抜け毛から大事なことを教わった
絶対悪。
理不尽、暴力、愛する人を傷つけること、そして抜け毛だ。
おそらく、これらの要素をコンサルタントに伝えれば「MECEだね」と言ってもらえるだろう。
抜け毛とはひどく残忍で、人の心を弄ぶ悪魔だ。
隅々まで掃除機をかけ、その後クイックルワイパーにより余念なく床をきれいにする。すっぴんになった、ありのままの床。ありのままの君を愛したい。君の姿にエクスタシーさえ感じる。
しかし最高の瞬間とは儚い物。そう、奴だ。奴に全てを壊される。
完璧に掃除機をかけたはず。完璧にフローリングをしたはず。しかし奴はそこに現れる。抜け毛はそこに現れる。
「“それ”が見えたら、終わり。」
私の幸せは抜け毛を目にした瞬間、瓦解する。抜け毛とは、ペニー・ワイズである。
奴はどこにでも現れる。不意に現れる。そして私の愛しい床を汚していく。
スティーブンキングはきっと抜け毛を見て、ITを脚本したに違いない。
ところで、続編の「IT THE END」が公開中なので観に行きたいが、一人で見るのは寂しいから、誰か一緒に観に行きませんか?
さて、日々ペニーワイズこと抜け毛に悩まされる私だが、最近コロコロ(ほこり取るやつ)を購入した。
というのも冬の乾燥による静電気で、衣類にほこりが付きやすくなってしまい、ほこりを取るためのものが必要だったからだ。
しかし、誰が予想できよう、これが地獄の始まりだった。
気持ちの良い、休日の朝。平日に掃除できなかった部屋を掃除し、買いたてのコロコロで衣類についたほこりを取っていく。完璧な朝になるはずだった。
ここで魔が差してしまった、部屋の絨毯にもコロコロをしてみよう、と。
皆さんにも部屋の絨毯にコロコロをかけてほしい。やってみるとわかるが、目視では気付かなかった抜け毛が結構とれる。
気になってしまったが最後、コロコロと転がし、ペーパーが汚くなったら一枚めくり、またコロコロ、コロコロと転がす。この作業の繰り返しが始まった。
5分
10分
30分
1時間
気付けば2時間弱その作業に没頭していたことに気付いた。
「サーチ&デストロイ!サーチ&デストロイだ!!」という脳内からの命令により、絨毯に潜む抜け毛を殲滅せんと奮闘していたのだが、終わりなき戦いに疲れてきた自分をそろそろ無視できずにいた。
思えば僕の不幸はコロコロの購入から始まった。いつも何気なくそこにある絨毯に、コロコロをかけずにいれば、きっと今までのままでいられたのだろう。
SNSの出現により、他社の生活や行動が明確になり、多くの人が他者をうらやみ、自らの生活に不満を覚えてしまうこの世の中。おそらくSNSがなければ生まれなかった孤独も多くあるのも事実だろう。
より多くの情報のが可視化されることは時に毒にもなりうるのだ。
この縮図が、絨毯にコロコロをかける行為ではないか?
いつも有り難く寝転がる絨毯にコロコロをかけ、そこに埋もれる抜け毛に気付き、途端に今まで持っていた絨毯への信頼が崩れ落ちる。
情報がより多くあればいいのではない。確固たる自己が無ければ、それらの情報に食われてしまう。
そして皮肉なことに、この21世紀を生き延びるための本質ともいえる気付きを与えてくれたのは、憎き抜け毛だ。
バンザイ抜け毛、ビバ抜け毛。
とは言え、ここまで来たのだ。
幸いペーパー1枚を使用するにあたっての抜け毛の発見率、通称HPP(Hair Per Paper)は逓減してきた。
終わりなき戦いに見えるが、勝利は目前なのではないか?
あと少し、もう少しなんだ。
自分を鼓舞するとともに、暗示するように、心の中でそうつぶやく。
その時、どこからともなく微かな声が聞こえた。
「チ...イコ.ハ....ルナ..レワ......チコー...」
周りを見渡すが誰もいない。
コイツ、頭の中に直接!?
とは言えまだ聞こえる、その声に耳を集中させる。
「コマカ...ハキニ...ル...ワカチ...コー!」
「コマカイコトハキニスルナ!ソレワカチコワカチコー!」
「細かいことは気にするな!それワカチコワカチコー!」
ゆ、ゆ、ゆってぃー!!
心の中のゆってぃーが、絨毯に潜む抜け毛との格闘に、お前はもう十分やった、気にするなと優しく声をかけてきてくれている。
しかしここまで来たのだ、あと少し、あと少し頑張らせてくれ。そしてまだコロコロをする私。しかしどこまで行っても抜け毛は殲滅しきれない。
そしてついに負けを認めたのが正午を過ぎたころ。
貴重な午前を消費し、挙句負けた。
経済学の用語に「サンクコスト」というものがある。簡単に言えばもう取り戻せないお金や時間のことだ。
人間はこのサンクコストが大きくなればなるほど、取り返すためにより多くのコストや時間を投入してしまう。
いつだって勝者はサンクコストに縛られず、適切なタイミングで損切りをして、撤退する。
逆にサンクコストを取り返すためにズルズルと粘着してしまう者は敗者となる。
もし仮に、心の中のゆってぃーの声に早く気づいていれば、ある程度まで綺麗になった段階で細かいことは気にせずに入れただろう。そしてもっと建設的な時間の過ごし方ができただろう。
あの日あの時、面白くないと思っていたゆってぃーは、サンクコストについて、損切りについて、本当に大事な物以外なんぞ細かいことだと言ってのける豪胆さを、テレビの前の視聴者に伝えたかったのかもしれない。
抜け毛から多くのことを教わった。抜け毛が大事なことを気付かせてくれた。そして素敵な出会いをもらった。
ゆってぃーを胸に、また明日を生きていく。
ワカチコワカチコー!!!
今見てみると、素朴な面白さがあって、素直にいい芸人だった。