バリ島のごみ事情と嫁姑戦争とプンニャのお話。
2020年10月もあとわずか。
自粛生活も7か月になり、最初の頃の、「自粛生活に対する意気込み」も勢いを失ってきた。
7月くらいまでは、「人生にこんなに時間がある時は二度と来ない」と、日々の忙しさに手をつけられなかった事をやるのに夢中だった。
それは、充実していたといってもよいくらいだったが、8月に入り9月になり、世界中の国がコロナ禍の第一波が落ち着いてきたころに、インドネシアが第一波のピークを迎え、いよいよ身近にも迫ってきた感と、長引く経済活動の停滞とで、精神的にどんどんダウンしていき、何をするにも億劫な時期がやってきた。
精神がダウンすると抵抗力も落ち、風邪をひいたりなんだかんだ。
これではいけない、と、ようやく今週くらいから、生活を今一度、規則正しく丁寧にすることを心掛けるようにした。
ルーティーン化、が大の苦手だった私だが、年と共に段々とそういう忍耐力はついてきたようだ。
今日は、午前中のルーティーン(家事、朝のお供え物と軽い運動)の後、プラスティックごみ(ビニール袋)を100枚ほど洗った。
なぜならば、来月、村の「ごみ銀行」で、全てのプラスティックごみとお米を交換するという取り組みが再度催されることになったから。
パンデミック中に一度、開催されて、村民に大好評だった。この「ごみ銀行」、通常は、無地のビニール袋、キャップ(蓋)、缶、瓶、ペットボトル、紙類布類にポイントがつき、菓子袋などの細かいビニールやプラスチックごみにはポイントがつかないのだが、パンデミック中は、どのようなタイプのプラスチックごみも引き受けてくれ、ごみ1キロがお米1キロと交換となる、というもの。前回はそれでお米8キロゲット。
ここで、バリのごみ事情を少し
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バリ島の南部に、最大のごみの埋め立て地があり、去年2019年の10月末に数日間発火し、地元住民はTPA(ごみの埋め立て施設)へのアクセス道路を閉鎖しました。こういった火災は、ギャニアール、ブレレン、タバナンなどの他のいくつかの地区のTPAでも起こりました。これは、TPAシステムによる廃棄物管理が制限を超えたことを示しています。
ゴミ山での4日間の火災や、煙やゴミの臭いにうんざりしている地域住民のごみの運び入れ禁止運動の結果、ごみ収集が行われなくなり、住民の家の前にゴミの山が出来、多くの人けのない道路への投棄、渓谷や川岸に投棄が多発しました。
現在の廃棄物の発生量は非常に多く、1日あたり5,000〜10,000トンに達し、そのうち60〜70%が有機物、20〜30%が非有機物でリサイクルに適しており、10%が残留物です。これらの90%は、埋められるべきではないごみです。
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うちでは、宿も含めて家のごみは、私が全部目を通して分別する。そのため、ある程度の分別を、お客様にも家族にもお願いしているのだが、中々、これがうまくいかない。
ダイビング・スポットとして有名な、カランガッサムのトゥランベンで、ごみ銀行活動を行っているバリ人によると、
「ゴミを分類したい人はあまりいません。その理由は効率的ではないからです」とSuastika氏は述べています。300世帯のうち、50世帯だけが分類する意思があると彼は推定しました。
とのこと。
元々、「ごみは地面に捨てるもの」という、それはもはや伝統と言っていい位のごみ認識を持っている舅・姑世代。土に還るごみしか出していなかった世代だ。
彼らにごみの分別をお願いすることは容易ではない。
地面に捨てる不浄なものを、ひっくり返して広げて洗って干す、などという外国人嫁の奇妙な行動を、内心良く思っていないようだ。
元々、バリ島・インドネシアでは、土に還るごみ以外(プラボトルや缶、金物の不要物など)は、pemulungと呼ばれる廃品回収者が家々を回ってくる時に、まとめて出して廃品と引き換えにお金か、プラスチック製のたらいやバケツなどと交換する、というシステムが浸透しており、ごみ=不用品はその人達が持って行くか、土に返すか、燃やすか、だった。
最近は、ほとんどなくなったが、以前は夕方に掃き掃除をした後、そのごみを燃やす煙がよく上がっていた。
