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ガルンガン①

バリ島のバリ人の8割は、バリ・ヒンドゥー教徒だと言われています。
彼らは、インドネシア人としては、西暦のカレンダーを使っていますが、バリ人としては、ウク暦(210日周期の暦)と、サカ暦(太陰・太陽暦のほぼ360日周期の暦)の二つに従って、宗教行事および通過儀礼を執り行っています。

ここでは、ウク暦最大の行事、ガルンガンについてご紹介させて頂きます。
ガルンガン、とは、一般的に、神となった祖先の霊が家族の元を訪れる日、日本で言えば「迎え盆」のような行事と紹介されていますが、バリ・ヒンドゥー教の教義に照らして言えば、正義の勝利を意味する、神聖な日である、ということになります。そして、ガルンガンの何日か前からガルンガンの翌日まで、関連した儀式の日が連続して続きます。そう、実際は、一日で終るものではなく、25日前からの儀礼も含めて、「ガルンガン」と呼ばれるのです。

●Tempek Wariga ガルンガンの25日前の土曜日


トゥンパッ・ワリガTumpek WarigaまたはTumpek Bubuh、またはTumpek Pengatagと呼ばれる行事があります。※今年2020年は8月22日がその日でした。
この日は、すべての植物の創造者であり保護者であるサンカラ神(イダサンヒャンウィディ・ワサ/ブラフマン、宇宙の原理、神の顕現)を祀ります。
お供え物には緑色に着色された、米粉の粥bubur sum sumブブール・スンスン(土壌肥沃の象徴)を入れます。
この日、家寺や村のお寺では、お供え物banten ajuman/soda と bubur sumsum ブブール・スンスン(米粉で作られた粥、ココナツフレークと、椰子砂糖の蜜がかかっている)、sesayut tanem tuwuh が供えられます。 地面にもスゴハン segehan cacahan と、木にもceniga pesucianを供えます。

一通り供え終わったら、自分の所有している木に向かって右手をかけ、こう言います。

“Nini Nini, buin selae dina galungan. Mabuah apang nged… nged… nged.”
おばあちゃんおばあちゃん、あと25日でガルンガンだよ。実をつけてよ、いっぱい…いっぱい…いっぱい

Kaki= Kaki dadong dija? Dadong jema gelem kebus dingin ngetor. Ngetor ngeed ngeed ngeed, ngeed kaja, ngeed kelod, ngeed kangin, ngeed kauh, buin selae lemeng galungan mebuah pang ngeed.
おじいちゃんおじいちゃん、おばあちゃんはどこ?
おばあちゃんは高熱と寒気で家だよ。寒気がすごいよ!すごいすごい、北側もすごい、南側もすごい、東側もすごい、西側もすごい。あと25日でガルンガンだ。すごい勢いで実をつけておくれよ!

ここで、おじいちゃん、おばあちゃんと呼び掛けているのは、人間よりはるか昔から存在している木に対しての、尊敬と愛情を持った呼びかけです。

このように、Tumpek Warigaは、【木々がすぐに実を結び、ガルンガンの時に使用できることを願い祈り、そして、日々恩恵をもたらしてくれる植物に対する大いなる感謝をささげる日】となっています。

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次は「ハリ・スチ・スギアン」という、ガルンガンに向けて準備を始める日について。

●Sugihan Java ガルンガンの6日前の木曜日


スギハン・ジャワはスギとジャワの2つの単語から来ています。Sugiは、清浄な、聖なる、という意味です。一方、Javaは、外を意味するjabaという単語に由来しています。
要するに、スギハン・ジャワの意味は、自己の外にあるすべてのもの(ブアナ・アグン=大宇宙)を浄化する日です。

家寺や神聖な場所、敷地内の各建物の清掃、そしてガルンガンの儀式に使うものの手入れを行い、家寺に「バンタン・ソド」という小さい供物を捧げ、祈ります。 これは、【サンガやムラジャンと呼ばれる家寺がシンボライズしている、「大自然・この世界」を浄化する、という事であり、ひいては自分自身の浄化に向けて、準備を始める、ということ】です。

また、ブアナ・アグン(外の世界)にある、ネガティブなものを中和、ニュートラルにするという目的があります。
この行事では、サンガ・グデ(本家の家寺)、パンティ、ダディヤからカヒャンガン・ティガ/カヒャンガン・デサ寺院まで、できる限りのメンテナンスと清掃を行います。掃除はもちろん、祠周辺の雑草を抜いたりします。

