公社流体力学グレイテスト・ヒッツ『頭中蜂』の感想
金曜日。オリヴィア・ロドリゴの来日公演を見にいって、感動というよりも、すごくハッピーな感覚を受けとった。オーディエンスの最高なムードや、席がめちゃくちゃよかったことも大きい。自分のようなシスヘテロ男性のソロ参加は、あきらかに相当なマイノリティだったものの。
終演後、左隣に座っていた、おなじくソロ参加だった若い女性が、公演の最後にぶわーっと放たれた星型の紙吹雪を「いりますか?」と差しだしてくれたのだが、「いや、いいです!」と断ってしまったのが心残り。なんかライブの感想とか、話せばよかった。
そして、雨が微妙に降ったりやんだりしている日曜日。自宅とおなじ練馬区なのに、なぜか電車とバスを乗り継がないと行けない江古田の兎亭へ(うちは西武新宿線沿線だから。東京は、東西の移動は鉄道があるから簡単だけれど、南北の移動が難しい、という欠陥がある)。朝から映画を見たり原稿を書いたりしていて、なにも食べていなかったから、駅のホームで立っているあいだに、セブンイレブンで買ったパンを食べた。私はこういう非社会的なことをよくやる。
見にいったのは、公社流体力学グレイテスト・ヒッツ『頭中蜂』。初日割ということで、料金は1,500円。噂に聞いていたものの(といっても、そんなに昔から知っていたわけではなくて、Xアカウントをフォローしたのも最近)、公社流体力学を見るのははじめてだった。
公社流体力学は、太田日曜さんによる演劇ユニット(?)である。ご本人いわく「ジュンジ・イナガワ・スタイル」で、物語を一人芝居で展開していく。演劇というよりも、怪談、落語、漫談、スタンダップコメディみたいな感じだ。その一方で、ご本人は演劇の情報や感想・批評を高頻度で発信していて、なんだか「ひとり演劇メディア」みたいなひとだと思う。
公社流体力学は、「美少女至上主義」をコンセプトにしているという。実際に見てみた感想は、その惹句から想像していたものとは異なっていた。オタクっぽさや萌えが濃くでてくる感じではないのだ。「美少女とはあくまで概念であり、外見、年齢、果ては性別ですら関係ない。美少女は万物に宿っているのである。それを呼び覚ますのが目標である」という宣言を読んでも、公社流体力学にとっての「美少女」というアイデア(観念、イデアetc.)がなんなのかは、自分には理解が難しい。けれども、同時に、今回の公演を見てみて、なんとなくわかった部分はある。
話を戻して、『頭中蜂』。会場に着くと、公社さんが受け付けもワンオペでやっている。BGMは“君に、胸キュン。”。この曲は公演中、あとでドヤ顔で伏線回収された。
この日、公社さんは、唯一の小道具である酒瓶ケース(舞台? 公社史上はじめてバミリをしたというばってん印は、酒瓶ケースを置く位置を示しておくためだけのものだった)の上に乗って語っていた。また、客電を消し忘れていて、1エピソードを披露したあとで客電を消した。そのあとに酒瓶ケースに乗ると、公社さんの顔の位置に照明が被るから、目を向けるとかなり眩しくて、しかも照明が下のほうに当たっているからあまり機能しておらず、公社さんの姿が全体的に薄暗ーくなっていたことがおかしくてしかたなかった。
と、またどうでもいいことを書いてしまった。本編はというと、「グレイテスト・ヒッツ」と冠されているとおり、10年の活動から新旧の演目を集めたベストアルバム的な内容だそうだ。
美少女が関係ない話もありつつ、怪談・奇談も織りまぜて、眼鏡をかけて時間の確認と「何話やったっけ?」ということを時折確認しながら、13の物語をとんでもない勢いで披露した。「わたくし」という一人称や、妙に丁寧すぎる敬語がなんだか笑える。
前半は様々に緩急をつけながら、試奏的な実験もし、中盤からは『ぶん殴る』、『ねぇ、私の美容法知りたい?』、『美少女成分の空気』、『カンフーマスター』といった、激しい動きが埋めこまれた話が続いた。
すごかったのは、やっぱりセットリストの後半で、『教室を覗いたら…』、『自宅前のコンビニを覗き見る』というおもしろみや切なさが混然一体になった強烈な2篇が打ちこまれたあたり。少しずつ挿入されていた百合エピソードが、ここで全面的に展開される。とはいえ、下世話なオタク性や萌え要素が濃いわけではない。公社的美少女の概念や精神性というのは、つまり、こういうことなんだ……と、そのあたりでちょっと飲みこめた。
それから、『美少女成分の空気』にはなにやら『ゴーストバスターズ』の馬鹿っぽいところがあるし、盗み聞きを扱った『ねぇ、私の美容法知りたい?』や窃視をテーマにした『自宅前のコンビニを覗き見る』は『カンバセーション 盗聴』や『裏窓』や『ブルーベルベット』を思わせなくもない。勝手に感じられた映画との接続が、妙におもしろかった。
しかし、観劇後(「観劇」なのか?)の印象としていちばん大きかったのは、公社さんの語りの内容そのものよりも、彼の肉体性みたいなものを強く見せつけられたことだった。
公社さんは、開演前からかなり汗をかいていて、髪の毛がぴかぴかと光っていた。開演後はさらにとんでもなく汗みずくになりながら、たった一人で熱っぽく語りつづけ、エピソードによって走ったり、飛んだり、転がったり、倒れたりと、七転八倒して暴れまわる。だらだらと汗を垂らして、それをたまに手で拭いたりこすったりしながら、何度まくっても垂れ落ちてくるシャツの袖をまくりながら、シャツを素肌の上に着ているがゆえに動くたびにへそをちらりと見せながら、「おっしゃー!」と言って珍妙な物語を披露する。もう、あらくれである。
「演劇における身体性ってなんやねん!」というツッコミが差しこまれる前に、公社流体力学の身体そのものがごろっと数名の観客の眼前に転がっていた。そのすごみ、そしておかしみよ。
終演後、公社さんは語りのノリのままシームレスに観客を案内し、見送ったあと、「100分もやっちゃったからなー!」と大声でひとりごちていて、私は思わず階段の下を振りかえってしまった。その後は六本木アートナイトに行くと言っていたけれど、ちゃんとまにあったのだろうか。