せの的読書感想文〜夜の国のクーパー〜
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#夜の国のクーパー
#せの的読書感想文
人から勧められて本を読むことはとても多い。
「あれ面白いよ」ではなく、
「これ読んでみて」と本を渡されることが多い。
記念すべき初めての#せの的読書感想文 第1作も
勧められて読んだ本である。
トレードマークの金髪を、黒く染め直してもう半年。
見た目に反して家庭的な、職場の先輩。女性。
彼女から紹介される本はだいたい男性作家、文章もむずかしい言葉が多い。
とく百田尚樹なんかは彼女のお気に入り作家の一つ。
さて、そんな彼女の読書癖としては珍しい伊坂幸太郎作品。
文章は馴染みのある言葉で紡がれて、
個人的に読みやすい印象を持っている。
「夜の国のクーパー」
著者の書き下ろし長編小説10作品目、初版2015年3月。
まず、クーパーってなんだろうなぁが第1印象だったわけだが、
半分くらいまで読み進めないとなかなかストーリーに入り込めなかった。
場面がとびっきりフィクションということで、
一つ一つの場面に想像力が必要で、電車の中、通勤中に読むものではない。
仕事やだなぁなんて気持ちは、この本には受け付けてもらえなかった。
ただ、後半に差し掛かるにつれ伏線回収が気持ちよく、
読者に回答をきちんと用意してくれるあたり作者の優しさを感じた。
猫が出てくる。たくさん出てくる。そして、トムという猫が登場する。
物語序盤から登場する“喋る猫”たち。
ただそんな猫たちは皆、「猫の恩返しのバロン」というよりは「魔女の宅急便のジジ」を感じさせる。
そこが妙に心地よく、
押し付けがましい正義感やヒーロー性を読んでいても感じなかった。
トムがギャロと冠人の家に侵入して、棚を動かすシーン
「猫でも動かせるようにしておいてくれればいいのに」というセリフや
尻尾に自我があるような表現に猫たちに対する愛おしさが増した。
ネズミとの交渉は、可愛らしかったなぁ。
我慢できなもんねぇって気分になりながら読んでいた。
「ネズミにとっては、猫は自然災害」っていう概念には、
ハッとさせられた。
僕たち人間が、地震や台風に脅威を感じるようにネズミには猫が加わる。
台風にもうこれ以上雨を降らせないでと頼むことが阿呆らしいように、
猫にネズミは話しかけることなんて考えなかったという。
だがそんな考えは、外から来たネズミによって覆される。
なんとも、驚いたことだろう。
現実社会の自然現象と比べるのは少々無理があるが、
日常生活、話しても伝わんないな(まるで災害級)人にもう一度気持ちをぶつけてみる価値を教えてくれているような気がする。
また、逆も然り。対処法の模索をし始めることも。
人間側の支配関係を猫社会に投影しているような場面であったが、
人とは違うシチュエーションでこの問題を読者に提供することで、
また違った効果を生み出している。
大国王に人の献上について意見した複眼隊長が僕は好きだ。
今、コバエが僕の眼前を行ったり来たりしているのだが、
いったいどこから彼らはやってくるのだろう。
作中のクーパーのように、もはや架空の存在なのではなかろうか。
そう、つまり幻影。
さて、今日は台風の影響で風がかなり強い。
ベランダの洗濯物がかなり煽られて、飛ばされないか少し不安。
最後のシーン。複眼隊長が「クーパーと戦うことに比べれば、まったくもって大丈夫だ」と清々しいほどの声で言った。
きっと今のような台風の風に似ている感覚ではないかと推測する。
これからないが起こるかわからないという不安、ただならぬ予感。
それを運んでくる風は、西方の地域から運ばれてきた。
いいものも大切なものも、もしかしたら、困難や嫌なこと、
全部吹き飛ばして。
清々しいには、乗り越えたあとの晴れやかな様子という意味があるが、
乗り越えるというよりは、踏み倒すような感じ。
この局面での、複眼隊長の言葉には
たくさんのことを見て見ぬふりをしてきた自責の念が込められている。
罪の意識というのは人それぞれ。他作品のテーマにもよく使用されるが、
伊坂幸太郎は彼を通して、気持ちよく明るくその問題を締め括った。
そんなことを思った作品だった。
この作品を読む前に、同作者の「オー!ファーザー」も読んだ。
気分転換には最高で大変読みやすく、
これぞ伊坂幸太郎と言った印象を受けたが、
自分は夜の国のクーパーに一票。
それでは、また次回。