しかし、一番大切なことは、【ブラフマンの寺院(神の座)としての清い魂が宿る、己の肉体を、仮想世界(見えない世界)からのほこりや汚れからきれいにすること】です。

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●Sugian Bali  ガルンガンの5日前の金曜日


スギハン・ジャワに対して、スギハン・バリはブアナ・アリット小宇宙(ワリ=内部)の浄化の意味を持っています。スギハン・バリは金曜日クリウォン・ウク・スンサン(スギハン・ジャワの翌日)に当たります。

バリ(ワリ)とは、内なる強さを意味し、スギハン・バリは【自分自身を浄化するという意味です。その手順は、入浴、物理的な洗浄、そして迫り来るガルンガンの日を迎えるために身体と魂を浄化するシンボルとして聖水を戴き身を清めること】です。
この日はヨガや瞑想をすることも薦められます。

「ダルマ/真実・正義」の「アダルマ(ダルマでないこと)」に対する勝利の日であるガルンガンには、この地球上の全存在が清浄な状態でなければなりません。
でも、動物や植物には思考力も判断力もありません。ただひとり、「人間」だけが能動的、主体的に「浄化」について行動を起こすことが出来るのです。
人間は、肉体だけでなく霊体も含んでいます(Suksma SariraおよびAntahkarana Sarira)。【近づくガルンガンのつつがない遂行を邪魔する敵に立ち向かうために、肉体的および精神的な準備は、まず一番に強化されなければなりません。スギアンの日はそういう心構えで、肉体的にも精神的にも自分自身を浄化し、来るべきガルンガンに備える】のです。

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●Hari Penyekeban ガルンガンの3日前の日曜日


プニェクバンの日、一番目のSang kala サン・カラである、Sang bhuta galunganサン・ブータ・ガルンガンが人間に、アダルマ(するべきではないこと)をするようにそそのかしてきます。
galunガルンとは古代カウィ語で、戦いの意。

ブータ・ガルンガンは、人間の闘争的な面を表します。人は、支配欲からくる闘争性から遠ざかるように、シヴァ神を礼拝して自身を強く保たねばなりません。


また、nyekebとは、(熟すまで)保存する、という意味があります。
それゆえに、主婦たちは、この日、3日後のガルンガンにちょうど熟すように、お供え物用の果物、特にバナナを準備し始めます。

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なぜ特にバナナを?というと・・・面白い解説がありましたので、ちょっとご紹介しますね。
哲学的にバナナは、新芽が出て沢山繁殖し、他の生き物にその果実を与えるため、エゴ自我が最も少ないと考えられている植物だからです(ここでバナナまめ知識。種のないバナナは、茎の根っこの脇からニョキニョキ出てくる新芽を利用して次世代のバナナを育てます。種なしバナナは種がなくても、発芽した芽を株分けすることで子孫を作っていくことができるのです)。

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そして、この日にタペを作ります。タペとは、もち米を発酵させて作る甘いデザートのようなものですが、「ブラム」という、ライスワインの製造過程で出来る、酒粕のようなものでしょうか。
タペTapeを作るという行為は、自制心を養う、ということらしいのですが、その心は。

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つまり、TapeはTapa(宗教的修行、精神修養)で、発酵というプロセスにおいて、人間の「精神的成熟」を表しているのです。まさにnyekeb保存して成熟を待つ、のですね。

人間は時間とともに肉体的成熟は進みますが、多くの場合、精神的な成熟は伴っていません。

三日後に、ダルマがアダルマに勝利する日を迎えるにあたって、プニェクバン・ガルンガンの日は、【人間がエゴを抑え、サンヒャンウィディ(ブラフマン、宇宙の原理、神)に近づくことができるように励む日、と解釈されます。お供え物に使われる果物やタペの準備を通して、人々は自分の感覚(欲望)を制御し、宗教の教えに反する行動をとらない様、自分自身を抑制することを実行する】のです。

 さて、この日くらいから、パサール(市場)は、ガルンガンに向けてお供え物の果物や、ブスン(ヤシの葉。お供え物に使われる)など必要なものを買い求める人々でごったがえします。余談ですが、バリ島では、こういう祭日が近づくと、果物やブスンなど、絶対に必要なものは、値段が吊り上ります。値段を上げても売れるので、ここぞとばかりに売り手は商売に励みます。主婦達は少しでも安く、いいものを求めて、あちこち走り回ります。


