君の友だち
noteが「#初めて買ったCD」というお題で作品を募集しているのを見かけて、そのお題に添った内容にならないかもしないけれど徒然なるままに思いを巡らせてみた。
初めて買ったレコード、初めて買ったCD、それらはすぐに答えることができる。でも初めてダウンロードした作品、サブスクリプションで初めて聴いた作品となるとまるで覚えちゃいない。そこの違いは一体どこにあるのだろうか。
誰にも強要されず、初めて主体的に選び、その作品に心を震わせ、他の誰にもわからない個人的な体験を得たりしたら、やはりそれはきっと忘れられないものとして心に刻まれることになるのだろう。そこには手に取ることが出来て、触れられる「物」ということがとても重要な要素であるように思える。
手に取ることが出来ない作品からは得られる感動が幾分希薄になるように感じてしまうのは僕だけだろうか。
音楽以外、他に何があるだろう。例えば活字。
親や学校に薦めらるようなものでなく、教科書に載っているものでもない、自ら探して出会い、初めて心に響いた作品。そんな本に出会えたのは小学校五年生の時だった。クラスの友達とお昼休みにふらっと行った図書室で。冒険小説、児童文学書。
船が難破し、どうにか辿り着いた先は無人島。少年はひとりぼっちだった。ある日、少年と共に打ち上げられた大量の船の荷物の中に組み立て式のロボットを見つける。説明書を見ながら一生懸命組み立てたロボットは高性能。ロボットからの知恵を得ながら色々な出来事を乗り越え、時には喧嘩をし、まるで兄弟のように生活して、いつしか機械と言えども少年にとって掛け替えのない、友情を分かち合える間柄になっていった。
やがて救助がやってくる。家に帰った少年は母親の元、ロボットの助けを借りなくても生活出来て、そして段々とその間柄は…。
結末はよく覚えていない。寂しい結末だったように思える。だからきっと覚えていないのだろう。僕が小学校の時のそのハードカバーは少し古かったからおそらく60年代、70年代に出版された作品だろうと思う。作者の意図は今も有効だ。
六年生になって卒業するまでの間、運動場で遊ばないお昼休みの時、僕は時々図書室へ行き、その友達に会った。本はずっと変わらず同じところにあり、図書室ではその本だけを読んだ。
僕は無人島にいてロボットは友達だった。誰も知らない僕だけの友達。
今も生きている大切な友達。
James Taylor / You've Got A Friend