費用やリスクがあるのです。この非対称を非粗ちん主義(巨ちん主義)の皆さん方はどう受け止めますか?

小さいチンポがちんぽでないなら、その肉質をもった海綿の物体は、何なのか?差別する人に剛速球で投げかけたい疑問です。室町時代から続く粗チンへの差別に反対します。

ちなみに私のちんぽは13センチぐらい。粗ちんでも巨ちんでもない、凡ちんです。

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