●Hari Penyajaan Galungan ガルンガン2日前の月曜日

プニャジャアンの月曜日(ソマ・ポン・ドゥングラン)。penyajaanとは、saja、本当・真実という意味の言葉と、jaja お菓子、という言葉からきています。

二番目のSang kalaである、Sang bhuta dungulanサン・ブータ・ドゥングランが激しく邪魔を始め、しきりに、人々をアダルマの方向へと向ける誘惑をしかけてきます。dungulは征服の意味、ブータドゥングランは他人を征服するあるいは、打ち負かしたい、という人間の本性を表しています。シヴァ神に深く帰依して、その醜い本性を捨てなければならないのです。
プニャジャアンの月曜日(ソマポンドゥングラン)に、人々がガルンガンのお供え物で使用する菓子を作るのは、saja「本当に本当に」ドゥングルの態度(虚栄心)を捨てるという事をシンボライズしています。

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ヤドニャ・プラクルティの詩では、「ラカ・ラカ・ピナカ・ウィダダラ・ウィダダリ」とありますが、これは自分の努力の結果であるはずの甘くて美味しい菓子/果物を指します。
widyadara/widyadariとは、ガルンガンを迎えるにあたって、菓子を自分自身で作るということでシンボライズされている「知識を習得する人々」、を指します。だから、自分たちの能力と時間に応じて、ガルンガンの菓子を作れるかどうかはとても重要なのです。
哲学的には、プニャジャアンとは、【人間にとって素晴らしく、有用なものを生み出す「努力の成就・良き結果」であると解釈できます。
モラル(道徳)に基づいた知識の使い方 は、このプニャジャアンの行事において理解される】のです。

もし科学(知識)に道徳が無く、征服欲や競争心だけで使用されるとしたら、世界は破壊の危機に瀕するでしょう。

 さて、女性陣はガルンガンに供えてのお供え物準備の佳境、男性陣はペンジョールの準備や、ガルンガンに使う道具類の準備など、忙しさもまだまだ続きます。そして明日はいよいよプナンパン。

男連中が、そろそろ「ペンジョール」と呼ばれる、竹で作るお飾りのようなものを準備し始めます。

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●Penjor ペンジョール



ペンジョールとは、寺院での儀礼の際に門の前に立てたり、ガルンガンの祭日に家々の前に立てるもので、バリ・ヒンドゥー教の唯一神、サン・ヒャン・ウィディ神に対して、感謝の念を表すものだそうです。
ペンジョールは、アグン山に住むとされる龍の神、バスキ神を象徴するとも言われています。バリ・ヒンドゥーの総本山、「ブサキ寺院」は、「バスキ神のいます所」という意味で、ペンジョールの椰子の葉の飾りは龍の背びれを表し、竹の先にぶら下がったサンピアンが龍の尾を表しているそうです。
このことから、大事な祭礼の時に各家の門前に立てられるペンジョールは、ブサキ寺院(のあるアグン山)を表しており、例え遠くてブサキ寺院に詣でることが出来ずとも、このペンジョールがブサキ寺院のシンボルとなり、そこからアグン山への礼拝が出来るという訳です。

このペンジョールを作るのは、おもに男性の仕事とされており、丁度いい形の竹を探して切り出し、あるいは買いに行き、それぞれ工夫をこらして飾り付けをしていきます。ガルガンの前日までには家の前に立てなくてはならないのですが、早々と立てる家もあれば、ぎりぎりまで大人も子供も一緒になって準備しているところもあったりと、なんだか日本の大晦日の風景に似ていなくもなく、微笑ましい光景です。 このペンジョールは、村ごとに飾りつけが微妙に違っていたり、豪華さを競い合ったりと、なかなか見ていて飽きないものです。バンジャールによっては、このペンジョールの素晴らしさを競う催しがあり、上位入賞者には賞金が出るそうです。このペンジョールが立ち並ぶガルンガンの朝に、大通りを歩くと、その美しさに目を見張ります。

そのペンジョール、一体何がぶら下げられているのかというと・・・

本体の竹(マヘスワラ神) 白い布(イスワラ神) 米の菓子(ブラフマ神) ココナツの実(ルドラ神) 椰子の葉あるいは黄色い布(マハデワ神) 葉っぱ類(サンカラ神) 果物や稲(デウィスリ)、イモやトウモロコシなど穀物類(ウィシュヌ神) さとうきび(サンブ-神)砂糖椰子の葉(ドゥルガー女神)などなど。
これらは、植物、食料など、全て神からの恩恵を表しています。

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