ところが、今のごみで一番問題になっているのは、引き取り手もないし、土にも還らないビニール類。
これは、そういうものが無かった時代に育っている人にとっては、便利で手放せない様である。そして、昔と同じように、ばんばん捨てる。
バリ島では、sukla=神聖な、まだ使われていない、という物を重視する、という精神が根強い。お供え物には、「新しいもの」を使わなくてはならず、お供え物のカバーには、必ず「新しい」ビニール類が使われる。
ここに関しては、リユースが効かないので、延々とビニールゴミは出るわけである。そして、お供え物の頻度が異様に高い・・・。
伝統を重視し、伝統に従って生きてきた世代の人ほど、ビニールゴミの分別、が難しく、したがってその子供たちも、ごみの分別について教えられていないので、中々浸透しづらいものがある・・・もっと若い世代の方が、まだ柔軟性があるので、今のこのごみ問題についても、比較的若い世代が中心となって、漸く取り組みが始まったところである。
以上のような理由から、私が鬼の形相でごみを仕分けして、ぶつぶつ言いながら汚れたビニール袋を洗っている姿は、家では相当浮いているようだ。
私が分けるのは、大まかに、乾いた紙類とプラスチック(ビニール)類、の2つ。
濡れているものは乾かしてから捨てる事。客室の汚物入れは基本手をつけないが、そこに他のごみを混ぜられると非常に困る。一緒に色々捨ててある場合は、最悪全部開けて仕分ける。これは非常に辛い。辛いが、このまま海へ流してしまう訳にはいかない。
バリ島でごみに出すという事は、海にダイレクトに捨てることと同じ、それくらいの危機感なのである。
姑、舅の出すごみは、基本的に全部いっしょくた、である。生ごみを紙に包んで、更にビニール袋に包んで捨てる、という具合。
これを分けるのは非常に嫌な気分になる。ウジ虫が湧いていることもザラ。
なので、いつもイライラと怒りながら仕分けすることになるのだが、何度怒ったところで、じじばばのそれは直らない。「そんな汚いものに手を突っ込まないでごみ捨て場に捨ててきたらいい!」と言われたこともあるし、旦那に、日本でのやり方を、じじばばに押し付けるな、と言われたこともある。
そんなこんなで、これは、他人にごみの分別をお願いしても無理だ、という結論に至った。「私の」気が済まないから徹底して分別したい訳であって、それを他人に分担してもらおうと思っても、自分がしんどいだけである。
しかし、いつも溜まったごみを発見して仕分ける時は、心の底から罵詈雑言が湧き上がってくる(笑)。
毎回そんなじゃしんどいので、「善行貯金」だと思って乗り切ることにした。
カルマ・パラ、という言葉はご存じだろうか。インドネシア、バリ島ではよく使われる言葉であるが、サンスクリット語で、行為の果実、という意味である。行為の結果。日本語だと因果応報、だろうか。
そのカルマ・パラには二種類あって、ダルマ(すべきこと)に沿った行いをした時の良い結果、と、ダルマに沿わない(すべきで無いことをする)行いをした時の悪い結果、である。前者をプンニャ、後者をパーパ、と言う。
と、サンスクリット語の文法教師である、Medha Michika先生に習った。
で、プンニャもパーパも貯まっていって、後々の生(また何かに生まれてきた時)で、それが反映されるのである。だから、プンニャを貯めるように意識することは、後々の生に、大いに貢献するのですよ、皆さん。
サンスクリット語仲間で、いつも色々と、快くサポートしてくれる人が、「ほんとにいつもすみません、お手数かけてばかりで」と言うと、「私のプンニャ貯金ですから~!いつでも言ってください!」と、返事をくれた。
そうか。
こりゃあいいな。
嫌だと思う事も、自分が「すべきこと」と信念をもってやっていることは、「プンニャ貯金を貯める」という考え方をすれば、嫌なことではなくなる。
自分のこの一分間で仕分けしたごみで、今生きている海洋生物の一匹でも助かり、ちょっとでも地球の汚染の速度が遅くなり、ひいては今地球上に生きている私たちが汚染に苦しむ速度がちょっとでも遅くなる。かもしれない。
それは必ず結果を生む。
おかん(姑)に悪態をつく数秒間を、せっせと汚れたごみを仕分けすることに費やせば、その分、お米に換算されるごみが増える訳だ。
そう思って、今日もせっせと私はゴミを仕分けるのである。